第8話 激闘のインスマス その六
黒い岩棚が網目のように複雑な形で続く。すきまには海水が入りこみ、波にあわせて水面が上下していた。のぞくと、けっこう深い。
日が傾いてきていた。
隠れるもののない場所なので、暗くなるのは、むしろ助かる。これでどうにか洞窟までインスマス人に見つかることなく行けそうだ。
しかし、そう思ったのも、つかのま。
ザザ、ザザザッとさわぐ潮騒にまじり、やけにピチャピチャと水のはねる音がする。
夕凪の時間帯のはずなのに、波が高くなってきたのだろうか?
たしかめようにも急速に日がかげる。あの黒い岩礁も闇のなかへ飲みこまれようとしていた。
「懐中電灯をつけると見つかるかな?」
「ああ。だが、ひんぱんに穴がある。海に落ちるよりはマシだろう」
神父に言われ、龍郎はリュックを背中からおろした。懐中電灯をとりだしたところで、やはり波音とは異なる何かを感じる。
「変な音が聞こえませんか?」
「するな」
いったい、なんの音だろうか?
磯辺は生き物も多い。夜行性の生物が活動を始めたのか……。
不審に思いながらも、さきを急いだ。クトゥルフが龍郎たち一行に気づいているのかどうかは今のところ、わからない。アルバートとクトゥルフ、両者と戦いになることだけはさけたいのだ。気づかれていないのなら、このまま、そっと逃げだしたいところだ。
ひたひたと忍びよる波音に追われるように、岩棚を歩いていく。町なかをさけているとは言え、大きな穴があれば、まわり道をしなければならず、なかなか道程ははかどらない。それでも戦闘がないだけ、町を行くよりはラクに進めた。
一時間あまり歩いただろうか。
「変だな。そろそろ、洞窟が見えてきてもよくないですか?」
龍郎は懐中電灯の光をさしつけて、洞窟の入口を探す。
いっこうに、それらしいものが見えてこない。
「そうだな。このあたりだったようだが」
神父も周囲を見まわし、首をひねっている。
「そうですよね。この岩壁の端あたりに出入口があったはず……」
暗いからわかりづらいものの、岩場の地形や歩いてきた距離などから考慮すると、どう考えてもあるべき場所に洞窟がない。最初からそんなもの存在していなかったかのようだ。出入口がふさがれているとしか思えない。
ガブリエルが思案しながらつぶやく。
「ゲートが感じられない」
「えっ? ということは?」
「ゲートが閉じられているんだ」
「ゲートって閉じたりひらいたりするものなのか?」
「結界を作った者の意思が強く関係するからな。入ることはたやすく、出ることのかたいゲートもある」
つまり、この結界を作った者が龍郎たちを逃したくないから閉じた、ということだろうか。
「じゃあ、どうしたらいいんだ? 閉じこめられたのか?」
もしそうなら、否応なくクトゥルフと戦って倒すしか、ここから脱出することはできなくなるのだが。
「いや、封ずることはできるが、空間を完全に閉じてしまうことなど、我々のように飛翔できる者には通用しない。今もうっすらとゲートの存在は感じる。だが、ひじょうに遠い。どこか別の場所に隠されているようだ」
「その場所を探せば、外に出られるのか?」
「それはどうかな」と、ガブリエルは皮肉に笑った。
「このとおり、ゲートは移動させることができる。我々が近づきすぎれば、さらにまた別の場所に移すだろう」
「なるほど」
ということは、やはり、結界のぬしと戦うしかなさそうだ。
「でも、今のおれたちにはクトゥルフに勝つことはできない」
「倒すことはできなくても、損傷がひどければ、結界を保つ力が弱まるだろう。戦いの途中で逃げることができればの話だが」
うまく逃げだせるとはかぎらない。その前に青蘭だけでも逃がしておくべきだろうか。マルコシアスに頼んで……。
熟考していたときだ。
足元がヒヤリと冷たくなった。一瞬、潮が満ちて海面が高くなったのだろうかと考える。が、見おろしても海水が岩場の上まで来ているようすはない。
さっきの冷たいものはなんだったのだろうか?
すると、今度は反対側の足に何かがふれた。龍郎はあわてて、とびすさる。
「何かいる!」
そう。何かがいる。
暗闇に乗じてひそんでいる。
とつぜん、悲鳴があがった。
にぎりしめた青蘭の手が、ふいに離れる。
「青蘭!」
「龍郎さん!」
青蘭の足首に手が巻きついている。黒い水かきのある手だ。青蘭を岩場の穴のなかへひきこもうとしていた。
龍郎は夢中で青蘭の手をつかんだ。しかし、強い。ひきこむ力が圧倒的に、龍郎の何倍も強い。
見れば、インスマス人だ。もう見てくれだけ人間らしく装うための衣服をまとってはいなかった。インスマス人の群れが何十何百と、岩場の海面にプカプカ浮かんでいて、それらが手をとりあって、綱引きの綱をひきあうように、青蘭の足や腕をつかんで海中にひき入れようとしている。
さっきから感じていた気配は海中を通って近づいてくる彼らのものだったのだ。
「青蘭!」
絶対に青蘭を渡せない。
ヤツらの目的はだいたいわかる。青蘭をさらって快楽の玉を奪うこと。あるいは邪神への生贄だ。
「青蘭を離せッ!」
青蘭の体を抱きしめて、必死に抵抗する。が、水中で数珠つなぎになっているらしいインスマス人たちの重みに耐えきれなかった。
次の瞬間、龍郎は青蘭ごと波間にひきずりこまれた——
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