第41話 兄と妹
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どれだけそうしていたのだろう。
青夜は妹を離しはしなかった。膝を落とし、葉月を胸に抱きながら、青夜はずっとそのまま動かなかった。
だらんと垂れ下がった細い腕。
その指先を見つめていると、ふと、彼女とチェスをしたことを思い出した。あれは昨日のことだったか、それとも一昨日だったか……
結局、葉月には一度も勝てなかったっけ。あの情景はつい最近のことなのに、とても遠い記憶のようにセピア色をしていた。
もうこれで三人死んだ。
たった一日で、三人死んだ。
とても恐ろしいことのはずなのに、その事実を容易に受け入れてしまっている僕がいる。
大紋家という場の持つ独特の空気によって、人の死に対して鈍感になってしまっている。そのことこそが恐怖だった。
「葉月の死は俺の責任だ。まとまって動くべきだった。殺人鬼が紛れ込んでいることは最初から判っていたんだ。強引にでも、集団で捜索にあたるべきだったんだ。俺が葉月を殺したようなもんだ」
「それは……」
違います、とは言えなかった。
美空の捜索にあたって、これ以上被害を出さないための最善手は、捜索隊が一つにまとまって互いに見張り合いながら動くことだった。
誰かが不穏な動きをすればすぐに気づくことができ、被害を防ぐことができたはず。しかしそれではこの広大な遊歩道の中から動きの読めない人間を見つけ出すのは現実的ではないから、あのような決断になってしまった。
青夜一人を責めるのは筋違いだ。
焦り、不安、そして殺人事件の重圧が僕たちの判断を鈍らせた。何より皮肉なのは、バラバラに動くことを真っ先に提案した葉月が被害者となってしまったことだ。
華奢な体に光を当てる。足の先から観察する。外傷らしきものはなく、血も出ていない。
「首を絞められている」
言って、青夜は妹の白い喉をさすった。なるほど、喉元に薄紫色の小さな扼痕がぽつぽつと浮かび上がっているのが判る。
「扼痕の位置を見るに、背後から忍び寄って絞め殺したようだ。甘かったな。人を殺すのに、凶器なんていらないんだ」
しゃがみ込み、葉月の手首を握る。
温かい。殺害直後だからかまだ体温は残っていた。本当はふざけているだけなのでは? というかすかな希望を抱いていた僕だが、葉月の手に触れて理解した。
脈がない。
そのことを確認し終えると、僕は静かに立ち上がった。
「青夜さん、こんなことを言うのは心苦しいですが、悲しんでいる暇はありません。皆を集めましょう。犯人はまだこの林の中にいます。早くしなければ、四人目の被害者が出てしまいます。早く」
葉月を殺した人間は捜索隊の中にいた可能性が高い。
大紋家の人間が犯人ならば、そいつはおそらく葉月と合流し、捜索をしている最中に殺人衝動に襲われたのだろう。僕と行動を共にしていた青夜、被害者となった葉月を除けば該当者は二名。
希愛と大和だ。
「そう、だな」
力なく答え、青夜は葉月を一度地面に寝かせた。そして僕の方を見上げる。
――とその時、青夜の顔に異様な困惑の色が浮かんだ。それは妹の死に直面した直後の男がするにはあまりに純粋すぎる表情だった。心の底から不思議なものを見るようなその目に、僕は一瞬たじろいだ。
「どうされました?」
青夜は答えないまま、僕の顔を見続けている。その面持ちに変化はなく、彼のヘッドライトの光が直に当たって眩しい。
かと思えば、突然顔を落とし、何か呟き始めた。そして次に彼が顔を向けたのは、僕の手に握られている懐中電灯だった。
「青夜さん?」
葉月が殺されたショックでおかしくなってしまったのだろうか。これまでの彼は事件に対してどこか達観したようなところがあったが、今の彼からはそれが感じられない。
動揺。そして困惑。
やはり実の妹の死は精神的に耐えがたいものなのか。
「……ならあれは、ああ、そうか。……それで血が半分を――」
「青夜さんっ」
「しかし、どうして? 大望くんの言うように、いやだが――。なおさら、どうして……くんを狙ったのか」
「青夜さん! しっかりしてください」
僕の声がようやく彼の鼓膜に届いたのか、初めて音というものを認識したかのように青夜ははっと顔を上げた。
「おお、ずいぶん大きな声だな。心配しなくていいさ。俺は正常だよ。そう、俺はね」
「早く戻りましょう。皆に葉月ちゃんのことを知らせなくては」
「そうだな。早くたしかめなくては。すまないが、葉月のランタンを持って行ってくれないか」
そう言って、彼は妹の亡骸を抱えながら立ち上がった。
僕は泥で汚れたランタン型の懐中電灯をもう片方の手に持ち、踵を返した。大きく一歩足を踏み出すのと同時に涙があふれた。
悲しみにくれる暇はない。
一刻も早く葉月の死を皆に伝えなくては。
広場を後にして迷宮へと足を踏み入れる。
足が重い。これから待っている展開のことを考えると、足取りは自然と重くなる。
「おーい、皆さん、いますかー」
僕は声を上げながら進んだ。美空を捜索中の者が近くにいるかもしれない。できれば合流してひとかたまりになりたい。精神的にも、防犯の意味でも、それが安全なのだから。
青夜は葉月を抱えながら僕の斜め後ろを歩いている。
「おーい、誰かいま――」
五分ほど歩いたところで、僕の呼びかけに応えるようにかさり、とどこからか音がした。
耳障りの悪いその衣擦れのような音は真横の木の陰から聞こえてきたように思う。捜索隊のメンバーだろうか。
僕は足を止めてそちらに光を向け、声を投げる。
「すいません。誰かいますか? 大変なことが起きました」
反応はない。
僕の気のせいか、小動物でも潜んでいたのだろうか。しかしそうでないということはすぐに判った。それから一秒も経たない内に青夜が叫んだのだ。
「大望くん、逃げろ!」
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