第十話 選択の時
第10話 選択の時 その一
ゲートをくぐると、暗闇のなかに倒れこんだ。
最後のほうに階段があったような気もするが、一瞬だったので、よく見えなかった。
龍郎は混乱していたし、周囲を観察しているどころではなかった。
「いてて……いつも乱暴に帰ってくるなぁ。前は穂村先生の部屋だったけど、ここはどこだ?」
「龍郎さん。棺おけがある」
「棺おけ?」
あわててスマホを出してライトで照らす。
見おぼえのある場所だ。
広い一室にたくさんの棺おけがならんでいる。
「ここ……教会のなかの墓所だ」
「そうだね。扉があるよ」
青蘭の言うとおりだ。
扉が一つだけある。
行きに通った右の扉の奥の墓所には、外へ通じる裏口もあったはずだが、ここにはそれがない。ということは、左の扉の奥だろうか。
とにかく、扉に手をかけ、ドアノブをまわす。かんたんにひらいた。
そのとたん、押されるような衝撃があって、もつれこむようにドア外へとびだしていた。
暗い。夜になっている。がしかし、外から月明かりがさしていた。
やはり、教会だ。
何度もこの教会の扉を出入りしているので、なんだか、だんだん混沌としてくる。
自分は今、どこの教会にいるのだろうか?
クトゥルフの夢?
アルバートの結界?
それとも……。
「えーと、アルバートの結界はくずれたよね? ということは、ここは現実かな?」
続いて、マルコシアスやガマ仙人、ガブリエルと神父も左側の扉から押しだされてくる。まるで生物が異物を吐きすてるような感じだ。
全員が戻ってきたあと、試しに扉をあけようとしたが、もうどうやってもひらかなかった。内部が崩壊しているのかもしれない。
「ここに通じていた世界がなくなってしまったからか……」
「行きの扉と、帰りの扉だったんだね」
祭壇にもたれて倒れていたアルバートの姿がない。
やはり、ここが現実の世界だからだ。
ただ、祭壇に真新しい花が二輪、飾られていた。まるで誰かが冥界へ旅立ったアルバートと名月のためにたむけたようで、龍郎の胸は痛んだ。
「まちがいなく帰ってきたんだよな?」
窓からのぞくと、町並みは二十一世紀のそれだった。海外なのでエキゾチックではあるものの、まごうかたなき現実のセイラムだ。
「よかった。目的は果たした。今夜はホテルに帰ろう」
戦闘に続く戦闘で疲れはてていた。一刻も早くベッドに倒れこんで休みたい。龍郎は剣崎に電話をかけて、迎えに来てくれるように頼む。
「私は本部に帰る。上に報告もあるのでな」
そう言って、ガブリエルは片手をあげた。すでに天使の姿ではなく、髪を現代風の髪型に短く切り、スーツを着た人間に化身している。が、彼の言う本部は天界であり、上とは上司ではなく神だ。
ふつうに表口の両扉をあけて出ていったが、龍郎たちが追って出たときには、もう姿が見えなくなっていた。きっと飛んで帰ったに違いない。
「では、私とガマも帰ろう。龍郎。約束を忘れるな?」と、念を押して、マルコシアスも姿を消した。
「約束? なんだっけ?」
「龍郎さん。なんでも食べさせてやるって言ってたよ?」
「えっ? そうだっけ? マズイな。どうしよう。人肉が食べたいなんて言われたら」
「まあ、ご機嫌とって、焼肉でも腹いっぱい食べさせたらいいんじゃない?」
「そうだね」
教会前の石段にホームレスみたいにならんで腰かけて、くたくただが、青蘭といれば幸せだった。
青蘭の頭が龍郎の肩にもたれてくる。安心しきった顔をして、下からすくいあげるような目で見つめてくる。
そんな仕草の一つ一つが愛しい。
快楽の玉もとりかえしたし、悲しいことではあったが、敵対していたアルバートや名月がいなくなった。当面の心配要素はなくなったわけだ。あとは苦痛の玉の最後のカケラを手に入れさえすれば……。
身をよせあい、ギュッと手をにぎりあう龍郎たちを見て、神父が舌打ちをついている。
ずっと、この時が続くのだと思っていた。それは勘違いなのだが。
龍郎は肝心なことを忘れていた。まだ最大の難問が残っていることを。
しばらく待っていると、剣崎がロールスロイスを運転してやってきた。目立たないレンタカーは返してしまったらしい。夜だから闇にまぎれて、真っ昼間よりは目につかないが。
予約していた一流ホテルに着くと、食事もとらずに寝室に直行した。
ヨーロッパ調の優美なベッドルーム。
だが、そこに待っていたのは、ルリムだ。青蘭と二人で抱きあって眠るはずのベッドに足を組んですわっている。
「快楽の玉、とりもどしたのね。これで条件はそろった。いつまでも待ってられないのよね。そろそろ返事を聞かせてくれない? 龍郎」
まったくご都合主義にも、龍郎はこの瞬間まで、自分が悪魔と契約をかわしていたことをすっかり忘れていた。
何もかも、すべて解決したような気になっていたのだ。
(そうだった。まだ、ルリムに借りがあった)
おそらく、龍郎は顔色が変わっただろう。
それを見て、青蘭の顔もこわばる。
「龍郎さん。返事って何? こいつと何か約束したの? ねえ、なんとか言って」
龍郎にはなんと言っていいかわからない。もっと早くにちゃんと説明しておくべきだった。だが、こんなふうに急にその事実をつきつけることになるなんて、青蘭は傷つくだろう。
「青蘭。じつは……」
龍郎が言いかけるより前に、ルリムが口をひらく。端的に。残酷に。
「龍郎はわたしと契約したのよ。わたしが力を貸す代償として、三つのうちのどれかを渡すって」
「三つって……?」
「快楽の玉。苦痛の玉。龍郎自身。このうちのどれかよ」
このときの青蘭の顔を、龍郎は長く忘れることができなかった。きっと、死ぬまで悔いるのだ。
絶望よりも悲痛な、青蘭の泣き顔を思いだすたびに……。
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