第二話 ガストンのねじれた部屋

第2話 ガストンのねじれた部屋 その一



 あとの時間は公園のベンチに座り、ぼんやりすごした。

 本来なら、セントラルパークのなかにはメトロポリタン美術館もあるし、博物館もある。動物園や植物園もある。それらを歩いてまわるだけでも一日をつぶせる。


 だが、ベンチに座った青蘭は何かを物思うように黙りこんでいた。

 いったい何を考えているのだろう?

 ノーデンスの密命についてだろうか?


(青蘭。君はもう思いだしてるの? アスモデウスの記憶のすべてを)


 聞きたいが、聞けない。

 すべてを思いだしたとき、青蘭は去っていくのではないだろうかと思うと、聞くのが怖い。

 青蘭が愛しているのは苦痛の玉の持ちぬしだった天使。龍郎ではない。その誤謬ごびゅうに気づいてしまうのではないかと不安になって。


 そう言えば、さっき幻のなかで、青蘭は言っていた。つがいの相手はミカエルしかいないと。


(ミカエル。それが君の恋人の名前か)


 天使のミカエルと言えば、大天使ミカエルだろうか。

 堕天したルシファーと戦い、勝利したという悪魔殺しの天使。


 じっと見つめていると、そのとき、電話が鳴った。青蘭のスマートフォンだ。


「青蘭。電話、鳴ってるよ」

「あっ、うん」


 龍郎に声をかけられて、やっと我に返ったようだ。青蘭がポケットからスマホを出す。


「ああ、佐竹。ガストンの居場所わかったの?」

 などとやってるので、相手は佐竹弁護士だ。しばらくして、青蘭は意気揚々と電話を切った。


「龍郎さん。ガストンが最近に借りたマンションの場所がわかりました。今から行きます」

「どこ?」

「この公園のすぐ南側にあるタワーマンションだって。隠れ家用みたい」

「住所わかるの?」

「佐竹の事務所まで行けば、さっきの運転手が車、出してくれるって」

「そうなんだ」


 公園の広さがあだとなって、外へ出るのに二十分ほどかかったが、どうにか歩いて広大な緑の迷路を脱出した。


 日没が近い。

 帰路を急ぐニューヨーカーがたくさん歩いていた。ちょうどラッシュアワーだ。車も多い。


 今から行けば、ガストンのマンションについたときには完全に暗くなっているだろう。

 心配したが、佐竹の事務所の前まで行くと、運転手はすでに車をまわして待っていた。ププッと軽くクラクションを鳴らしてくる。昼間に乗せられたロールスロイスだ。

 ドライバーの男が長く黒い車から降りてくる。


「佐竹さんから聞いています。どうぞ、お乗りください」


 日本語だ。顔を見て東洋人だとは思っていたが、日本人らしい。


「失礼ですが、お名前は?」

剣崎けんざきです」

「変わったお名前ですね。剣崎さん。おれは本柳龍郎。青蘭の助手です。よろしくお願いします」

「どうぞ。お急ぎなんでしょ?」


 剣崎は三十代のようにも、四十代のようにも見える。彫りが深いのでハーフなのかもしれない。


 遠慮なく後部座席に乗りこむと、高級車はすべるように発進する。


 ニューヨークには東京より背の高いビルがたくさんあるイメージを持っていたのだが、じっさいに来ると意外とそうでもない。ヨーロッパのような古めかしい四、五階建てのビルも多かった。


 そう言えば出立前、ニューヨークへ行くなら、なんとかいう図書館へ行って写真を撮っておいてくれと清美が言っていた。誰かが死んだ場所だから、聖地なんだとかなんとか。清美のことだから、どうせ二次元の世界の話なのだろうが。

 その図書館も情趣のある建築のようだ。


 もちろん、高層ビルも目につく。

 龍郎の苦手な大都会だ。

 運転手つきの贅沢な送迎で助かった。

 問題のガストンのタワーマンションは、公園の南側のすぐ前だった。ロールスロイスに乗車している時間はわずかに五分ていど。


「このビルですね。佐竹さんがさきに来て待っておられます」


 剣崎はそう言って、建物の前の路肩に高級車を横づけにした。


「私は車を戻しに帰りますので、必要になればお呼びだしください」


 ニューヨークの駐車事情にはうといが、たぶん日本のようなコイン式の駐車場はあまりないのではないだろうか。コンビニですら見かけない。ロールスロイスはそのまま車道に乗って走り去っていく。


「このマンションの何階かな」


 龍郎が言うと、青蘭がふたたびスマートフォンをとりだす。佐竹弁護士に連絡したのだ。


「すぐ来るって」


 ファザード前にはドアマンが立っていて、部外者はなかへ入れなくなっていた。掛け値なしの金持ちのための高級マンションだ。ホテル並みの待遇である。いかに高級取りの国際弁護士だからと言っても、隠れ家ということは本来の住居は別にあるのだろう。これだけの贅沢ができるなんて、ちょっとおかしい。


「前に佐竹弁護士は月に一千万で雇ってるって言ってたよね?」

「うん。それに東京のいくつかの不動産を貸し出して自分の利益にしてるみたい」


「そういう弁護士、ヤバイんじゃない?」

「そう? でも財産の流用は第一秘書から第三までの秘書がそろわないとできないんだ。横領はできないよ」


「だとしたら、ガストンはアルバートから報酬を得たのかな」

「そうだろうね。僕から祖父の遺産の半分をとりあげたら、報酬として一億ドル渡すとか吹きこまれて尻尾ふったんじゃないの?」


 まあ、そんなところだろう。前金としていくらか貰っていたのかもしれない。


 そんな話をしているところへ、佐竹弁護士がやってきた。


「サー・マスコーヴィル。ガストンめ、部屋にいるのですが、なかへ入れてくれません。あなたさまがいらっしゃる前に説得しておくつもりだったのですが」

「わかった。とりあえず、行ってみよう」


 応えたのは青蘭だ。

 ノーデンスらしき老人と話してから、いくぶん心が落ちついている。


「では、おいでくださいませ」


 一流ホテルのような玄関ホールをぬけ、エレベーターに乗ってつれていかれたのは最上階だ。


 雇いぬしの青蘭が、日本では二百万で買った築百年の古民家に暮らしているのに、佐竹と言いガストンと言い、どれほど贅沢をすれば気がすむのだろう。


 厳重なセキュリティのドア前に立って、呼び鈴を鳴らすと、インターフォンはつながった。英語でつぶやく男の声が聞こえる。


「ヘンリー・ガストン。おまえに釈明のチャンスを与える。これが最後通告だ。五秒以内に鍵をあけて僕をなかへ入れないと、おまえはクビだ」


 青蘭は日本語だが、誰がなんのために来て何をしゃべっているかは充分、なかにいるガストンにも予想できたはずだ。それくらいの気迫はこもっていた。


 しかし、あいかわらず、ゴニョゴニョと変なささやきが聞こえるばかりだ。

 やがて、それはすすり泣きになった。

 自分のしでかしたことを反省して泣いているのだろうか?


 なんだか、ようすがおかしい。

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