第9話 迷夢 その五



 白熱する光がまぶしく視界を染めあげる。


 龍郎や青蘭は平気だが、マルコシアスはガマ仙人を背に乗せて、入口の扉の前までさがった。ガブリエルは少し顔をそむけ、数歩しりぞく。


 光のなかで、巨体が塵のようにホロホロとちぎれて飛んだ。異様にふくれあがった輪郭が細く、人間らしくなっていく。


 光がやんだとき、祭壇の前にはアルバートが倒れていた。気を失っている。龍郎が歩みよると、うっすらと目をあけた。


「……龍郎か」


 ケガのせいでぼんやりしているものの、クトゥルフの呪縛からは覚めたようだ。目つきが正常に戻っている。


「もう争う意味はないだろう? なつきは死んだ」

「…………」


 アルバートは答えない。

 だが、沈黙を守る双眸から、じわじわと涙がこぼれおちる。アルバートはそれを隠そうとするように顔をそむけた。


「なつきの体は快楽の玉の器として完璧ではなかった。だから、許容値以上のエネルギーを受けとめたことで、肉体のほうが崩壊してしまった。もしかしたら、おまえもクトゥルフの悪夢のなかで見たかもしれないが」


 あいかわらず、アルバートは何も言わない。しかし、岩礁で戦ったときの記憶もかすかには残っているようだ。龍郎が告げると、わずかに嗚咽おえつが深くなった。


 かなり長いあいだ、アルバートは放心していた。

 さっさと倒してしまおうよという目で、青蘭が龍郎を見つめ、手をひっぱる。龍郎は『ちょっと待って』と、手ぶりでそれを抑える。


「でも、なつきはあんたに感謝してると思うよ。なつきはあんたを助けてくれと言った。必死に救おうとしていた。魂になっても、なお……」


 アルバートがハッと肩をこわばらせ、顔をあげる。


「なつきには魂がないと、アイツは言ってた。心臓と魂の二つを持たないと。天使の魂は心臓に宿るから、心臓のないなつきには魂もないと」


「ああ。フォラスもそう言ってたよ。生まれつき不完全体だったと。でも、さっきの光はなつきだ。とても弱々しかったけど、たしかに存在していた」


「ああ。おれは知ってたよ。おれだけが知ってた。名月なつきにはちゃんと魂があった。呼びかけると笑った。瞳でおれの動きを追った。研究者どもは誰も信じようとしなかったが。たとえ心臓が存在しなくても、魂はあった。だから、名月を自由に動けるようにしてやることが、おれの生きる目的だった……」


「…………」


 アルバートは半身を起こし、祭壇にもたれかかる。その腹部から鮮血が流れた。経過がよくない。最初の岩礁の戦いで、すでに決着はついていた。さっきの戦いで、残っていた余力のすべてを使いはたしたのだ。力をしぼるようにして、彼は話す。


「……おれたちは生まれたときから失敗作だった。卵から出たときに始末されるはずだった。ただ、フォラスの下のその下の下級悪魔が、こっそり持ち逃げしたんだ。下級悪魔にとって天使の肉は、それを食うだけで魔力を得られる貴重なものだからな。食うために、ひそかに持ちだしたんだよ。おれと名月……そのまま赤ん坊のときに食ってれば、なんの問題もなかっただろうに、ちょっと育てて大きくなってから食おうと欲張ったのがよくなかった。おれたちにとってはラッキーだったんだが……おれはたぶん、魔力は高かった。ほんの三歳かそこらのときに、養父の悪魔を殺して、名月をつれて逃げた……それからの苦労は、まあ……想像つくだろ? ガキが二人で、しかもその一方は人形みたいに動かないんだ。野良犬みたいなもんさ」


 かわいた声で、アルバートは笑う。


 彼の命は損なわれようとしている。存命措置がすぐにも必要だ。しかし、それをしないのは、処置をしても、すでに遅いのだろうということが、誰の目にも明らかだからだ。


「おれはそれでもよかったよ。名月がいれば、不思議とどんな困難でも苦じゃなかった。世界中でたった二人きりの兄妹だった。冷たい雨に打たれ凍える夜も、二人で身をよせあっていれば耐えられた。道端をさまよってるガキに食い物や寝床をめぐんでくれる大人はけっこういた。でも、その大半はおれが夜中に殺して、こっそり逃げだすハメになるんだが……五、六歳になると、おれが『死ね』と念じるだけで、人間なんかコロコロ死んだよ。殺伐とした日々のなかで、名月の笑顔だけが、おれの宝物だった……」


 当時のことを思いだしているのだろうか。

 すすり泣きがアルバートの口からもれる。


 子どもが二人きりで、誰の後ろ盾もなく生きていくことは、それはツライだろう。

 飽食の現代においてさえ、ネグレクトされた幼児はただひたすら親の帰りを待ちわびて飢え死にしていくしかないのだ。そんなニュース、イヤというほど目にする。養う者がいないということは、それほどに子どもにとって重大なことだ。生死を左右する。

 アルバートたちの幼少期は文字どおり、生きるか死ぬか、つねにギリギリだったのだろうと推察できる。


「一回だけ、十歳くらいのときに、生まれた場所を見に行ったんだ。おれはそのころにはもう、成人した男でもまったく怖くなかった。にらんだだけで殺せるんだからな。その力で、おれたちを勝手に作って、すてたヤツらに復讐するつもりだった。そしたら、そこに以前はなかった豪邸が建ってるんだ。夢のなかのお城みたいに真っ白い屋敷。おれがどんだけ驚いたか想像つくか? こっそりなかをのぞいたら、おれの見たこともない贅沢なものばっかりで埋めつくされてた。そのなかで子どもが笑ってるんだ。ひとめでわかったよ。『ああ、こいつ、』って。髪や瞳は黒かったが、名月とそっくりの顔して、それはもう使に愛くるしくて……おれたちはコイツを作るための踏み台にすぎなかった。コイツを作るために切り刻まれた、細胞の残りかすなんだって。憎かった。コイツがいるかぎり、おれたちに生まれた意味はない。おれたちが存在する理由は、コイツからすべてを奪ったときに証明できるんだ……そう決意した。あのとき、この胸に硬く誓った。青蘭、おまえから何もかも奪い、おまえの存在を、おれたちへの懺悔ざんげでぬりつぶさせてやると」


 思わず、龍郎は反論した。

「そんなの間違ってる。青蘭だって——」


 しかし、それを青蘭が止める。

「いいよ。言うだけ言わせてやろう。どうせ、コイツは負け犬だ」


 アルバートは微笑した。


「そう……だな。おまえを完全に憎むことができなかった時点で、おれはおまえに負けてたんだろう。おまえはもう覚えてないかもしれないが……青蘭。あの日、おまえはおれに笑いかけてきた。いっしょに遊ぼうと言った。おれはおまえをつきとばして逃げたけど……」


 アルバートの呼吸が浅くなる。目に光がない。

 アルバートは弱々しく手を伸ばしてきた。何かを求めるように。

 その手の求めているものがなんなのか、龍郎にはわかった。青蘭の手をつかみ、にぎらせてやる。


 アルバートは満足したように目を閉じた。

 彼が人生の最期に浮かべたのは、微笑みだった。

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