第9話 迷夢 その二



 清美のたぐいまれな能力。

 それは未来の夢を見て予知をすること。

 また、眠っている人の夢に同調することで、同じ夢を見ること。

 つまり、夢見る人と夢のなかで話すことができる。


 とっくに壊れているはずの携帯電話で会話ができるのは、この世界が龍郎の見ている夢だから……。


(でも、それじゃ、いったい、いつからが夢なんだ? いつのまに眠ってしまったんだろう?)


 もしこれが夢ならば、助けたと思った青蘭もほんとはまだ救われていないのかもしれない。

 クトゥルフは倒したのだろうか? それとも、もっと前?


 龍郎の意識は混濁する。


「龍郎さん。教会に戻って……」


 急に清美の声が遠くなった。

 柱廊のような空間を、青白い水脈のように光の尾をひいて、巨大な蛇が近づいてくる。


(アルバートか?)


 この結界のぬしであるアルバートが自ら出向いてきたのだろうか。

 だが、なぜかはわからないが、その光の筋はどこか物悲しく見える。


 そのわけはすぐにわかった。

 光の蛇は、なつきだ。大蛇の下半身の上にワンピースを着た少女の姿がある。


「龍郎。お願いがあって戻ってきた」

「戻って……と言うことは、君はやはり死んだのか?」


 なつきはあいまいに首をかしげた。


「夢は夢。すべて嘘だし、すべてほんと」

「よくわからないな」

「一つの世界では、夢は現実。おまえはを倒した。夢の世界での勝利は、心でに勝つこと」


 つまり、夢はそれを見せたクトゥルフの世界そのものだから、そこに現れたクトゥルフも本物。精神的な戦いに勝った、ということだろうと龍郎は解釈した。


「でも、勝ったはずなのに、ここから出られないのは?」

「迷路は別物」

「えーと、アルバートが作ったから?」


 こくんと、なつきはうなずく。

 やはり、ガブリエルがさっき言っていたように、結界を作っているのは、アルバートのようだ。

 この夢の世界は、龍郎が無意識に感じとったことを反映しているのかもしれない。直感で悟ったことは意外と真実を見ぬいているものだ。


「ついてこい」と、なつきは言った。

 巨大な青白い蛇の尾をすべらせながら、龍郎たちを案内する。龍郎以外の仲間は夢の産物なのか、または彼らも龍郎と同じ夢を見ているのか、そこはわからないが、とにかく、みんなで少女のあとを追った。


 やがて、さっき、クトゥルフと戦った空間まで来た。

 なつきはそこで告げる。


「しっかり、つかまって」


 龍郎たちは、なつきの胴体につかまった。

 急速に洞窟が遠くなる。

 距離的に移動しているというよりは、夢から覚めるときのような感覚だ。しだいに周囲の音がハッキリと聞こえ、意識が覚醒してくる。


 ——……ろう。龍郎……。

 ——たつろうどの。

 ——龍郎さ……。


「——龍郎さん! 龍郎さん! しっかりして!」


 どこからか自分を呼ぶ声が聞こえる。

 龍郎は目をあけた。

 上から誰かが覆いかぶさるようにしてのぞきこんでいた。ぽたぽたと龍郎の頬にあたたかいものがこぼれおちてくる。


 涙——


「……青蘭?」

「龍郎さん。死んじゃったかと思ったよ」


 青蘭が泣きながら抱きついてくる。


 龍郎は周囲を見渡した。固い岩の上に寝かされているようだ。まわりに神父やガブリエルが立っている。


「おれは……いつから意識を失って?」


 青蘭を抱きしめて持ちあげるようにして、半身を起こす。体に不調はない。ケガをしている感じもなかった。ただ、やけに疲れてはいたが。


「おぼえてないの? 僕がインスマス人に海中にひきずりこまれて、龍郎さんも助けようとしていっしょに落っこちて……そのあと、マルコシアスが助けてくれたんだけど、龍郎さんは目をさまさなかったんだよ」


 なるほど。たしかに青蘭は服を着ている。クトゥルフに弄ばれて快楽の玉をぬきとられたのは、龍郎の妄想だったということか……。


 だが、ここまでつれてきていたはずの、なつきの姿がなかった。


「なつきは?」


 周囲の人々は顔を見あわせ、微妙な顔つきをする。龍郎は察した。


「死んだ……のか?」


 ガブリエルが端的に答えた。


「死んだ。さきほど急速に全身へ壊死がひろがり、くずれるように消えた」


 やはり、そうか。

 ここまで龍郎の意識をつれてきてくれたのは、なつきだ。もとより進行していた壊死のせいか、それとも夢のなかでの精神的な攻撃が原因だったのかはわからない。


 しかし、なつきの言っていたとおり、あの世界はただの夢ではなかったのだろう。何かしらの影響を現実に与える物質的な悪夢だ。それがクトゥルフの常套手段なのだと理解した。


「青蘭は変な夢見なかった?」


 たずねると、青蘭は顔を赤くした。


「見たの?」

「海のなかで溺れそうなときに……でも、たいしたことじゃなかったよ」


 嘘をついてる。

 きっと、龍郎が見たのは妄想ではなかった。それもまた、クトゥルフの見せた……。


「とにかく、龍郎が気づいたのなら、ここから脱出しよう」と、神父が言った。

 ごもっともなので、龍郎はうなずく。


 現在地はインスマスの町の海岸線にある岩場だ。

 だが、沖合いの黒い岩礁がなくなっている。


「岩礁が……」

「そう。君が失神しているときに、とつぜん海中に没した」と、ガブリエル。


 この世界からクトゥルフが去ったせいだ。ということは、残るはアルバートのみ。


 龍郎たちは岩の上を歩きだした。が、例の岩壁には洞窟の入口が見あたらない。

 なぜだろうか?

 あれは夢のなかだったはずなのに、現実でも来たときに通った洞窟が消失していた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る