第四十八集 解放
城を見下ろす丘の上、周囲に大岩が転がる中に、彼の愛馬である芦毛が待っていた。その横には月毛の馬もいる。
岩場にもたれかかっていた
一方の呼狐澹は、
浮かない顔で戻ってきた道士に対し、同じく仇敵を追い続けていた
二人は黙ったまま何気なく枹罕城の方を振り返る。
城を包囲していた馬超軍が軍営を引き払って、ゆっくりと撤退していく。
「事態が収まるまでは、冀城に戻るのもやめておいた方がよさそうだね」
そう呟いた緑風子に、岩にもたれたままの呼狐澹も頷いた。どちらにしても数日はまともに動けない以上、行った所で邪魔になるだけである。
「
そう呟いて笑顔を見せた呼狐澹であるが、緑風子の懸念はそこではなかった。とは言え杞憂という事もある為、あえて何も言わずにいたのであった。
一方その頃、
閻行は恐らく共に
共に曹操に降れば、少なくとも後漢朝廷に対する反逆者ではなくなり、互いに争う理由もなくなるわけである。
その動きに最も焦りを見せたのは、当然の事ながら
何よりも、この戦いが起こる少し前に彼に宛てた文が届いていた事も大きかった。その内容は「韓夫人の死の真相は全て知っている」という物。その差出人は不明。
その文と同じ時期に韓遂に宛てられた文もあるとの事で、麹演はそれとなく韓遂に聞いていたのだが、「何でもない」「何も書いてなかった」として、その内容を頑なに教えようとしなかった。
これら二通の書状は緑風子が西平から離れる際に金城へ届けた物であるのだが、韓遂の方には本当に何も書いていない書状を送っていたのだ。だが麹演は内容をはぐらかされたと思い焦燥感を募らせた。
こうなった以上は何としてでも閻行と韓遂を会わせるわけにはいかないと思い、必死に西平への出兵を求めたというわけだ。
だがその出兵も失敗に終わり、ここに来て韓遂が西平に赴いて閻行と会うと言い出したのである。
既に齢七十を超えた韓遂。それはただ先立たれた末娘の墓を参りたいというだけの老人の感傷であったのだが、麹演はもはやそう思えなくなっていた。
自身の生き残りと西平統治の念願。麹演はその両方を叶える為に、計画を大きく変更する事にした。
すなわち韓遂の暗殺である。
彼と同じような経緯で韓遂に屈していた金城の豪族である
そして麹演は配下の者に命じて、韓遂の首を
こうして金城を占拠した麹演と西平の閻行は、共に曹操の軍門に降った者同士、睨み合いながらも手が出せなくなった。
結果的にこれで、涼州から韓遂を排除し、金城と西平を親曹操の勢力としてまとめ上げる事に成功したと言える。
当初の目的である鍾離灼を取り逃がしてしまった緑風子であったが、その過程で出した、たった二通の書状という置き土産を以って、この状況を作り上げたのだ。
金城の韓遂はここに倒れ、枹罕の
そんな馬超が居城としていた冀城では、漢陽郡の各支城から続々と軍が馳せ参じており、城内で決起した旧涼州派によって、既に留守居の部隊はほぼ制圧されていた。いつぞやの先走った反乱兵の時とは全く様相が違ったと言っていい。
そんな中で唯一、また同じ事が起こったと思っていたのは、政庁内で監禁されている馬超の妻子だけである。
再び命の危機が迫った恐怖から泣き止む事をしない幼い子供たちを、
そこへ姿を現したのは
そんな王異が拘束されずに自由に動き回れているという事は、自分たちを解放しに来てくれたに違いないと判断しても当然であった。
当の王異も笑顔を見せて優しく語り掛ける。
「あなたを救いに来ましたよ」
「良かった、
親し気に
何気なく下を向けば、王異の右手には
あまりの衝撃で何も言葉が出てこない浥雉が、何故こんな事をとばかりに王異の顔に向き直ると、王異は未だに笑みを浮かべたままであった。
二人は以前、こんな話をした事がある。
敵に捕らわれ辱められるくらいなら、死を選んだ方がマシであると。互いに同感だと頷きあった物だが、浥雉にとってそれは夫への一途さを表す方便とも言えた。しかし王異にとっては言葉通りであったのだ。
その意味では、浥雉を救いに来たという王異の言葉には、何の嘘も無かった。
流れゆく血が白い衣を赤く染めていき、床に崩れ落ちる浥雉。目の前で倒れ伏した母親を目にした幼子たちが泣き叫んだ。
薄れゆく意識の中で、王異に向かって懇願するように手を伸ばした浥雉は、その瞳から涙を流しながら絞り出すように最期の言葉を発する。
「お願い……、子供たちは……」
その言葉を聞いた王異は、真っ赤に染まった匕首を握ったまま、なおも黙って微笑み続けていた。
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