第5話 翼ある蛇 その二



 翌朝。


 ラガーディア空港はニューヨーク市クィーンズ区にある。アメリカ国内の主要都市のほか、おもにカナダとのあいだをつないでいる。ニューヨーク州の北西に位置するスリーピー・ホローからは、同じニューヨーク市のジョン・F・ケネディ国際空港よりも距離的に近く利便がいい。


 ラガーディア空港へ行くと、すでにプライベートジェットは到着していた。搭乗口が一般とは異なるので、混雑にまきこまれることもなく、その乗り物の前に案内された。


 広い滑走路のかたすみに小さな黒い機体がうずくまっている。よくある白いジャンボジェットを想像していた龍郎は、正直ちょっとガッカリした。もちろん、ふつうのプロペラ機などにくらべれば、かなり大きいが、ジャンボジェットの半分にも満たない。


「……可愛い飛行機だね」


 龍郎が言うと、青蘭は笑う。


「でも、龍郎さん。見て。機体の名前。おじいさまらしい」

「えーと……QUETZALCOATLUSか。なんて読むんだろう?」

「ケツァルコアトルだ」と言ったのは、青蘭ではなかった。フレデリック神父だ。空港までは神父の運転する車で来たし、当然、このあともついてくる。


「ケツァルコアトル? なんかの神話に出てくる翼のある竜……でしたっけ?」

「アステカ神話だな。有翼の蛇神だ。豊穣の守り神。北米ではその名を冠した翼竜の化石も見つかっている。ケツァルコアトルス・ノルトロピ。翼竜のほうは羽をひろげると乗用車三台ぶんだ」


 乗用車三台ぶんと言えば、ちょうどこのケツァルコアトル号の全長くらいだ。見ためと言い、海蛇の神の乗り物にはふさわしい名前と言えた。


(もしかしたら、アンドロマリウスのやつ、大昔にはほんとに翼竜を乗り物にしてたのかもな)


 そんなふうに思う。

 人型をとれば、大きな翼竜に乗ることは容易だったろう。あるいはクトゥルフの邪神と争ったという戦役のときにも、翼竜を戦闘機がわりに使っていたのではないだろうか。時代が移り、現代ではそれが鉄の鳥へと化身した。


 外観は想像していたよりコンパクトだが、いざ、搭乗すると印象は変わった。豪華さがジャンボジェットとはぜんぜん違う。まるで高級ホテルの客室だ。ファーストクラスより遥かにゆったりした離着陸時用の一人掛けの席が六つ。その前後にはバーや応接セットがあり、クィーンサイズのベッドも用意されていた。内装の優美さには、機械のなかにいる印象がまったく感じられない。


「あっ、龍郎さん。ベッドがあるよ。イチャイチャしよ?」

「えっ? それはさすがにちょっと……」

「ほらほら、来てよ」

「いや、離陸のときはシートベルトしてないと」


 青蘭にひっぱられてアタフタしていると、神父が舌打ちをついて席についた。リクライニングを倒してアイマスクをつける。


 龍郎はそれを見て機嫌をよくし、青蘭をかかえたままベッドの上をゴロゴロした。もちろん、それ以上、何かをするつもりはないが、青蘭は頰を赤らめ、期待するような目でウットリと龍郎を見あげている。


 遺産の問題は解決したし、アルバートの行き先にも目処がついた。青蘭もやっと少しは安心したのだろう。

 早く快楽の玉をとりもどして、今の笑顔を永遠にしたい。

 それでもまだ、ルリムとの約束は残っているが……。


 搭乗員の女性が離陸を告げる。

 龍郎は青蘭とならんでシートにかけた。


 搭乗員は機長、副操縦士、キャビンアテンダント二名、専用の料理人が一人、それにもしものときのための医者だ。肌の色の違いはあるが、全員、アメリカ国籍である。

 わずか一時間半のフライトのために万全の準備だ。


 やがてケツァルコアトルは滑走路へとすべりだし、ゆるやかに上昇する。シートのすわり心地がいいせいか、このまま眠ってしまいそうな優しい浮上だ。


「龍郎さん。寝ちゃダメ。一時間半しかないんだよ?」

「わかった。わかった。言っとくけど、寝ころがるだけだよ?」

「ええっ?」


 子どもっぽいところも何もかも、青蘭のすべてが可愛い。


 カーテンで仕切られたベッドによこたわり、丸い窓の外をながめる。

 青蘭は以前、飛びたいと言った。自分の翼ではなくても、機械の力を借りてでも、雲をつきぬけ青空に舞うことは、心躍ることなのだろう。久々に幸せそうな青蘭を見た。


「龍郎さん。約束してね」

「えっ? 何?」

「……快楽の玉をとりもどしたら、今度こそ、一つになろう?」


 切実な目で、青蘭は龍郎を見つめている。龍郎にも伝わっていた。青蘭はあせっている。もう時間がないと本能で感じてでもいるかのように。


「うん……」と言うほかなかった。

 今ここでルリムとの契約について話すのは、残忍を通りこして非道な気がする。


「近ごろ、よく夢を見るんだよ」

 不安げに瞳を翳らせて青蘭が言うので、

「どんな夢?」


 龍郎が問いかけたときだ。

 窓の外を何かがよこぎった。


「あれっ?」

「どうしたの? 龍郎さん」

「今、なんか飛んでいったよね?」

「そんなはずないよ。ここは雲の上だ。鳥かな?」

「鳥が飛ぶには高度が高いんじゃないかな」


 飛行機に鳥が衝突することはわりとよくあるらしいが、もっと地上付近でのことだ。ここまで高くなると、ふつうの鳥が飛行しているとは思えない。


 それに、もっと根本的なところでの違和感があった。

 鳥にしては、やけに大きかったような……?


 龍郎は窓に顔を近づけ、空の景色を凝視した。

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