第五話 翼ある蛇

第5話 翼ある蛇 その一



 スリーピー・ホローにある高級ホテルに一泊することになった。

 クトゥルフが経営する人魚の缶詰工場から這うようにして逃げてきたので、今夜は疲れきっている。


 とは言え、神父の報告だけは聞かないわけにはいかなかった。

 ホテルの豪華なレストランでフルコースのディナーを食べながら、三人でテーブルをかこんでいた。


「あなたが工場にひそんでいると言っていたのは、クトゥルフのことですね? アンドロマリウスはアルバートがあの邪神と手を組んだと言っていた。そんなことができるもんなんですか?」


 フレデリック神父はついさっきまで木箱のなかに閉じこめられていた人とは思えない優雅な手つきで高級肉を刻みながら、シャレたジョークのように言う。


「海蛇も大ダコも海の生き物だろ。できなくはない」

「いや、でも、相手はクトゥルフですよ? 邪神と地の神は本来、敵対しているはずです」

「違うね。ヤツらは人間ではないもの。人智がおよばないというところで共通している。利害関係が一致すれば、手を組むさ」

「でも、アルバートはずっと人として育ってきた。悪魔ならともかく、邪神と……」

「まあ、事情はあるだろうがね」


 いったい、なんの事情があれば、邪神と共闘できるというのか。しかも、アルバートは実質、青蘭の兄だ。


「アルバートの行方がわかりましたか?」


 たずねると、神父はうなずいた。


「あの工場には外部と連絡をとる手段が一つしかなかった。事務室にある固定電話だ。履歴を調べた。奇妙なことに連絡をとりあっているのは、ただ一つの番号だ」

「工場なら取引先など、複数ありそうなものですが」

「だから、奇妙なんだろ。それもクトゥルフが人間界に置くためのただの拠点なのだとしたら、工場の経営は目くらましにすぎない」


 それはわかっているが、まだ信じられない。いや、信じたくないのだ。アルバートは青蘭に対して、この上なく残酷なことをした。だが、それはすべて、妹を大切に思うあまりだ。他者を愛する心を持つ者が、邪神と組めるとは思えない。


「それで、事務室の電話に残っていたのは、誰の番号なんですか?」

「セイラムにある教会だ」

「教会。セイラム……?」

「知ってるか? 魔女裁判で有名な街だ。今はダンバースという地名になっている」

「えーと、村の女の子たちが集団ヒステリーを起こして、大人を次々、魔女だと言いだし、百人以上の人が魔女の容疑で捕まったって事件じゃなかったですか? じっさいに処刑された人も十数人いたはず。アメリカではかなり有名な事件で、日本でも何度もテレビで見ましたよ」

「女の子たちは遊びだったって話もある」

「恐ろしいですね」

「子どもってのは意外と残酷なものさ」


 神父はスマホを出して地図を呼びだした。


「マサチューセッツ州のこのあたりだ」

「そこに、アルバートがいるんですか?」

「あの工場の経営者は死亡したガストン弁護士になっている。まちがいなく、アルバートとも関連がある。そこから連絡があった唯一の場所なのだから、無縁なわけがない。ただし、その教会にいるかどうかはわからないが」


 マサチューセッツ州と言われても、龍郎にはそれがどれくらい遠いのか、案外、近いのかすらわからない。


「車で移動するんですか?」

「車でも五時間ほどで行ける。だが、ボストンまで飛行機で行けば、半分以下の時間で着くな。急ぎなら飛行機だろう」


 すると、やたらと世界の三代珍味を多用した料理を小鳥のようにつついていた青蘭が、ふと思いだしたように口をひらいた。


「そう言えば、アメリカの空港のどっかにプライベートジェットを保管してた」

「えっ?」

「僕は今までアメリカに来たことないから使ったことないけど、おじいさまは仕事でよく使ってたって」


 青蘭が金持ちなのは知っていたが、まさかプライベートジェットまで持っていたとは。しかし、よく考えたら、仕事で世界中をひんぱんに行き来する青蘭の祖父には必需品だったのかもしれない。正体はアンドロマリウスだが、人間社会では表の顔を守る必要があっただろうから、魔法で転移というわけにはいかない。


「それ、今でも使えるのかな?」

「売ってないから、使えると思う。だけど、ガストンは死んだし、佐竹は仕事のできる状態じゃないし、第三弁護士のウォーレンは税理士だから、財産管理以外の事務にはむいてない」

「そうか」

「あっ、でも待って。引退したほうのガストンなら、なんとかなるかも。アイツはおじいさまのころからの弁護士だから」


 死んだヘンリーの父のことだ。

 青蘭はポケットからスマホをとりだし、どこへやらかける。日本語でしゃべっているが、相手は意味を解しているらしい。しばらくして青蘭は電話を切った。


「ヘンリーに代わって次男のグレッグが仕事を引き継ぐって。しばらくのあいだは親父のトミーが後見についてくれるっていうんだ」

「ヘンリーは金に目がくらんで青蘭を裏切ったろ? その一家、信用できるの?」

「じつは、おじいさまのころから広まってるウワサがあって。おじいさまを裏切った人間は必ず怪死するっていう。トミーはそれを恐れてるんだと思う」

「なるほど」


 たぶん、祖父のアーサー・マスコーヴィルのころは、アンドロマリウス自身がなんらかの報復をしていたのだろう。近くで何人もの変死をまのあたりにしていれば、信じざるを得ない。


「ヘンリーも変な死にかたしたから、その現象が僕の代になっても続いてるんだと確信したんじゃないかな。とりあえず、飛行機は明日、朝九時までにはラガーディア空港にまわしといてくれるって言ったよ」

「へえ。プライベートジェットか。そんなの初めてだなぁ」


 一般庶民の龍郎には一生、縁がないはずのものだった。

 そこへ行けば、アルバートとの決戦の場になるかもしれないというのに、遠足に行く前の園児のように、妙にワクワクしてしまう気持ちを、龍郎は抑えることができなかった。

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