第16話 実に論理的かつ単純な結論
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「窓から犯人は逃げたと言うが、いったいどうやって逃げたのだろうか。大望くんの部屋は二階だろう? 地面までは十メートル近くある。林まではかなり距離があるから木を伝って降りることもできまい」
英生が突然言った。
「はしごを使ったのでは?」
青夜が答える。
「この嵐ではすぐに飛ばされてしまうだろうさ。それにこの家にそんな長いはしごはないだろう」
「窓枠にロープを結んで、それを伝って降りたのかもしれません」
「ありえんな。犯人は大望くんに見つかったために、大急ぎで逃げたのだろう? そんなことをしている余裕などないはずだ。第一、そうなら部屋にロープが残っているはず。それらしいものはあったか?」
僕と青夜は顔を見合わせ、無言で首を振った。英生はさらに追及する。
「では部屋の中に隠れていたか?」
「いませんでしたね。一応用心として隠れられそうなところは確認しました。な、大望くん」
青夜がこちらに視線を送る。
「ええ」
「では犯人はどこへ消えたのだろうな。大望くんには悪いが、そんなものは初めからいなかった、と考えるのが論理的ではないだろうか」
「お父さん、大望くんを信じていないんですか? 大望くんがこんな騒ぎを起こすためだけに嘘をついていると?」
語気を強めて希愛が言った。
「そうは言っていない。大望くんが犯人を目撃した、というのはきっと真実だろう。私が言いたいのは、それが、夢の中か現実か、ということだ。夢の中で目撃したのなら、犯人が煙のように消えてしまったことにも説明がつく」
それはまるで自分にそう言い聞かせているようにも聞こえた。言葉にすることで、自分の考えに説得力を持たせたいのだろう。英生はあくまで、僕が夢を見たと信じたいようだ。
あれは夢だったのだろうか。
「窓が開いていたことはどう説明するんです?」
冷静に青夜が訊く。
「寝ぼけて開けたのだろう」
「しかし英生おじさん、万が一、ということもあります」
青夜は煙草の箱を取り出したが、中身が空だったらしく、小さな舌打ちをして握り潰した。
「青夜様の仰る通りです。英生様、最悪の事態だけは避けなくてはなりません」
河崎が言った。
「判っているさ。この程度のことで動いてくれるかは判らんが、鳥谷さん、警察へ通報してくれ」
「よろしいのですか? その、源二様に報告を……」
「かまわん」
「は、はい」
強張った返事をすると、鳥谷は一階のロビーへ降りていった。そこに電話機があるのだ。
しかし、五分と経たずに彼女は戻ってきた。額にびっしりと汗を浮かべ、震えた声でこう言う。
「駄目です、繋がりません」
「繋がらないだって?」
「はい、電話線は無事なのですが」
「この豪雨のせいで、近いところで土砂崩れが起きたのかもしれんな。ケーブルがそれで駄目になったのかもしれん」
無感情な声で英生は言う。
「ああ、駄目です。携帯も繋がりません。近くの基地局も被害にあったみたいだ」
スマホを耳から話して、青夜は画面を憎々しげに睨みつけた。
外界との連絡手段がこの嵐によって絶たれてしまったようである。
「ふん、ある意味では都合がいいな」
言って、英生は立ち上がった。
「朝になったら本館の連中にも報告をして、源二の判断にまかせよう。場合によっては私が車を出して電波状態のいい場所まで行ってもいい。こうして集まっていても、今はもう何もできることはあるまい。私は休ませてもらうよ。もう三時だ。皆も休みたまえ」
英生がラウンジを後にすると、一人、また一人と席を立ち、残ったのは僕、青夜、希愛の三人だけとなった。
「希愛さんも、休んでください」
「……大望くん」
「全部僕の夢だったかもしれないんです。冷静になって考えてみれば、あんなことをする人がこの家にいるとも思えないし。そうだ、きっとそうですよ、お騒がせしました」
僕は深く頭を下げた。顔を上げると、苦々しい顔をした希愛と青夜が僕を見つめていた。
「夢なんかじゃないよ」
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「え?」
「これは夢なんかじゃない。現実に起きた、殺人未遂事件だ」
青夜がはっきりとそう言った。
「どうして判るんですか?」
不安そうな、かすれた声で希愛が訊く。
「気になっていたことがあるんだ。二人とも、一緒に来てくれ」
そうして僕らは再び現場となった僕の部屋に向かった。
「希愛はそこで待っていてくれ」
青夜はそう言って、希愛を戸口の手前で待つよう指示した。
開け放された窓からは雨が、風が、勢いよくなだれ込んできている。
濡れるのもかまわず、青夜は窓の前まで歩くと、落下防止用の手すりに手をついて顔を外に出した。
「犯人は本当に廊下から侵入し、そしてこの窓から脱出したのだろうか」
「どういうことですか?」
「この騒動が君の見た夢である、という英生おじさんの主張を否定できないのは、犯人が煙のように消えてしまったからだ。たしかに、この窓から下へ脱出するのはちょっと不可能だと思う。はしごなんかは風で飛ばされてしまうし、俺と君が廊下で会ってから部屋に突入するまで二十秒もかかっていない。そんな短時間でロープを手すりに結びつけ、脱出し、ロープを回収するのもまた不可能だろう」
「飛び降りたのでは?」
青夜は顔を出したまま、
「たしかにこの雨によって地面はぬかるんでいるが、この高さから飛び降りるのは相当危険だ。小さくない怪我を負うだろう」
「それはまあ、そうかもしれませんが。じゃあ、いったい犯人はどこから逃げたのですか?」
窓は開けたまま、青夜は頭を引っ込めた。髪はすっかりびしょ濡れである。
「廊下ではないことだけはたしかだ。俺と君が廊下にいる間、誰も出てこなかった。これは侵入の際にも言えることだ。出入りしたのは廊下ではない。誰かに目撃されればそれでゲームオーバー。見つかった際のリスクが大きすぎる」
「ではいったいどこから……」
「残された経路はやはり窓しかない。この不可解な状況に対する答えは一つしかないんだ。犯人は窓から侵入し、そして窓から脱出したのさ」
僕はあっけにとられてしまい、はぁ、と情けない息を漏らすばかりだった。彼の言っていることがいまいち理解できなかったのである。
「ど、どういうことでしょうか」
「君の証言によると、雷の光で犯人がベッドの前に立っていることに気づいたんだったね?」
「ええ」
「希愛、ちょっと電気を消してくれ」
「はい」
希愛の返事と同時に明かりが消え、部屋が薄闇に包まれた。
「大望くん、俺の姿が見えるかい?」
「……いいえ」
「だろうね。俺も君の姿は見えない。さて、この闇の中で、君はどうやって犯人の姿を見たんだい?」
「それは、雷が落ちて、その光でぱあっと部屋が明るくなりまして」
息遣いで誰かが潜んでいることには気づいていたが、直接犯人の姿を目にしたのは、雷の光が部屋の中に差し込んでからだった。
「それが何か?」
夜の闇に紛れた青夜が今どんな面持ちでいるのか、僕には判らないが、きっと彼は呆れているのだろう。小さなため息が聞こえたのだ。
「まだ気づかないかい? 君が寝る前、希愛はしっかりカーテンを引いたんだろう? なら、雷光が部屋の中に差し込むのはおかしいじゃないか」
「あっ!」
「これが何を意味するか。すなわち、犯人がこの部屋に侵入した時点でこの窓は開いていたんだ。なぜ開いていた? 廊下から侵入し、廊下へ出ていく計画なら、窓を開ける必要なんてない。無駄な行為だ。窓が開いていたのは、犯人がそこから侵入したからなんだよ」
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