第3話 悪魔に誘われて
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「なるほど、二人は運命的な一目惚れをしあったというわけなんだね」
食後のコーヒーを啜りながら、大紋
青夜も大紋の一族の一人で、希愛とは
くせっ気のある黒髪に青白い不健康な肌、目の下にはうっすらとくまが広がっている。黒地のポロシャツにくたびれたジーンズといったいでたちで、モデルのようにスタイルがいい。
「いやしかし、希愛に彼氏ができているなんてちっとも知らなかったよ。まさか男を連れて帰ってくるなんて、これは大事件だぜ。あの子が赤ん坊の頃からここで一緒に暮らしてたが、男の匂いなんて全くなかった。おばさんたちも知ってたなら教えてくれればいいのに」
希愛の両親とはこれまでに何度か会ったことあるが、この大紋の屋敷を訪れたのは今回が初めてだった。
この夏休みに合わせて希愛が実家に帰省するというので、「どうせなら一緒に来ませんか」という誘いを受けたのがちょうど一週間前のこと。
特に予定もなかったし、希愛と夏の間離れるのも嫌だったので、すぐさまOKの返事を出した。本当は二人きりで、遊園地や海などに行きたかったのだけれど。
八月五日の午後に静岡駅を出発し、新幹線で長野駅に降り立った。そしてバスを乗り継いで山中にあるT**村に。そこで夕食を摂り、屋敷からの迎えの車を待った。
事前知識として、大紋の屋敷は人里離れた山奥に建っていると希愛から聞かされていた。
四方は山と森に取り囲まれ、一番近い集落であるT**村でさえ、直線距離で五キロも離れているそうだ。
いったいどうしてそんな不便な立地なのか、と遠回しに訊ねてみるも、希愛はぎこちなく笑って首を傾げるばかりだった。
やがてやって来た迎えのミニバンに乗り込み、T**村を後にした。
山道は舗装されておらず、絶えず車体が揺れていた。時おりタイヤが跳ね上げた小石がボディにぶつかり、乾いた音を立てる。
窓の向こうの景色は右も左も鬱蒼とした林で、人の気配は皆無だった。なんだかすごいところに来てしまったな、とそんな感想を抱いた。
出発した時刻が遅かったこともあり、大紋の屋敷に到着したのは午後十時過ぎだった。
屋敷は主に二つの建物からなっているらしく、希愛の家族たち――つまり、大紋の人間は北に建つ本館で生活をしているという。来客は今僕がいる別館に部屋が用意され、使用人もこちらに住んでいるそうである。
時間も遅いことから、家族への挨拶は明日にすることにし、昨日はそのまま別館で休んだのだった。
青夜と出会ったのはついさっき、この朝食の席が初の顔合わせの場だった。聞いてみたところ、青夜は本館の自室の他に、別館にも私室を持っており、こちらで寝泊まりをすることもあるという。
僕よりも年上と見え、その佇まいには大人の余裕というものが窺えた。話し方も落ち着いていて、相対する者に緊張を感じさせない柔らかい雰囲気をまとっていた。
「お義母さんたちはまだ本館の方に?」
「ああ、こっちは使用人以外じゃもっぱら来客しか使わないからね。と言っても、こんな山奥までわざわざ足を運ぶような物好きはほとんどいないが。しかし、ふむ……お義母さん、か」
青夜はカップを置くと胸ポケットから煙草を取り出した。
「さっき希愛にちらっと聞いたけど、もう君たちは結婚まで考えているんだって?」
「ええ、大学を卒業したら、婚姻届けを出そうと思ってます」
「同じ大学に通ってるんだってね。どこの学部だい?」
「教育学部です」
「ほう、じゃあ将来は先生になりたいってわけか」
感心したように目を丸くすると、青夜は煙草に火を点けた。
「はい。父は高校の、母は小学校の教師でして、僕も同じ教育の道を進みたいと思ったんです」
「なるほどねぇ。ところで大望くん、君は遺伝学というものに興味はあるかい?」
「遺伝学……」
あまり、というか、僕の人生にはほとんどなじみのない言葉だった。
「理系は明るくなくて」
「では、犯罪心理学はどうだい?」
「すいません、それも……」
遺伝学と犯罪心理学。およそ接点のなさそうな二つが、彼の得意分野ということか。
「青夜さんは研究者なんですか?」
「ん、まあ、そういう言い方もできなくはないね。ただ研究に没頭していたのはずいぶん昔のことさ。もっとも、俺の『研究』の対象は……いや、しかし、君もなかなか度胸があるなぁ」
「え? 度胸、ですか」
「ん、あ、……しまったな」
「何の話でしょうか?」
沈黙が場に落ちた。立ち上る紫煙のゆらぎが、いっそうその静けさを強調しているような気がした。青夜は口を滑らせたかな、とでもいうように苦笑し、やがて口を開く。
「ああ、そうか。まだ何も知らないのか。それはそうだな。まだその段階ではない。すまないね、今の言葉は忘れてくれ」
「しかし――」
「もし君が希愛と結ばれることを心から望むのなら、いずれ知る時が来るだろうさ」
「それはそのつもりですが、いったい何の話を……」
「おーい、
僕の問いかけを遮るようにして、青夜は奥のキッチンに声を投げた。
「はーい、ただいま」
ややあって、若いメイド姿の女がステンレスのポットを手にやってきた。
健康的に焼けた褐色の肌にあどけなさが残る幼い顔つき。作り物ではない自然な笑顔を浮かべながら、茜と呼ばれたメイドは僕と青夜のカップにコーヒーを注ぐ。
「ありがとう」
「いーえ」
「彼女は
「あ、どうも」
僕は自己紹介をしながら、青夜の方をちらと窺った。
彼は先ほど何を言いかけたのだろうか。なんだかはぐらかされたような気がしたが、今ここで無理やり追及してみて印象を悪くするだけなのでおとなしくしていることにしよう。
時間をかけ、美味そうにコーヒーを飲み干すと青夜はすっくと立ち上がった。
「さて、じゃあ俺は戻るよ。もし何か困ったことがあったら俺の部屋を尋ねるといい。二階の西側の突き当たりが俺の部屋だから」
「あ、じゃあ隣ですね」
二階には東西に延びる廊下があり、僕に用意された部屋は西の奥から二番目にあった。
「なんだ。そうだったのかい」
たいして驚くそぶりも見せずに、逃げるような足取りで青夜は食堂から出て行った。
それと入れ違いになるように、希愛が戻ってくる。身支度を済ませた彼女は、今日も今日とて美しい。
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