第二章  嵐の夜の悪夢

第9話  いくつもの謎

 1



 別館の客室に戻り、シャワーで汗を流した。体はすっきりしたが、心の中にはもやもやと黒い霧が立ち込めているような気がして、複雑な思いだった。


 窓から顔を出し、眼下の林を眺めた。

 大和と出会ったあの広場は、果たしてどの辺りだろうか。

 西側の遊歩道を彷徨っているうちに辿り着いたので、少なくとも敷地の西のどこかにあるはずだが。視線を移ろわせるも、それらしいものは見当たらなかった。


 空は相変わらずよく晴れているが、西の彼方に鼠色の分厚い雲が横たわっているのが目に入った。そういえば、今朝観た天気予報によると信州は今日から大きく天気が崩れ、この地方は大雨が降るそうだ。


 あの使い古された消しゴムのような色をした雲が、この空を覆いつくしてしまう前に散歩をしておいてよかった。


 時計を見ると、まだ十一時だった。


 ベッドの縁に腰かける。


 頭が重い。数々の謎が、その答えを出さないまま積み重なり、僕を悩ませているのだ。


 青夜の言う、度胸とは何だろう。


 林の中で見つけたあの広場は何だろう。


 何のための慰霊碑なのだろう。


 石造りの建物は何なのだろう。


 なぜ大和はあそこにいたのだろう。


 なぜあの場所に近づいてはいけないのだろう。


 気になるといえば、希愛が言いかけた青夜と葉月の間にいたという「もう一人」のことも気になる。


 この屋敷に来てまだ一日と経っていないのに……いや、一日しか経っていないからこその謎なのかもしれない。

 この屋敷で生活を送る大紋の人間ならば、これらの謎は謎ではない。青夜が言っていたではないか。


 ――もし君が希愛と結ばれることを心から望むのなら……


 僕が希愛と結ばれ、正式に大紋の関係者になれば、これらの秘密の答えを知る機会を得られるということか?

 僕は深く息をついた。考えていても答えが出るわけではない。希愛が戻ってくるまでテレビでも見て時間を潰そうか。それとも課題に取りかかろうか。


「……」


 駄目だ。一度気になってしまうと、それが解決するまで他のことが手につかなくなってしまうのが僕の性分だった。


 ああ、知りたい。今すぐに。


 困ったことがあれば訊ねてくれ、と青夜は言っていた。

 僕は今、困っている。判らないことが多すぎて、困っている。

 全てを教えてくれるとは思えないが、根気よく頼めば少しくらいはこの家の秘密を打ち明けてくれるかもしれない。


 そうだ、そうしよう。

 思い立ったらすぐ行動。これも性分だ。


 僕は立ち上がり、淡い期待を胸に小走りで扉に向かった。

 廊下はひっそりとしており、人の気配は全くなかった。右隣にある希愛の部屋を覗いてみたが、やはりまだ戻ってきていない。

 突き当りにある青夜の私室に目をやり、そちらに向けて足を踏み出した。


「青夜さん、いらっしゃいますか」


 ドアをノックしつつ、呼びかける。返事はなく、拳をドアに打ち付ける音だけが長い廊下に反響した。


 部屋にいないのか、それとも返事ができる状態にないのか。今朝会った時、彼の目に薄くくまができていたことを思い出した。夜型の生活を送っていて、今は寝ているのかもしれない。


 それとなくノブを握ってみると、難なく回った。


「青夜さん?」


 小さくドアを開け、隙間に顔を入れて再び呼ぶ。――やはりいない。


 部屋の造りは僕の客室とほとんど変わらないが、雰囲気はまるで違った。


 窓とシャワールームに通じる扉を残して、三方の壁は全て天井まで届く書架で埋められている。

 ベッドサイドには書き物机があり、その上は紙の山ができていた。床にはいくつもの段ボールが転がり、全体的に雑多な印象を受けた。まるで作家の仕事部屋のようだ。


 いないのならば仕方ない。出直そう。


 そう思って扉を閉めた瞬間、僕の両肩にどんっと、重みが加わった。


「わっ」




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