第6話 魔女の家 その三



 清美の助言どおり、急ぎリュックと非常食と飲み物、懐中電灯を用意する。ほかにライターやサバイバルナイフ、ロープ、応急処置もできるよう薬や包帯などを集めた。

 大きなスーパーへ買い出しに行ったので、たいていのものはそろったが、午後になってしまった。昼食もすませると午後二時をすぎていた。


「これでいいかな。なんだか探険にでも行くみたいなカッコだけど」

「うん。洞窟とかね」


 神父がつきとめた教会は港の近くにあった。

 剣崎に頼んで車を出してもらい、教会の外観が見えるところでおろしてもらう。


「あれですか?」

「そう。どこにでもあるような古い教会だ」


 レンガでできた教会だ。赤い壁に黒い鉄の窓格子。切妻屋根の上には青銅だろうか。緑青色の天使の彫像が立っている。なんだか、それが鱗に覆われた人魚のようで薄気味が悪かった。


 周囲に人影はない。

 港にはたくさんの人がいるのに、その場所だけ妙に静謐だ。まるで本能的に近づいてはいけない場所だと、誰もが気づいてさけているかのようだ。


「瘴気がただよってる。かなり強いですね」

龍郎の問いに神父が答える。

「健康な人間でも気分が悪くなるだろうな」


 龍郎、青蘭、神父くらいまでは冒険者のいでたちとは言え、まだ観光客に見えなくもない。

 しかし、隠しようもなく天使チックなガブリエル、大型犬なみにデカいハスキー犬、それに乗ったカエルをつれているとなれば、目立ちすぎるのではないかと危惧していたものの、あたりは無人だ。今なら難なく教会のなかまで入っていける。


「行こう」


 神父が言うので歩きだした。

 海岸線沿いに建っているせいか、近づくにつれて生ぐさい臭気が強くなる。人魚の匂いだ。あのなかに人魚たちが群れていることは間違いない。

 瘴気もいよいよ強まる。なれた龍郎たちでさえ、かるい立ちくらみをおぼえるほどだ。


 出入口の両扉をひらくと、なかは薄暗い。教会にしては採光にとぼしい。たいていは光にあふれて荘厳なふんいきを演出しているものだろうに。


 内部はそっけないくらいに素朴な木造だった。長椅子が数列ならんでいる。収容人数は三十人ていどだろうか。とても狭い。


 長椅子のあいだを通り、祭壇へ近づいてみたが、そこにも人の姿はなかった。

 祭壇にもありふれたものしか置かれていない。少なくとも龍郎にはそう見える。祭壇の奥には大きな木の十字架があった。


「誰もいませんね」

「どこかに隠れているんだろう」


 神父は祭壇の周囲を調べるために、あれこれしだしたが、ぬけ道のようなものはないようだ。


 その間に、龍郎は祭壇脇にある左右のドアをあけようと試みた。が、鍵がかかっているのかひらかない。


「ダメですね。何かあるとしたら、この奥だと思うんですが」

「どうもそのようだな。ちょっと、さがって」


 まがりなりにも神父が教会で行うには、はなはだ不謹慎な所業を始めようとしたときだ。出入口のほうから足音が近づいてきた。神父はサッと鍵開けの道具をポケットにしまう。そのようすは神父というより、完全に泥棒だ。


 出入口のほうをかえりみる。ひらかれた両扉から陽光が逆光になってさしこみ、そのあいだに立つ人物が黒く見えた。女のようだ。


 女は英語で話しかけながら近づいてきた。ハローとかサイトシーイングなどと言っているので、観光客なのかと聞いているようだ。


 教会の暗がりのなかへ入ってくると、女の風体が視認できた。四十代か五十代くらいだろうか。西洋人の年齢はわかりにくいが、どこにでもいるブラウンの髪に青い瞳の女だ。僧服をまとってはいなかった。大きなバックなどを持っていないから近所の人間に違いない。


 フレデリック神父が、さっきまでの行為をまったく感じさせない紳士的な態度で応対する。にこやかに話しているが、正直なところ、女には早く去ってほしかった。

 やっとアルバートが隠れているかもしれない本拠地まで来たのに、今になってジャマが入るのは気ばかり焦る。

 ことに青蘭はそうとうイライラしている。龍郎の手をにぎる力が痛い。


「フレデリックさん」


 呼びかけると、神父は困ったような顔をした。


「この人はハービーさん。となりに住んでる。この教会はふだん無人なので、牧師に用があるときには電話で呼びだすんだそうだ。彼女は自分が電話をかけるから自宅へ来ないかと言っている」


 こっちは牧師に用があるわけではない。女性の親切は嬉しいが、ありがた迷惑だ。かと言って、強弁に断るのは怪しまれるかもしれない。難しいところだ。


「観光でなかを見てるだけだと言って断れないんですか?」

「たぶん、我々が窃盗をしないか見張ってる」

「じゃあ、おれたちが出ていくまで、ここにいるつもりってことですか?」

「おそらく」


 こうなってはしかたない。

 彼女の誘いに乗ったふりをしてついていき、すきを見計らって、ここへ戻ってくるのだ。


 龍郎がうなずくと、フレデリック神父はそれだけで察したらしかった。うなずきかえして、女と何やらまた話す。


「来い。お茶をごちそうしてくれるそうだ」


 龍郎はうしろ髪をひかれる思いで教会をあとにした。

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