第8話 激闘のインスマス その五



 インスマス人が津波のように窓という窓から入りこんでくる。それは一つの巨大な生き物のようだ。


 龍郎が右手をかかげると、浄化の光によって、いっきに周囲十数メートルは溶ける。そのすきに走り、間合いがつまれば、また浄化する。

 その戦法でとりあえず、建物から外へ出ることはできた。


 離れ離れにならないよう、青蘭とはずっと手をつないでいる。


 街路もインスマス人で埋めつくされていた。

 いったい、この町にはどれくらいの数のインスマス人が暮らしているのだろうか?

 さっきは無人のようだったのに、じつはこれだけの数がひそんでいたのだ。目に見える範囲だけでも、ゆうに二、三百はいる。


 散らしても散らしても、どこからか寄ってくる。本物の町の人口と同ていどいるのだとしたら、それこそ数万の単位である。へたすると数百万。


 それでも、龍郎の意識は高揚していた。青蘭と手をつないでいるから。

 青蘭の手から、快楽の玉の鼓動が聞こえる。

 それがこんなにも喜びに満ちたことなのだと、あらためて感じる。


(わかってるよ。おまえも一つになりたいんだよな? 苦痛の玉)


 かつての恋人の心臓をとなりに感じて喜んでいるのは、龍郎ではなく、苦痛の玉。

 大天使ミカエルの心臓。


「おい、あそこに自動車がある」


 ふいに神父が路肩に停車した、ものすごくクラシカルなオープンカーをさし示した。

 いちおう馬車ではなく、すでに車がある時代のようだ。しかし、旧式すぎて、龍郎には運転できそうにない。


「あれに乗って、インスマスの群れを引き離そう」

「そうですね。どこか身をひそめることができるところまででも」


 幸いにして車にはキーがさしっぱなしだった。

 全員、乗りこむことはできないので、人間だけが乗車する。龍郎、青蘭、神父だ。

 ガブリエルとマルコシアスは飛びながらついてくることになる。


 あまりに旧式なので、現代の自動車にくらべてエンジンのかかりがすこぶる悪い。機械の性能じたいが極端に低いのだ。


 インスマス人が押しよせ、車をとりかこもうとするので、そのたびに浄化しながら、なんとかエンジンが動きだすまでの時間を作る。

 ようやく走りだしたものの、今度は速度が遅い。たぶん、時速三十キロくらいしか出ていない。


「おれの地元だって、時速三十キロなんていう、法定速度マイナス二十キロで走ってる人、そうはいませんよ!」

「しょうがないだろ。これがこの車の最高速度だ」


 が、さすがに徒歩でノロノロうごめくインスマス人たちの姿は、じょじょに遠くなっていった。

 とつじょ、前方に十人ずつくらい出てくることがあるが、それは龍郎が右手の光で焼き払った。


 インスマスの重苦しいふんいきの町並みが遠のく。

 海岸沿いの道路にまで来たときには、なんとかインスマス人の群れをまくことができた。


「このまま、結界の外まで行けないものですか?」

 龍郎の問いに、神父は首をひねる。

「さて、どうかな。低級な悪魔の結界なら、かんたんにやぶれるが」


 オープンカーは快調に走っていく。インスマスの町が遥か彼方に積み木のように小さくなっていく。周囲は海岸と林ばかりだ。


 しかし、龍郎は気づいた。


「変ですね。さっきから、あの岩礁、ちっとも遠くならない」


 沖合いにある、クトゥルフがひそんでいるという岩礁だ。

 インスマスの町がぐんぐん遠ざかるのに、岩礁との距離は少しも変わらない。なんだか、岩礁そのものが追ってきているかのようだ。


 車で走りだして、三十分も経過しただろうか。

 いかに時速三十キロとは言え、すでに十五キロは走行している。岩礁との距離が同じだなんて、ありえない。岩礁が自動車に並行して走っているのでもないかぎり。


 すると、頭上から声が降ってくる。ガブリエルだ。


「龍郎。この道からでは結界を出ることはできない。ゲートから遠くなるばかりだ」

「そうなんですか?」

「この結界の内へ来るとき、我々はどこを通ってきた?」

「洞窟ですね。教会の地下にあった」

「そう。あれがゲートだ。ということは、帰りもあの洞窟を通らなければ戻れない」


 言われてみれば、そのとおりだ。

 ということは、またインスマスへ逆戻りしなければならない。


「人魚たちを追いはらいながら、洞窟まで行かないといけないのか。海辺のほうだから、町を丸々一個、つっきらないとダメですよね」

「そのできそこないの女を置いていくなら、今すぐ私と堕天使で結界の外までつれていけるが?」


 なつきを置いていけというのだ。

 正論なのだが、それができないから、ここまでつれてきたわけだ。

 完全に奉仕種族化した人魚には、人間としての知性はほとんど残っていないようだ。目の前にあるものを本能的に攻撃しているだけ。

 アルバートの妹だからと言って、必ずしも少女が安全なわけではない。


「町なかをさけて、岩場づたいに洞窟まで行けないですか?」

「それはできるかもしれないが、足場は悪いだろう」

「とにかく、やってみましょう」


 車道にはほかの車は一台も往来していない。神父は乱暴に道のまんなかでUターンし、進路を逆方向にむけた。

 インスマスの町へ入る手前でオープンカーを乗りすてる。龍郎たちは林のなかから海岸を見渡した。


「磯へおりていく階段がある。あそこから行けそうだ」


 道路が急カーブしたくぼみあたりに、石を刻んだような細い階段がある。そこから岩場づたいに歩いていけそうだ。


 岩場は見通しがいい。

 インスマス人たちに見つからなければいいのだが……。

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