第22話  前日譚 その2

 1



 両親の深い愛情を注がれながら源十郎はすくすくと育った。


 外出禁止令は八歳で解かれ、学習院ではなく周りの子供たちと同じ学校に通うようになった。

 両親は再び攻撃衝動が顔を出さないか気が気でなかったが、源十郎が悪意を持って他の子供たちに危害を加えることはもうなかったので、両親はほっと胸を撫で下ろした。


 源十郎は地頭がよく、途中編入ながらも成績は常に一番だった。

 三年生からは級長も務め、教師の信頼も得ていた。

 性格は長期にわたる軟禁生活が災いしたのか、ただでさえ物静かだったのがいっそう内向的になり、親でさえ彼が何を考えているのかよく判らなかったという。


 この時期の源十郎は、屋敷の女中だったおみつという若い娘に懐いていた。お光は口減らしのために近隣の百姓の家から奉公に出された娘で、十四の時に大紋家へやってきた。


 学校から帰るとお光の後ろをひょこひょこついて回り、まるで本当の姉のように慕っていた。

 小柄ながら器量がよく、仕事もしっかりこなすお光は、源十郎が懐いていることもあって正式に彼の世話係を任されることになった。

 年齢も源十郎と六つしか違わないため、お光の方も弟のように想っていた。



 2



 お光といると、源十郎は常に不思議な感覚に襲われた。


 下半身が燃えるように熱くなり、その火照りがどうやっても収まらないのだ。


 しかし、このたぎるような感覚は決して不快なものではなかった。性知識が皆無であるがゆえに、己の下半身を悶々とさせるお光は、源十郎にとって恐ろしくもあり、愛おしくもあった。


 それは源十郎にとって初めての恋だった。


 源十郎が十一歳の時、母が肺結核で死んだ。彼は大いに悲しんだが、その喪失感の裏にわずかなが湧き出していることにも気づいていた。


 人の死が、源十郎の中に埋もれていた悪魔を呼び起こしたのである。直接己の手を下したわけではないけれど、母が苦しみの末に死ぬ、その悲痛な光景は源十郎にあの殺人の快感を思い出させたのである。


 幼い頃に覚えた、蜜の味を。


 母の死以降、源十郎は身を焦がすようなに苦しめられた。学校で会う友を、道端ですれ違う村人たちを、そして屋敷の中にいる使用人たちを、攻撃したくてたまらなかった。


 殴りたい。


 突き落としたい。


 叩きたい。


 蹴りたい。


 刺したい。


 斬りつけたい。


 そして最後は、殺したい。


 人の死に触れることによって得られるあの甘美な悦楽を味わいたい。


 それらがやってはいけないことだということは、成長した源十郎にも判っていた。

 そして何より問題なのは、それらの攻撃行為に手を染めると再び屋敷に閉じ込められる危険があった、ということである。


 源十郎にとって、この問題のはそこだった。


 人を殺すと、自分が屋敷に閉じ込められてしまう。やってはいけないのだ。そこに他者への思いやりは一切なく、自己中心的な人格はすでに形成されつつあった。


 人が傷つくのはいっこうに構わない。


 殴られて痛いのは自分の体ではないし、人を殺しても自分が死ぬわけではないからだ。

 が、それが父に知れれば昔のように屋敷に幽閉され、退屈な毎日を送らなくてはいけなくなる。


 さて、どうしたものか。


 もっともいいのは、自分の欲求を満たしつつ、それを父に隠すことだ。

 バレなければどうということはないのだ。

 しかし、今の自分の周りには多くの監視の目がある。一人で外を出歩くことはいまだに許されていないし、父も源十郎の行動には目を光らせていた。


 理性と衝動のつばぜり合いに苦しめられていた源十郎を救ったのは、お光だった。


 お光といる時だけ、源十郎を襲う殺人衝動はあの下半身の興奮によってされるのである。


 遊んでいる最中に、ふざけてお光に抱き着き、彼女の体温と体臭を感じる。

 興奮はどんどん膨れ上がるが、結局その解消方法は判らず、悶々とするばかりだった。


 お光への情欲と他者への殺人願望。


 解決方法のない二つの衝動に苦しめられながら源十郎は暗い毎日を過ごした。転機が訪れたのは、源十郎が十二歳になったばかりのある夜のことだった。



 *



 夜更けに尿意を催した源十郎は、厠へ向かった。その帰りのことである。


 どこからか、ひそひそと話し声が聞こえた。

 こんな時間に、いったい何事だろうと源十郎は耳をそばだてた。全神経を耳に集中させ、音がやってくる方向へ足を向ける。

 やがて、彼が辿り着いたのは父の部屋だった。そこから、ひそひそと例の話し声が漏れ出してくるのである。


 一つは父の声だ。


 そしてもう一つは女の声。


 これはたしか、名前は判らないが最近屋敷にやって来たばかりの若い女の声である。

 源十郎はこの女が嫌いだった。父や自分に対してはいつも媚びたような笑顔を振りまいて顔色を窺うくせに、家事仕事は一切やらず、女中たちに威張ってばかりだからだ。

 お光をいじめているところを目撃したこともあったため、源十郎はこの女が心底憎かった。


 その女はいわゆる妾というものなのだが、当時の源十郎にはそのような知識はなく、ただ単に性悪な女としか認識できなかった。


 こっそり襖を開き、部屋に忍び入る。とっつきの部屋には誰もいない。

 奥にあるもう一枚の襖の前に立ち、これを細く開けた。そうして中を覗いた源十郎の目に飛び込んできたのは、衝撃的な光景だった。


 父と女が裸でもつれ合い、そして二人は。その行為の意味はさることながら、それを目撃した自分のとめどない興奮が源十郎を困惑させた。


 これはいったい何だ。


 二人は何をしているんだ。


 そして、なぜ自分は興奮しているんだ。お光と共にいる時に感じたのと同じ興奮が、源十郎の下半身にこれでもかと注ぎこまれる。


 ぷつん、と自分の中で何かが切れる音を聞いた。そして源十郎は無言で立ち上がり、襖を開け放したままその場を去った。どたどたと廊下を走り、彼が向かったのはお光の部屋である。


「お光、お光」


 お光は布団をかぶって眠っていた。その横にちょこんと座り、源十郎はお光の体を揺さぶる。


「お光、お光」


 眠りが深いのか、お光はなかなか目覚めない。しかたなしに源十郎は布団を無理やりはがし、寝間着姿の彼女に抱き着いた。彼女の柔らかな体臭が油となって、情欲の炎を燃え上がらせる。


「お光! 起きろ」


 そうしてようやくお光は目を開けた。


「源十郎様? どうか?」


 寝ぼけ眼のお光には状況が理解できないのも当然だった。


「お光、わし、わし」


 この時、源十郎は丸裸だった。部屋に入ってすぐ、着ているものを脱いだのである。いきり立った自分のそれをお光の足に、腰に、そして腹に擦り付け、彼女の寝間着を剝こうとする。


「源十郎様、何をっ」


「父様がな、やってたことやりたいんじゃ」


 その一言で、お光は全てを了解した。


「いけません、いけませんよ」


「やりたいんじゃ」


「いけません」


 言いながらも、お光はたいした抵抗をしなかった。


 やがて、窓から差し込む月明りに照らされたお光は、一糸まとわぬ白い肌をさらし、布団に横たわっていた。

 肌は汗ばみ、熱い吐息を漏らしている。その様がいっそう源十郎を興奮させた。


「どこじゃ」


「いけません、堪忍してください」


「どこに入れるんじゃ」


「いやぁ、いや。こんなの……」


「どこじゃ……どこじゃ」


「……ここ」


 それは源十郎にとって未知の快感だった。


 事が終わると、今までに感じたことのない充足感が源十郎を包んでいた。


 世の中にはこんなに楽しいことがあったのか。


 初めて知った女の味。


 暖かくて、柔らかくて、気持ちいい。源十郎はそれの虜になった。


 毎晩、皆が寝静まるのを見計らってお光の部屋に通い、その若い体をむさぼった。

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