第7話 虚構への道 その三



 鍾乳洞のさきが楕円形に白い。日の光だ。

 急いで向かうと、やがて外の景色が見えてきた。


「……龍郎さん」


 不安そうに青蘭が龍郎の手をにぎりしめる。

 それはそうだ。

 条理に反している。

 建物の地下へ続く階段を進んでいたら、いつのまにか外界へ通じていたなんて、どう考えてもありえない。よこ方向へ伸びるトンネルだったなら、別の出口に出ただけだろうと思うが、ひたすら下降していたのだから。


 洞窟の外は霧がかったように、どこかあいまいだ。

 出口のきわまで来て、ようやくハッキリと見てとれた。


 磯辺の岩場である。黒い岩にボコボコ穴があいていて、海水がたまっている。フジツボが張りつき、水のなかにはイソギンチャクや魚がゆれていた。


「教会からぬけ道を通って海岸に出てきた……ってことですか?」


 何かがおかしいという感覚はあったが、そう考えるのがもっとも妥当だ。言いながら、頭では違う、違うと心の声が告げていた。


「これって東海岸ですよね。セイラム……って、こんな感じでしたっけ? 教会も海岸の近くだったけど、港があって、建物もたくさんあって、もっとにぎわってましたよね?」


 たずねるが、神父もガブリエルも黙っている。二人とも眉根をしかめて、いかにも言いたいことを飲みこんでいるようだった。


 岩場の一方が陸地に続いている。しかたないので、とりあえず、そっちのほうへ歩きだした。あの少女はどこへ行ったのだろうか。まるで人影が見えない。


 無人の海辺が続く。

 沖のほうにかなり目立つ岩礁がある。小さな島のようにも見える。なんとなく禍々しい。


(変だな。どこかでこれに似た風景を見たような?)


 アメリカに来るのは初めてだ。もちろん、じっさいに見たはずがない。ただのデジャヴとしか言いようがなかった。


 ようやく町が見えた。岩場より一段高い防波堤を越えると、ぽつぽつと人家があった。

 古くさい建物だ。壁の色が暗い。西洋の建物であることは間違いないのだが、通りすがりに車内から見たセイラムの町並みはもっと明るくて、魔女の町というよりリゾートのようだった。あのときとは風景のふんいきがかけ離れすぎている。


「十九世紀に迷いこんだみたいだ。電柱も電線もないし、今風の建物がまったく見えないなぁ」


 建物が暗い印象を受けるのも、きっと建築様式が古いせいだろう。レンガや黒い石の建物ばかりで気が滅入る。


「あの子にまた逃げられた。どこへ行ったんだろう?」


 ふつうの町なかだ。

 これではもう、どこかそのへんの建物に逃げこまれてしまえば探しようがない。


「いったん教会に戻って、待機したほうがいいと思いますか?」


 龍郎は神父にむかって聞いているのだが、あいかわらず難しい顔をして応えてくれない。もしかしたら、フレデリック神父にも答えようがないのかもしれない。何が起こっているのか、よくわかっていないのではないか。


 清美は長丁場になると言っていた。それは教会からあの少女が出てくるところを、ずっと見張って待っていなければならないという意味だったのだろうか?


(でも、最初は右で、最後は左とかも言ってたっけ。最初はともかく、最後に右か左で迷うような場所はなかったけど?)


 清美の助言は当たるのだが、そのときになってみなければ、凡人には予測がつかないことが難点だ。予言なんて得てしてそんなものか。


 とつぜん、青蘭が指さした。


「あっ、龍郎さん。あそこに人がいる」

「どこ?」


 港のようだ。倉庫のような建物がならんでいる。

 そのあいだの道路を歩いている者が一人あった。逆光なのか、妙に黒っぽい。体型がひどく人離れしていた。ゴリラかオランウータンのように腕が長く、足が短い。ピョコピョコとハネるような独特な歩行だ。


 急いで追いかける。

 どうにか住人とコンタクトをとって情報が欲しかった。

 しかし、龍郎たちに気づいたのか、住人らしき黒い人影は建物の角をまがり、姿を隠してしまった。


 龍郎はそこはかとなくイヤな予感がした。この感じ、以前にも経験したことがある。

 まるで無人のような町。

 ときおり、かいまみえる奇形じみた住人。

 そうだ。あの町に似ている。


 まだ青蘭と出会ってまもないころに、人魚の島へ潜入した。青蘭がさらわれて追っていったのだ。島ごと人魚の隠れ里になっていた。そして、そこで神として崇められていたのは、クトゥルフだった……。


忌魔島いんまじまにそっくりだ」

「そうだね」


 クトゥルフがいるかもしれないとは思っていたが、なんというか、それだけとも違う。

 教会のなかがというより、この町じたいがクトゥルフの支配地であるかのような……。


「見ろッ!」


 とうとつに神父がするどい声を発した。彼が示しているのは、港の看板だ。薄汚れていてところどころ綴りが見えない。かろうじて、なんとかポートと読める。つまり、港の名前だ。


「えーと、文字がよく見えないな。なんて書いてあるんですか?」


 神父は声をひそめた。

 周囲に聞かれないためというより、それを言葉に出すことがイヤだから……と言ったふうだ。


「インスマスだ。インスマス・ポート」


 龍郎は最初、その意味がわからなかった。しかし、どこかで聞いた地名ではある。考えていると、神父がさらに声を低めて告げる。


「クトゥルフ神話だ。君はラブクラフトを読んでないのか? 基本中の基本だろう?」


 インスマス……ラブクラフト……。

 やっと、龍郎にも神父の言わんとする意味が理解できた。


「そうか。インスマスって、『インスマスの影』の……それって、ラブクラフトの小説のなかの世界ってことですか?」

「そうだ。ここは虚構の世界だ」


 いったい、いつ、どうして、そんなことになったのだろう?

 インスマスはラブクラフトの小説のなかに登場する町だ。

 教会の地下に鍾乳洞があったあたりから、何か変だとは思っていたが……。




 了

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