第10話 選択の時 終章
「……嘘、だよね? 龍郎さん。そんなこと、約束しないよね?」
「…………」
「だって、快楽の玉も苦痛の玉も、絶対に誰かに渡すことなんてできないよ? 龍郎さん自身だって……僕らが一つになるために、どれも欠けてはならないものだ」
嘘だと言ってほしそうな顔で、青蘭は龍郎の両肩にしがみつく。
「青蘭。そうじゃないんだ。これにはわけがあって……」
「どんなわけ? 龍郎さんは僕と一つになりたくないの?」
「そうじゃないんだ」
龍郎はあのときのやむにやまれぬ状況を説明しようとするが、あわてているせいで、なかなかうまく伝えることができない。言葉を探す龍郎を見て、青蘭の顔つきがますます、ひきつっていく。美しい瞳が翳り、よからぬ答えを導きだしたことを、龍郎は予感した。
「青蘭。違う。おれは——」
「……やっぱり、そうなんだ。龍郎さんも……僕を裏切るんだ」
その両眼から涙がこぼれ、青蘭は走りだした。
「待ってくれ! 青蘭!」
ひきとめようとする龍郎の手をふりはらい、豪華な寝室をとびだしていく。
「青蘭! 青蘭、待てよ!」
急いで追いかけようとしたが、龍郎はルリムに手をつかまれた。
「龍郎。答えを聞かせてくれないといけないわ。これが最後の通告よ。約束をたがえたときは、あなたを殺す」
「ちょっとだけ待ってくれ。青蘭にちゃんと説明するから」
「ダメ。これは、あなたの選択よ? 悪魔が約束の代償をひとつきも待ってあげたのに、これ以上、まだ待てって言うの? それは契約不履行ってこと?」
急ぎたいのに、ルリムの力は案外強い。彼女もやはり、こう見えて邪神なのだ。褐色の肌、銀色の髪の美女に見えるのに、龍郎の手をつかむ力はクレーン車のようだ。とても払いのけられるとは思えない。壁に鉄枷で固定されたように、つかまれた手がピクリとも動かない。
そうこうするうちに、青蘭の足音がどんどん遠くなる。
龍郎は覚悟を決めた。
いつかはしなければならない選択だ。
どの一つも選べない。
だが、どうしても選ばなければならないとしたら、これしかない。
「わかった。答える。だが、その代償を支払うのは、もう少しさきでもかまわないか? 必ず支払うから」
「いつ?」
「クトゥルフを倒したあと」
ルリムは考えこんだ。
かなり難しい表情をしている。
「……その答えが返ってくるとは予想してなかったわね。あなた、クトゥルフを倒すつもりなの?」
「ああ。倒す。苦痛の玉のカケラの最後の一つを、アイツが持ってる。君にしたって、条件の一つの苦痛の玉が傷物のままじゃ、イヤだろ?」
「そうね。たしかに完全な形じゃないと意味がないかもね」
ルリムはようやく承諾してくれた。ニヤニヤ笑いつつ、耳打ちする。
「それで、あなたの答えは?」
「…………」
これを言うしかない。
それは少し前から、心の奥底では出ていた答えだった。
とても悲しい選択だが、青蘭の幸福を思えば、ほかにないのだ。
(消去法しかないんだ。青蘭は快楽の玉と苦痛の玉を一つにして、今度こそ天使として再生したい。今の呪われた輪廻を断ちきりたい。だとしたら、残る一つは……)
この答えを言いたくないのは、龍郎自身だ。
青蘭がほんとに愛しているのは、苦痛の玉の持ちぬしだった大天使ミカエルなのだから。
そんなことはとっくにわかっていた。
苦痛の玉と快楽の玉が重なるのなら、その相手は龍郎でなくてもかまわない。
悲しいけれど、それが事実。
今こそ、それを認めなければ……。
「——おれだよ。おれを君にさしだす」
「ほんとに、それでいいの?」
「ああ。それしかない」
「二言はないわね?」
「ないよ」
ルリムは弾けるような笑い声をあげると、龍郎の首に抱きついてきた。
「約束よ。あなたはルリム・シャイコースの王になる」
「……ああ」
龍郎は嘆息した。
もちろん、青蘭を愛している。離ればなれになることは半身を裂かれるようにツライ。それでも、青蘭のためにはこの選択がベストのはず。
「約束はした。だけど、支払うのはクトゥルフを倒したあとだ。それまでは今までどおりに自由にさせてもらう」
「いいでしょう。そのくらいのワガママは通してあげる。だって、あなたはわたしたちの王なんだものね」
すばやく唇を重ねたあと、ルリムは去っていった。
龍郎は急ぎ部屋を出て、青蘭を探す。ホテルの寝室は二人で一室をとっていた。青蘭の行く場所としては、ホテル内の公共の場か、あるいはホテルの外……。
思いつく場所はすべて行った。バーやレストラン、玄関ホールや屋上、プール。夜間なので閉まっている店も多い。
つれがいなくなったと受付で告げて捜索を頼んだあと、龍郎はセイラムの町をかけまわった。
しかし、青蘭は見つからなかった。荷物も置いたまま、こつぜんと異国の地で姿を消した。
いったい、どこで間違って、こんなふうになってしまったのだろうか?
ずっと二人、幸福でいられると信じていたのに……。
第十部 完
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