第29話 緊急会合
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――本館一階の最奥部にある小ホール。
高い天井を持つ二十畳ほどの部屋である。
壁の高い位置には100号サイズの風景画が飾られ、天井からは暖かい光を発する小型のシャンデリアが吊るされている。
洋酒の瓶がずらりと並んだサイドボードの上には、大型のアクアリウムが設置され、揺らめく水草の間を色鮮やかな魚たちが踊るように泳いでいた。
平素は家人たちが団欒の時間を過ごしているであろう空間にはしかし、いつ破裂するとも知れない、物々しい空気が満ちていた。
僕は部屋の隅の長椅子に腰かけ、舞台を眺める観客のように目の前の光景を静観していた。
大紋家に住まう人間のほとんどがこの場に集まっていた。
いないのは、今だに目を覚まさない美空と、大和の代わりに彼女の看病を任された鳥谷だけ。
僕の隣には希愛がおり、同じ長椅子に座って身を寄せている。皆、思い思いの場所に身を落ち着かせているが、その視線は一つの場所に集まっていた。
部屋の中央に置かれた革張りのソファーに深々と座っている男――大紋源二は一同の視線を一身に受けたまま、その鬼のような鋭い眼差しを目の前のテーブルに落としていた。大紋家の当主である彼の言葉に、皆が注目しているのだ。
白いものの交じった髪を短く刈り上げ、濃紺のスーツに身を包んだ源二は、大企業のリーダーというよりかは任侠の世界の親分に見える。
ただそこにいるだけで、周囲に威圧感を振りまき、緊張を強いるようなタイプだった。
ロングケースクロックが正午の鐘を高らかに響かせた。それが合図であったかのように、源二は口を開いた。
「再び、我々の中に流れる悪魔の血が、我ら血裔を悪魔へと変貌させてしまった」
見た目に反して、よく響く若々しい声だ。源二はちらと視線を僕の方へ移して、
「朝霧大望さん、このようなことに巻き込んでしまって、本当に申し訳なく思う」
突然の呼びかけに、僕は反射的に背筋を伸ばした。
「い、いえ、そのようなことは」
「聞けば、あなたは希愛と将来を誓い合った仲だそうだが。どうだろうか。青夜からこの家の秘密を聞かされてなお、君は希愛と添い遂げる覚悟がおありか?」
視線が今度は僕の方へ集まる。それらから逃れるように横を向くと、寂しそうに目を伏せる希愛の横顔が目に入った。
唇は震え、目尻にはうっすらと涙で濡れている。
希愛の体にも源十郎の血は流れているのだ。
今、彼女はどんな気持ちでこの場にいるのだろうか。
つい先ほど、青夜が僕に源十郎の代から続くこの家の秘密を打ち明けたことを皆に説明した。その時の彼女の表情には、まるで世界の終末に直面したかのような絶望感が浮かんでいた。
僕にだけ聞こえるくらいの声量で「ごめんなさい」という言葉が希愛の口から発せられた。
希愛は僕に大紋家の裏の顔を隠していた。
自分が殺人鬼の末裔であること。
大紋家の人間が殺人衝動という精神疾患を発症する危険性を抱えていること。
そして身内で起きた殺人事件を隠蔽し、現在進行形で監禁という犯罪行為に手を染めていること。
それらの事実を知った時、大きなショックを受けたことはたしかだった。良識ある人間ならば特に、犯人を監禁することで事件を隠蔽する、という点には閉口してしまうだろう。
それがまかり通ってしまっていることは、何より源十郎、いや、彼の血を大紋家の人間が恐れていることを意味している。
希愛もそうなのだろう。
そしてだからこそ、真実を打ち明けることで僕が離れていくかもしれないと思ったのかもしれない。
世間では殺人犯の身内というだけで加害者家族に冷たい目を向ける人種がいる。彼らは何もしていないのに、あることないことをでっちあげられ、熾烈な嫌がらせを受けてしまう。
しかし、と思う。
しかし希愛は何もしていないのだ。彼女が過去に殺人を犯したわけではない。彼女が後ろめたい思いを抱え続ける必要なんてこれっぽっちもないのだ。
僕は希愛を愛している。その想いはちっとも変わることはなかった。
「はい」
「よろしい。ならば、君もこの家の関係者として扱わせていただこう」
源二は再びテーブルの上に視線を落とすと、ゆっくりと息を吐いた。
「現状を確認する。今日未明、およそ十年ぶりに我々の中の誰かが目覚め、紙谷が犠牲者となった。そして誰が目覚めたのかは全く判らない」
「それと、何者かが茜ちゃんの事件の前に大望くんを襲撃しています。こちらは未遂で終わりましたが、事件の間隔が短すぎるため、同一犯である可能性が非常に高いです。またこれらの行為は太一伯父さんの手によるものではありません。地下牢獄を確認しましたが、脱獄の跡は認められませんでした。明らかに、この中の誰かの手による犯行です」
青夜が付け加える。
その言葉を受けて、大和がほっと息をつくのが見えた。太一が地下牢を脱走した形跡が認められないことは、先ほど確認したばかりだ。
「ふむ、結構。ではまず訊く。この中に目覚めたのは自分だと告白する者はいるか?」
空気が乱れた。動揺と混乱、そして恐怖が視線となって場を行き交う。僕は隣に座る希愛の手をぎゅっと握りしめた。彼女だけは、ありえない。
誰も何も言わないまま一分が経過する。
「誰も自分が犯人だとは言わない、か。それにしても英生、余計な事をするんじゃない」
源二はぎろりと鋭い目を英生に送る。
受けて、英生は苛立たし気に鼻を鳴らした。彼の今朝の行動は隠蔽という大紋家の方針に真っ向から反するものだっだ。
「何も知らない人間に大紋の秘密を掘り起こされてはかなわんからな。土砂崩れに救われた」
「救われた? 状況がさらに悪くなっただけだろう」
英生は厳しい顔で応戦する。
「最悪の状況だけは免れた。外部の人間の介入ほどこの家にとって不利益になることはない」
「今までは目覚めた人間を現行犯で捕まえることができたから警察が必要なかっただけだ。今回は違う。誰が目覚めたのか判らない。これ以上被害者を生む前に警察に通報し、綿密な捜査を――」
「綿密な捜査の結果、無事犯人を捕まえることに成功したとしよう。そいつが口を割ってこの家の秘密が警察に漏れれば、当然源十郎の時代から行われてきた数々の犯罪が明るみに出ることになる。また、警察が捜査の途上で地下牢獄を発見してしまう危険性も考えられる。今のはほんの一例だが、秘密が漏洩するリスクはいくらでもある。英生、私の言っていることが理解できるか? 我々が抱えている秘密は、そのひとかけらでも外部に漏れれば大紋グループの存続が危ぶまれるレベルのことなんだ。一度隠し通すと決めた以上、もう後には引けんのだ」
「ならどうするつもりだ。我々で犯人探しをするつもりか?」
「そんな必要はない」
「だったらどうする――」
「待つしかあるまい」
源二は重たく言い放った。
「待つだと?」
「目覚めた人間を判別する方法がない以上、その現場を直接押さえるほかに手はあるまい」
英生は眉間にしわを刻みながら、
「どういう意味だ?」
「そのままの意味だ。殺人を目撃されてしまえばさすがに言い逃れはできないだろう? 源十郎の血に目覚めた犯人は今、人を殺したくて殺したくてたまらないはずだからな。いつか必ずボロを出す」
つまり新たな犯行を待ち、その瞬間を押さえるということか。たしかにそれならば言い逃れはできないが……しかしそれはあまりにも――
「ふざけるな。新しい犠牲者が出るまで何もせずに待てというのか」
そう、ふざけた意見だ。
犯人を捕まえるために誰かが犠牲になるなどあってはならないし、必ず犯人を拘束できるわけでもない。
最悪の場合、だれが犯人なのか判らないまま犠牲者だけが増えていくことになる。
「どのみち土砂崩れで逃げることはできない。携帯の電波も入らんままだ」
僕が受けた源二の印象をそのまま言葉にするなら、それはまさに冷徹そのものだった。
やけになっているのではないか、と勘繰ってしまいたくなるほどの極論だが、それを口にした本人に動揺は見られない。彼は心の底から待ちに徹するべきだと思っているのだろう。
「これ以上犠牲者を出してたまるか」
「英生、少し落ち着け」
「落ち着いていられるか」
「繰り返すがこの件を警察にゆだねることは許さない。優先すべきは大紋一族の存続だ」
「こんな、悪魔の血を……次の世代に繋げて何の意味が――」
「英生おじさんっ」
青夜は表情を強張らせた。その先は言ってはならない、と青夜の目が訴えている。
「前々から思っていたことだ。父も伯父も源十郎の血によって人生を捻じ曲げられた。人を不幸にするだけの、こんな呪われた一族、いっそのことリセットすべきだ」
本心の吐露だったのだろう。言い終えた英生の顔には、後悔の念が浮かんでいた。それを受けてなお、源二は眉一つ動かさず、
「言いたいことはそれだけか? 考えろ。黒音さんと希愛のことを。新たに大紋家に加わった大望くんのことを。彼女たちに殺人一族の汚名を着せることをよしとするのか?」
「それは……」
「我々のするべきことは十年前と何も変わらない。目覚めた者を地下牢獄へと閉じ込める。ただそれだけだ」
場に沈黙が落ちた。
源二の言葉には心を押し潰すような重みがあった。大雨、土砂崩れ、奪われた連絡手段……外界と隔絶された状況が、それ以外に方法はない、と思わせる屋台骨となってしまっている。
加えて、現在まで隠蔽をよしとしてきた後ろめたさとそれによって形成された倫理観の欠如。
諦めの感情が一同を支配していた。
犯人が自主をすれば問題はあっという間に解決するのだが、そんなことは期待するだけ無駄だろう。目覚めた者は地下牢獄に一生繋がれてしまうのだから。
「さて」
沈黙を破ったのは源二だった。わざとらしい咳払いで周囲を威嚇してから、彼は言う。
「全員、携帯電話と車のキーを持ってこい。事件が解決するまで私が預かろう」英生を一瞥して「基地局や道路が復旧したら、今朝のように独断で動く阿呆が出てくるかもしれんからな。今持っていない者はすぐ取りに行け。ここにいない者の分は青夜、お前が回収しろ。さあ早く」
ここまで徹底するのか。
ズボンのポケットからスマートフォンを取り出し、画面を覗く。
ステータスバーには圏外の表示が出たままだ。青夜が立ち上がり、この場にいない者たちのもとへ向かう。それを合図に、一同は当主の指示に従って各々動き始めた。
こうして、僕たちは当局へ通報するための連絡手段を完全に失った。
――*
頭がおかしくなる。
誰かを殺したくてたまらない。
茜の顔を切り刻んだ時の高ぶりが忘れられない。
人の命が消え入る瞬間のあの美しさ、達成感、そしてもう二度と会えなくなる喪失感。
あれをもう一度味わいたい。
しかし、これは本心では決してない。
本当は殺人なんてしたくない。
怖い。辛い。苦しい。
こんなことになるくらいだったら、あの時、確実に大望を殺しておけばよかった。
包丁を握る手にほんのちょっぴり力を込めて、そのまま振り下ろすだけでよかったのに。
それができなかった。
今になって、後悔ばかりが湯水のように湧き出てくる。
……後悔?
何に対する?
決まっている。己の弱さに、だ。
どうしてできなかったのだろう。なぜ躊躇した?
大望さえ殺しておけば、こんなことにはならなかった……
そう、殺さなくてはならない。
これは、絶対になさなくてはならないことだ。
例え、自分が殺されようが、地下牢獄に繋がれようが、朝霧大望だけは絶対に殺しておかなくてはならないのだ。
機会は必ず訪れる。その瞬間を待て。
大望さえ殺してしまえば、あとはどうなっても構わないのだから。
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