第34話 因縁は意外なところにある
1
「最後は希愛だ」
言って、青夜はペンを構えた。一同の視線が希愛の口元に注がれる。
希愛は僕と一緒に別館のラウンジにいたのだから、彼女の潔白は僕のアリバイ調査によってすでに証明済みなのだが、それでもなぜか緊張した。
「大望くんの話とほとんど一緒なんですけど、えと、十二時四十五分頃に大望くんと別館へ行きました」
そう。僕たちは二人で別館へ向かった。
「それから青夜兄さんが呼びに来るまで、ラウンジにずっと一緒にいました。その間、他の誰とも会っていません」
青夜が事件の発生を伝えに来たのは午後二時半頃だった。
それまで、僕たちは別館二階のラウンジで同じ時間を共有していた。よって、彼女と僕はお互いにアリバイを保証し合える。そう安心していたのもつかの間、青夜が爆弾を投げ込んだ。
「十五分」
「え?」
「十二時半から十二時四十五分まで、希愛、お前は小ホールにいなかっただろう? 大望くんと出て行く前に、一度席を立っている」
スタンガンを直に当てられたような激しい痛みが僕の心臓を直撃した。
家族会議が終わった後、僕は希愛から別館に行こうと誘われるまで、小ホールにいた。そしてその間は事件について考えていたため、誰がいつ出て行ったということには意識を向けていなかった。
知らなかった。
希愛が一度小ホールから出て行ったなんて……
何をしていたのだろう。十五分あれば、殺人はたやすい……か?
いや、彼女に限ってそんなことがあるはずがない。そう自分に言い聞かせた。
「ええ、まあ」
「どこに行っていた?」
ぴりぴりと空気が張り詰める。黒音はおろおろと、困惑したような目を周囲に振りまいた。
希愛は腹部を押さえながら、
「気分が悪くなったから、お手洗いに」
「……そうか」
青夜は案外あっさりと引き下がったが、場には依然として不穏な緊張感が漂っていた。
今行われたアリバイ調査によって得られた客観的事実は、青夜、希愛双方に完全なアリバイがないというものだからだ。
悪魔の血を引く彼らのどちらにも犯行の機会があった。無論僕は希愛を信じているけれど、ほかの人間にしてみれば、希愛はまだ疑うべき対象から外れていない。
きっと、彼女の実母である黒音にとっても……
嫌な沈黙が流れつつあった。
「あの、お父さんが残したダイイングメッセージについてなんですけど」
場の空気を変えるかのように希愛が切り出した。怯えを孕んだ声色で、彼女は言葉を選ぶように言う。
「お父さんは、血で12を書き残したんですよね」
「何か考えがあるのか?」
希愛はこくんと頷く。
「この家の人たちに関係ある12って数字を考えていたら、一つ思い当たるものがあったんです。皆さんは第十二代天皇をご存知ですか?」
希愛はざっと場を見渡したが、答える者はいなかった。
十二番目の天皇を持ち出してくるとは歴史好きの彼女らしい発想だが、そんな大昔の人物が大紋家にどう関係してくるのだろうか。
「
「その景行天皇が今回の事件にどう関係してくる?」
皆の疑問を代弁するかのように青夜は言った。
「問題は景行天皇の系譜です。彼はある人物の父親でした」
「ある人物?」
「名前くらいはご存知でしょう。火の国――現在の九州に勢力を置いていた
ヤマト、という部分に反応して、黒音が「ああ」とか細い声を漏らした。
なるほど、たしかに繋がった。
千年以上前の天皇と大紋家。およそ接点のなさそうな二つを繋いだのは、ヤマトという名前だった。
大紋大和。
「お父さんが残したと思われる12という数字は、ヤマトという名前の息子を持つ人物が犯人である、という意味ではないのでしょうか」
「つまり、大和の父、太一伯父さんが犯人だと? しかし俺は大望くんと地下牢を見てきたが、彼はいまだに檻の中にいた。脱出することはできないだろうし、そんな痕跡もなかったぜ」
「私だって本気でそう思ってるわけではありませんよ。あまりに回りくどいし、死にかけの人間がこんな複雑な暗号を残すのは不可解です。ただ、12という数字にはそういう解釈もできるってことを伝えたくて……」
「でも、可能性はゼロではないんじゃないかしら」
娘の援護をするかのように、神妙な面持ちで黒音が言った。
「というと?」
「自力での脱出が不可能でも、誰かが手助けして太一さんを脱獄させたのかもしれない」
「ふうむ。ではそいつはいったいどういう意図があって目覚めている人間を地下牢から出したのでしょう。目覚めた者は殺人衝動に逆らうことができず、見境なく人を殺す。下手をすれば自分が殺される危険だってあるのに」
「それもそうね……」
それから、ダイイングメッセージについて各々が自分なりの解釈を述べていったが、これといって特筆すべき意見は出なかった。
唯一その答えを知る英生がもうこの世にいない以上、誰の意見が正しいのかを判断するすべがないのである。
答え合わせのできないなぞなぞに取り組んでいるようなもので、脳みそがいっそう疲労してしまった。
午後三時を回ったところで青夜が席を立った。
「さて、俺は席を外させてもらおう」
「どこへ行くんですか?」
僕は訊く。
「少し遅くなったが、親父に報告をしてくる。第二の事件が起きちまったってな。いや、大望くんが襲われたのを合わせれば第三の事件か」
「じゃあ私も」
黒音も腰を上げて、
「鳥谷さんと大和くんに伝えて来るわ」
「あ、くれぐれも美空伯母さんには――」
「判ってるわ。これ以上刺激させない方がいいわね」
「お母さんが行くなら、私も一緒に行きます」
希愛も立ち上がって母親の隣にぴったりとついた。
僕もついていこうか迷ったがやめておいた。父を失った悲しみを癒せるのは、血の繋がった母親といる時だけだろうから。
2
三人が出ていくと、食堂はいっそう静けさを増した。
恐怖と不安ですり減った神経にとって、孤独は猛毒である。誰かと共にいなければ、人の心は快復しない。そういう意味では、河崎はありがたい存在だった。
「おかわりをお持ちしましょう」
二人分のアイスコーヒーと菓子類が乗った盆をテーブルに並べると、彼は前に座っていた席ではなく、僕の正面へと腰を下ろした。
「ご安心を。毒など入っておりませんので。ほっほっほ」
「ありがとうございます」
「何、そう気を張り詰める必要はありませんよ。今ここには源十郎氏の血を引く者はおりません」
「そうですね」
僕を気遣う姿勢は、ベテランの使用人というよりも孫を見守る祖父のようだった。お爺ちゃんがいたらこんな感じなのか、と施設生まれ独特の感想を抱いた。
「河崎さんはここで働き始めて長いのですか?」
気になっていたことを訊いてみた。
「もう二十年、いやもっと前になりますか。元々は東京のホテルレストランを経営していたのですが、バブル崩壊のせいで地価が下がり、色んなチェーン店や居酒屋がたくさんオープンし出し、飲食業界は飽和し始めてしまったんです。それで客足がめっきり減ってしまった。それだけならまだしも、ホテルそのものが潰れてしまいましてね。返すあてもない膨大な借金を前に本気で首をくくろうかと考え始めた、そんな折、常連だった太一様がお誘いくださったのです。借金の肩代わりを条件に、ウチで働かないか、と。そうして妻と共にこちらにやってきたわけです。しかし、妻はその翌年に死んでしまった」
悲しそうに目を細め、河崎は鼻頭をこすった。
「何か重たいご病気で?」
「いいえ」
「では事故に巻き込まれて?」
河崎はこれにも首を振る。となると……。僕は生唾を飲み込んだ。
「もしかして、目覚めた者が起こした事件のせいで?」
その時、河崎のしわがれた顔に悲嘆の色が浮かんだ。
辛い記憶をほじくり返してしまったようで、僕は居たたまれなくなった。野次馬根性で人の辛い過去にわざわざ踏み入ってどうする。自分で自分を殴りたい気分だ。
それでも、河崎は僕の質問に真摯に答えてくれた。
「ええ。ここに移る前に大紋家の抱えている秘密は聞かされていましたし、太一様からはそれを考慮した上で住み込みで働くかどうかを決めてくれ、と念押しされていました。しかしまさか、小説の世界でもあるまいに、殺人衝動が遺伝する家系なんて、そんな馬鹿な話があるか、と私は短絡的に身の振り方を決めてしまったのです」
「あの、失礼ですが、どうして奥様を殺されたのにこの家で働き続けているのですか?」
僕には理解できなかった。
隠蔽の掟は当時から存在していただろうから、河崎の妻を殺した大紋家の誰かは、法的に裁かれることなく地下牢に繋がれることになったはずだ。
いくら事前に説明があったとはいえ、その犯人の処遇に河崎が納得したとは思えないし、妻を殺した一族にコックとして雇われ続けるのをよしとするのもおかしい。
僕の困惑を察したのか、河崎はくくっと低い声で笑った。
「ああ、言葉が足りませんでしたな。違うのですよ」
「違う、とは?」
「妻は――
「は?」
「由伊里の中の悪魔が目覚め、罪のない人間を何人も殺してしまった。その自責の念が、彼女に自死を選ばせたのです」
「ちょ、ちょっと待ってください。ということは、河崎さんの奥様は大紋家の人間だったのですか?」
河崎はにわかに首を振って、
「そういうわけではございません。由伊里はたしかに源十郎氏の血を引いてはいましたが、正式な大紋家の血筋ではありません。つまり、彼女は源十郎と妾の間に生まれた娘だったのですよ。幼い頃はこの家で育ったそうです。太一様が私と由伊里を雇ってくださったのも、その縁があったからなのです」
僕は驚きのあまり声が出なかった。
「私がその事実を知ったのは事件が起きた後でしたが、もしそれを早くに知ることができていたらきっと太一様のお誘いは断ったことでしょうな。そうそう、この家で働き続ける理由もお訊きになりましたね。私がここに居続けるのは、由伊里が最期を迎えた場所で死にたいからなのです。愛する彼女が眠るこの家でね」
悲壮な、それでいてどこか朗らかな調子で河崎は言った。
「由伊里は聖女のような女だった。どんな時でも私を立てて寄り添ってくれた。どんな困難にぶつかっても、笑顔を絶やさずにいた。そんな彼女だからこそ、己の犯した罪に圧し潰されてしまったのでしょう。驚かれましたか?」
「ええ」
「朝霧様、当人が気づいていないだけで人の因縁というものは意外なところにあるものです。この世には他人などいません。全ての人間は何かしらの形で助け合い、そして繋がっているのですよ。それが社会であり、世界なのです」
人の因縁は意外なところにある。
なぜか、その言葉は楔のように僕の心に打ち込まれて離れなかった。
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