第8話 激闘のインスマス その四
十八世紀か十九世紀ごろの風俗だろうか?
女性はコルセットをつけたハイウエストのドレスに、つば広のボンネットをリボンであごの下にくくりつけ、男性はフロックコートにシルクハットをかぶっている。
もっとも顔によって男女の区別はつかない。どれもこれも緑色の汚い鱗に覆われていた。両眼がカタツムリのように伸びたり縮んだりする。服のすきまから触手がウヨウヨと動いていた。
「インスマス人……」
「かこまれてる」
「いったい、いつからですか?」
「たった今だ。急にあちこちから次々に現れて、みるみるうちにこのありさまだ」
おそらく、快楽の玉を青蘭がとりもどしたからだ。この場にはいないが、なんらかの手段で、そのことをアルバートが知ったのだろう。
「スゴイ数だ。おれたちをどうするつもりかな?」
「捕まえて殺すか、あるいは邪神への生贄にするんだろう?」
きっと、そうだ。
以前にも団地で人魚にかこまれたことがある。そのときも、彼らは青蘭をさらい、邪神を復活させるための生贄にしようとした。
「前のときはナイアルラトホテップの仕業だった。そのあとクトゥルフの分身が出現して……クトゥルフがおれたちを狙ってるのかもしれない」
いや、おそらくは龍郎たち全員をではなく、青蘭を……。
「あの数を相手にするのは大変だ。目的は果たしたのだろう? いったん、外へ逃げだしたほうがいいな」と、ガブリエルは言った。
「今の我々でクトゥルフ本体を倒すのは不可能だ。封じることすら難しい」
「どうして? 以前は天使たちの軍隊で封印したんだろう?」
「あのときは星の戦士がいた」
「星の戦士?」
「大天使ミカエルのことだ」
苦痛の玉の持ちぬしだ。
そんなにも強い戦士だったのか。
一瞬、激しいジェラシーの炎が燃えあがった。が、龍郎はそれを抑えつける。
(相手は天使だ。それも戦いの天使。強いのはあたりまえのことだ。しょうがないじゃないか。おれはおれのやれることをやればいい)
気持ちを落ちつけてから、ガブリエルを見ると、彼はなぜか微笑んだ。龍郎の心を読んだのかもしれない。
微笑をふくんで、こう告げた。
「とにかく、苦痛の玉が不完全なうちは、まともには戦えない。今回は退き、苦痛の玉の残るカケラをそろえてから、あらためて出直したほうがいい」
ノーデンスも、ガブリエルも、ナイアルラトホテップも、口をそろえて苦痛の玉を完全にしろと言う。
たしかに神父と手を重ねたとき、力が倍増した。すべてのカケラが集まれば、その力は倍どころではなくなる。
龍郎がもっと強くなるためには、それしかない。
しかし、今すぐには解決できない問題だ。まずは苦痛の玉のカケラの最後の一つがどこにあるのか調べるところから始めなければならない。
「わかった。この結界のなかから逃げだそう」
「私がつれだせるのは一人が限度だ」と、ガブリエルは言う。
龍郎がマルコシアスを見ると、
「私はつれだすだけなら二人でもなんとか。しかし、そのぶん飛翔速度が遅くなる。何かに追われれば攻撃を受ける可能性はいなめない」
狼の姿の魔王からはそういう答えが返ってきた。
(神父をガブリエルが、おれと青蘭をマルコシアスに乗せてもらえば……)
でも、そうなれば、少女はどうなるのだろうか?
今はかろうじて息がある。
だが、戦える状態ではない。
もしも、インスマス人たちが少女のことも敵と見なしていたとすれば。このまま残していけば外の連中に襲われるだけだ。
「この子もつれていけないか?」
しかし、ガブリエルとマルコシアスは同時に首をふった。
かと言って、誰かをこの場に残して、ガブリエルかマルコシアスが往復するのは、その間、戦力が分断され、残された者の身がより危険にさらされる。彼らの飛翔の能力で逃げだすなら、全員、同時でなければ……。
熟考しているヒマはなかった。インスマス人たちが窓や扉に張りつき、そこからなかへ入ってこようとしている。
「インスマス人じたいには、さほどの攻撃力はない。この子はおれが抱えるから、いっしょにつれていこう。せめてどこか安全な場所まで」
「龍郎さん」
青蘭がにらんでくる。
龍郎が少女のことばかり気にかけるのでご立腹のようだ。
「私が乗せて運ぼう」と、マルコシアスが言ってくれた。
少女の容貌はアスモデウスに酷似している。つまり、青蘭にひじょうによく似ているのだ。そういう人物を打ちすてていくのは、青蘭を愛する者にとっては忍びないのだと、龍郎にはわかった。
青蘭は自分の大切な玉を盗んだことで、少女のことを快く思っていないようだが。
ガマ仙人と少女をマルコシアスが背中に乗せ、教会から脱出するために、龍郎たちは一丸となる。
龍郎を先頭に、青蘭と神父が両どなり、ガブリエルとマルコシアスがそのあとをついてくる。
建物のなかにこもっていると、収容できる人数以上にインスマス人が入りこんできたときに身動きがとれなくなる。なので、とにかく外へ出ることが最優先だ。
ウジャウジャと寄り集まってくる人魚の群れ。
龍郎は右手をあげた。
苦痛の玉が浄化の光を放つ。
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