第4話 スリーピー・ホローの怪異 その二
灯台の周囲に景観を乱すものは何もない。背景にかかる白い鉄橋。
雄大に流れる川。
緑豊かな岸辺。
見物じたいはすぐに終わりそうだが、夕景を待ちながら恋人と語らうなら、半日くらいは楽につぶせる。
「キレイだね。青蘭」
「うん。渡っていけるね。でも上にはのぼれなさそう?」
岸から灯台へかかる橋を使って歩いていくと、水面を流れる風を感じる。
チャプチャプとゆれるさざ波。
地元にある日本で二番めに大きな湖の景色に似ているので落ちついた。
灯台にあがれれば見張りにほどよかったのだろうが、どうも一般人はなかまでは入っていけないようだ。
「橋の上から見張ろう。あっちのほうが高いよ」
「そうだね」
灯台に近い鉄橋のことだ。灯台にかかる小さな橋とそっくりなデザインで、親子みたいである。
橋のふもとにはタリータウンライトハウスブリッジと記されていた。
そこから工場のあたりを双眼鏡でのぞく。塀のなかが少し見えた。作業服を着た人たちが窓のなかで働いている。でも、工場というわりには今どき信じられないくらいにアナログだ。オートメーション化がまったくなされていない。バカバカしいまでに手工業だ。魚肉のかたまりから包丁でウロコをとり、一つずつ処理している。と思うと、違うテーブルでは缶詰を人間の手で詰めて重さを測っている。
「なんか変だなぁ。あんなんじゃ夜までかかっても百個も作れないんじゃないかな」
「僕にも見せて」
青蘭に双眼鏡を貸す。
すると、青蘭が急に「あッ」と声をあげた。
「どうしたの?」
「龍郎さん。今……」
「えっ?」
青蘭が青い顔をして双眼鏡を渡してくるので、龍郎はそれを目にあてた。工場の窓をうかがうものの、とくに変なところはない。さっきと同様に作業を続ける人々がいるだけだ。
「別に何もないけど」
双眼鏡を離して青蘭の顔を見る。
青蘭は美しいおもてをこわばらせている。よっぽど恐ろしいものでも見たのだろうか?
「……テーブルの上に何が載ってた?」と問われて、龍郎は考えた。
「えっ? ふつうの魚の肉だったと思うけど?」
「ほんとに?」
「ちょっと待って」
そう言われると、あまり注目していなかった。たしかめるために、再度、双眼鏡をのぞいた。
工場のなかは電灯がついていないのか、かなり薄暗い。細部までは見てとれないが、テーブルの上に大きな魚肉のかたまりが置いてあるのはわかる。
いや、魚肉……?
なんだか魚にしては、ずいぶん大きい。しかも形が魚らしくない。
低く押し殺した声で、青蘭がつぶやく。
「僕には指があるように見えたけど……」
「指?」
龍郎はゾッとして、テーブルの上を凝視した。しかし、大きな牛刀のような刃物で今しも切り刻まれる肉は、すでに原形をとどめていない。魚なのか、爬虫類なのか、牛なのか、それとももっと別の何かなのかもわからない肉塊だ。
「見間違いじゃなかった?」
「一瞬だったから確信は持てないけど。暗いし」
なんとなく薄気味悪い。だが、ここからでは、それ以上、調べようがなかった。
それにしても、ほんとにカルト教団なのかと言えば、どうもそんなようすは見られない。ただの工場に思える。
「フレデリックさんが何かつかんでくるかな」
「どうだろう。僕、どっかに座りたいなぁ」
「そうだね。そろそろ昼飯にしようか。またさっきのファストフード店かな?」
「清美の煮た油揚げが食べたいなぁ」
「清美さんの煮しめって甘くない?」
「そこが好き」
「なるほど」
話しながら、もとの岸沿いの道路へ戻る。冷たい風が吹きぬけ、瞬間、耐えがたいほど生臭くなった。
背筋のゾクゾクが止まらない。
それは、悪魔の匂いだったような……?
道沿いには公園のように樹木の生い茂るスペースがたくさんあり、観光客がのんびりしている。牧歌的な風景にそぐわないイヤな感触。
どうにか近くにカフェを見つけて入りこんだ。神父からはなんの連絡もないので、そこで白身魚のフライとグリーンサラダを食べた。
その最中に神父から電話がかかってきた。
「龍郎です」
「君たちにすぐ来てほしい。ここには大変なヤツがひそんでる。アルバートがヤツとつながっているのか、無関係なのか、そこまではわからない。が——」
そのときだ。
急に「あッ」とか「うッ」とか何やら変な声が聞こえて、電話はとうとつに切れた。
「……フレデリックさんが拉致られた、のかな?」
「ほっとけば?」
「いや、そうもいかないよ。行ってみよう」
「まだスイーツ食べてなかったのに」
青蘭のなかでは、神父とスイーツの場合、スイーツの比重のほうが重い。ちょっと安心して、外へ出る。
「どうやって入るの? 僕らも忍びこむの?」
「さっき、双眼鏡で見てたとき、裏口があったよね。大きな箱をトラックに載せて、何度も出し入れしてた」
「うん」
「あそこから入りこめないか、ちょっとさぐってみよう。もしムリそうなら、工場見学を申し出るしかないかな」
「入れてくれるかな?」
「日本の工場なら、たいてい工場見学の日とか決まってるんだけど、アメリカはやってなさそうな気がするね」
「だよね」
裏口から入れるかどうかが、ただ一つの希望だ。そこから入れなければ、日本からマルコシアスを呼んで、彼の魔法の力で侵入するしかない。
しかし、高い塀沿いにまわりこみ、路地に面した裏口へ行ってみると、なぜか、戸はあいていた。
まるで、さあどうぞ入ってくださいと言わんばかりに……。
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