第七集 決意の旅立ち

「今のが……、お前の仇……?」


 訊き返した趙英ちょうえいに、呼狐澹ここたんは黙って頷いた。


「だからここで逃がすわけには……」

「おっと、その心配はなさそうだよ」


 なおも駆けだそうとした呼狐澹を、いつの間にか庁舎から出てきていた緑風子りょくふうしが止めた。竹杖をコツコツと鳴らしながら話を続ける緑風子。


「生き延びた衛兵に聞いた所、今の刺客は最初、馬超ばちょう軍の使いとして訪ねてきていたそうだ。馬超の印章いんしょうも持っていたそうだよ」

「それじゃ……」

「要するに君たち二人とも、目的地は最初からほぼ同じだったってわけだね」


 押し黙ったまま互いの顔を見合う趙英と呼狐澹。緑風子も笑みを零して付け加える。


「実を言うと、僕の目的地もたぶん大体同じだと思うんだけど……、それはまぁ、いずれね」


 不思議な縁で出会ったと言うべきか、成り行きで同道していた三人は、こうしてしばらくの間は共に旅をする事となったわけである。


「それにしても、あいつが馬超軍の使いなら、どうして仲間を……」


 素朴な疑問を口にした趙英に、緑風子が答える。


「仲間と言っても、それは曹操そうそうと戦った時の一時的な同盟であって、本来は同じ土地で割拠していた諸侯同士。しかも明確に敵対した馬超と韓遂かんすいが、今はそれぞれ漢陽かんよう金城きんじょうに根を張ってる。ここ隴西ろうせいは、その中間地点だ。

 となれば、いつどっちに付くか分からない軍がいるより、最初から中立の緩衝地帯にしておきたいんだろうね」

「全く、義理も人情もない……」


 ここで暗殺された馬玩ばがん張横ちょうおうは、後に陳寿ちんじゅの記した史書では、関中諸侯として名を連ね、潼関の戦いを戦った後、名前が出てこない。その生死すら不明となっている。


 史書はあくまで中央政権、この時代で言えば曹操勢力の視点から記録された物である。つまり戦うにせよ投降するにせよ、曹操軍と接触する事で記録に残る。

 孫権勢力のような、それなりの地方政権ならば、起こった出来事を記録して保管する仕組みが整備され、そこで個別に残した記録が後年に史書が編纂される際に参照される事もあるだろうが、大半はそうではない。


 彼らは潼関の戦い以降に曹操軍と関わりが無かった上、辺境の土地で迎えた最期である。中央政権の官職にある者の功績になっていない以上、ほとんど史書の記録には残りようがないのである。



 さてその後は、県令を始め、県丞けんじょう(副官)、県尉けんい(警察長官)など、牢に囚われていた襄武じょうぶ県の役人たちが解放され、ただちに首謀者である馬玩と張横の首級を掲げた。

 文字通りに頭を失った反乱軍の兵士たちは即座に投降し、集められた農兵たちもそれぞれの村に帰っていった。



 そうして無事に襄武城を解放した趙英ら一行は、そこでしばしの休息を取る事にした。

 県令からの謝礼を受けつつ、逗留とうりゅうを勧められたからであるが、いずれにしても県へ向かう旅の支度をすると共に、ここまでの旅の疲れも癒しておく必要もあったからである。


 またひとつ収穫もあった。

 呼狐澹の仇である、顔に傷のある長身痩躯の侠客だが、印章を確認した際に番兵に名乗っており、名前という手がかりを得たのである。


 何冲天かちゅうてん

 あの侠客はそう名乗ったという。


 偽名の可能性もあった。恐らく冲天というのもあざなか通名であろう。だが記憶に焼き付いた顔以外はまるで手がかりが無い状況に比べれば、遥かに仇に近づいたと言えた。

 そこで呼狐澹は、これから旅を共にするという事もあり、二人に過去の経緯を話した。


 曰わく、呼狐澹の父は傭兵として、先々代の後漢皇帝・霊帝の時代から戦っていたそうな。

 戦いの中で負傷した後は遊牧の生活に移り、三人の妻、四人の息子、六人の娘を持った大家族の長となった。

 呼狐澹はその末の息子であった。


 ある時、所有する羊たちが夜の間に殺されるという事が相次いだ。上の兄二人が夜回りを申し出たが、翌朝にその兄二人が惨殺死体で見つかった。

 この時点で何者かに狙われている事が分かったが、犯人の正体が分からぬまま、一人また一人と、毎日のように家族の誰かが殺害された。


 父は家族を守ろうにも為すすべが無く、家族の半数が殺害された頃にはすっかり気を病んでしまった。

 そして、その時を見計らったかのように、あの男……、何冲天が現れた。


 問答無用で逃げ惑う家族を次々に斬り殺していく何冲天。

 呼狐澹は姉に抱き抱えられて衣服の入った葛籠つづらに押し込まれ、絶対にここを出るなと念を押された。

 その後、姉は自ら囮になるように走り出し、間もなく断末魔の悲鳴が聞こえた。


 葛籠の隙間から覗いた呼狐澹は、そこから父と何冲天の戦いを見ていた。その間ずっと何やら言い争っていたようだが、その内容までは聞き取れなかった。


 初めは互角に見えた一騎打ちも数十合と打ち合えば、久しく戦いから離れていた上に、年齢による衰え、そして家族を殺され心が乱れている父の方が劣勢となっていった。そして父が一瞬の隙を見せた次の瞬間、父の首が宙を飛んだ。


 血飛沫をあげて崩れ落ちる父を見ながら、高笑いを響かせた何冲天の顔は、呼狐澹の記憶に焼き付いていつまでも離れなかった。


「あの時……、子供一人殺し損ねた事……、必ず後悔させてやる……!」


 呼狐澹はそう言うと拳を握り締めた。緑風子は物悲しそうに押し黙っていた。趙英は少しの間を空け、言い聞かせるように静かに言う。


「お前の気持ちはよく分かった。仇討ちも正当だ、止めはしない。だが今のままじゃ返り討ちも間違いないぞ」

「分かってる。だからオレ、頑張るよ……」


 そうして決意も新たに、一行が漢陽郡にいざ旅立とうとした翌朝、襄武城に早馬が到着し、街に噂が駆け巡った。


 馬超軍、上邽じょうけいで蜂起す。





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