第27話 矛盾
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これでこの家を訪れてから出会った、大紋家に関する謎のほとんどは解決したように思う。
しかし、謎が解明されてこれですっきり、という気分にはならなかった。ただただ、尾を引くような後味の悪さが僕の頭の中に居座っていた。
この家は異常だ。
源十郎の殺人衝動の遺伝に科学的根拠があるのかどうかはさておき、彼らがそれを信じてしまっていることが何よりの問題だと思う。
その思い込みこそが彼らの善良な心を歪ませ、殺人という悪魔の所業に向かわせているのではないか?
青夜の言葉を借りるなら、肝要なのは環境である。
大紋家という環境こそが、彼らを殺人鬼へと変貌させてしまうのではないだろうか。
ただ、大紋家の直系以外、すなわち源十郎の妾の子の子孫たちにも同様に殺人衝動が現れているという現状がこの仮説の大きな障害となる。
彼らのほとんどは源十郎の過去の犯罪など知らないだろう。もしかすると自分が源十郎の血を引いていることすら知らない可能性もある。
とすると大紋の人間たちが、殺人衝動は遺伝するものである、と考えてしまうのは不自然なことではない。
「青夜さんは今回の事件も……その、殺人衝動に目覚めた人間によるものだと考えているのですか?」
「ああ。なんせ動機がない。この家の人間で、茜ちゃんとトラブルを起こしていた者はいないからね」
たしかに茜のような裏表のない明るく元気な女の子が、誰かに殺されるほど恨まれていたとは考えにくい。
「それはつまり、大紋家の人間の中に犯人がいると、そう考えているのですか?」
思い切って訊いた。青夜はうっすらと不気味な笑みを浮かべて、
「そうだ。今この家にいる源十郎の血を引いた人間は六人。俺、葉月、父親の源二、英生おじさん、大和、希愛。太一伯父さんも含めれば七人だが、あの人は地下牢から抜け出すことはできないから除外しても問題はないだろう。この屋敷の立地を考えても、殺人鬼が外から紛れ込んできたとは思えない」
「……希愛さんも?」
「希愛も源十郎の血を引いている」
「ありえません。だって、犯人は最初に僕を殺しかけたんですよ? 希愛さんがそんなことを、僕を傷つけるようなことをするはずが――」
そこまで叫ぶように言って、僕はあることに気づいた。その気づきは、この事件の核心を突く重要なピースのように思えてならなかった。
「青夜さん、殺人衝動による殺人は、人を殺したいという欲求を我慢できなくなって、本人の意思とは無関係に殺してしまう、という解釈でいいのですか? つまり、計画性の薄い突発的な殺人である、と」
「断定はできないが、統計的に見るとその事例が多いね」
「しかし、最初の事件――僕が襲われた事件はどちらかというと計画性の強い犯行ではありませんか? わざわざロープを用意して外壁を伝って侵入していますし、保身のためにマスクまでかぶっています。しかも僕が途中で目を覚ましたことで犯人は即座に逃走しているじゃありませんか。もし本当に人を殺したくてたまらない人間が犯人だったのなら、嫌な言い方ですがもっと殺しやすい人間をターゲットに選ぶのではないでしょうか」
「というと?」
「矛盾というほどではありませんが……なんて言えばいいのかな、事件の性格が異質というか、やけに手が込んでいる、というか……。茜さんの事件はシンプルです。同じ窓からの侵入ですが、一階と二階では手間が段違いです。最初のターゲットとして侵入が難しい二階の部屋にいた僕を選んだ、というところが、何となく引っかかるんです。部屋の鍵は開いていました。廊下から侵入することもできたはずです。それなのに、犯人はわざわざ外壁を伝って部屋の中へ忍び込んでいます」
「君を襲撃した犯人と茜ちゃんを殺した犯人は別かもしれないということかい?」
「いえ、そこまで話を進めることはできませんが」
百歩譲って、殺人衝動という一種の空想的概念が本当に存在するとしよう。
すると、犯人はあくまで突然人を殺したくなったはずであり、より容易で確実な方法を選ぶのが道理ではなかろうか。
僕と茜の事件は双方とも手口は同じで、凶器もおそらく同じであると思われる。だが、僕の部屋は二階で、茜の部屋は一階だ。侵入の難易度は文字通り天と地ほどの差がある。
「ふむ……言われてみればたしかに、周到な下準備の上で三階から二階の大望くんの部屋へ侵入するという犯行方法は、衝動的な殺人とは性格が違うね。とすると、犯人が一人なのか二人なのかはさておき、最初の大望くんの事件に限って言えば、犯人は他の誰でもない、君だけを狙っていた、という話になるのかな」
認めたくない事実を、青夜はあっさり言葉にした。
そうなのだ。
計画性の強さは、裏を返せば犯人はそれだけ僕に殺意を抱いていたという証明なのである。
昨晩、誰かが明確な殺意を僕だけに向けていた。
それに間違いはないはずなのだ。しかし、なぜ僕が殺されなくてはならないのか。僕が何をしたというのか。
胃や腸がぎゅっと縮むような、鈍い痛みが腹部を襲う。人に悪意を向けられることがこれほどまでに苦しいものだったとは……
「いったい、誰が?」
この家を訪れてから、誰かと揉めたということはないし、ほとんどの人間とは初対面だった。この家の人間と以前どこかでトラブルを起こした記憶もない。
僕がこの家で殺されなくてはならない意味とはなんだ?
つまり僕の事件に関しても動機が不明なのである。
何もない地面に突然穴が開いたように、事件が立て続けに起きている。だからこそ、青夜は大紋家に伝わる殺人衝動という大枠の中に僕の事件を取り込もうとしているのだ。
青夜にも源十郎の血が流れているのだ。彼もいつか殺人鬼として目覚めるのだろうか。もし今彼が目覚めれば、僕を殺そうとするのだろうか。
いや、もしかすると……
僕は別館の青夜の部屋で読んだ、あの殺人の場面だけが描写された原稿の山を思い出した。あれはもしかすると彼なりの代償行為なのかもしれない。
そうだ、青夜自身が言っていたではないか。
――俺という人間を人間としてこの世に保持するための代償――
現実世界で人を殺せないから、ああやって紙の中で人を殺すことで、殺人欲求を発散しているのかも……
「青夜さんは、目覚めているのですか?」
怒鳴られるのを覚悟で訊いた。青夜は一瞬虚を突かれたように真顔になったが、すぐにおどけたように笑って、
「秘密さ」
と言った。
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