第3話 ゴーストホテル その三



 アメリカのおじさんたちは、美しい青蘭と飲めてご機嫌だ。

 ろれつが怪しいのと俗語が多すぎて、ちょっと何を言ってるのかわからないところもあるが、打ちとければ楽しい人たちだった。


 ステーキを切りわけ、ポテトをわけあって飲んだあと、龍郎と青蘭はモーテルへ帰った。深夜の二時をまわっていた。


「龍郎さん。オバケが出るって言ってたよね? あの人たち」

「そうだね。まあ、田舎町ではよくあるたぐいのやつじゃないかな。たいていどの地域でも、あそこは行っちゃダメだとか、不吉なことが起こるとか、地元で言われる場所があるじゃないか」

「そう……かな」


 龍郎は気にしていなかった。

 ただ、このあたりはネイティブ・アメリカンの居留地があるわけではない。なぜ、かかわりのない地に霊が現れるなんてウワサが広まったのだろうか。ニューヨーク州にも居留地はあるが、もっと北のペンシルベニア州に近いあたりだ。

 もっとも歴史の闇に葬り去られて忘れられてしまった大昔の霊なら現れてもおかしくはない。西洋人がやってくるまでは、この国の大地は彼らのものだったのだから。


(よくわからないけど、古戦場みたいなのが近いのかな?)


 部屋は細長いワンルームにシャワーとトイレがついている。ベッドはツインだ。外観は古いが、最近に壁をぬりかえたのか、室内は明るいふんいきで清潔だ。

 酒場のおじさんたちは「インディアンの羽根飾りをかぶった男の霊が出てくる」としきりに脅していたが、どうも本当らしくは思えない。それに、悪魔の匂いもしない。


 神父はもう帰ってきたのだろうか。

 気になるが、今夜は休むことにした。重大なことがわかれば、夜中でも神父は起こしてくるだろうと考えた。


「青蘭、さきにシャワー浴びていいよ」

「いっしょに入ろう?」

「せまくない?」

「抱きあってれば、大丈夫」


 エッチな気持ちで言っているわけではない。青蘭はつかのまでも一人になることが不安なのだ。快楽の玉をなくすことが、こんなにも青蘭の精神こころに影響をおよぼすとは思ってもみなかった。


「わかったよ。じゃあ、いっしょに入ろう」


 欧米人の体格にあわせた規格だから、ワンルームの安宿でも、充分、二人でシャワーを浴びることができた。

 素肌の青蘭を抱きしめていると、以前は感じられた二人のあいだの強い共鳴が消えてしまったことに愕然とする。

 二人でこれまで築いた絆も失われてしまいそうで、怖い。

 もし今、誰かが青蘭の胸にとびこめば、つないだ手がふりはらわれてしまうのではないか。

 そんなふうに思う。


「もうあがろう。湯あたりするよ」


 龍郎はそううながし、ぬれた髪からのぞく青蘭のひたいを見つめた。しずくのしたたる黒髪が吸いついて、肌の白さをきわだたせている。

 だが、とつぜん、龍郎は気づいた。


「青蘭……」


 思わず、声がふるえる。


 どうしよう。

 確認すべきだろうか。

 長い前髪をかきあげて、その下にを。

 だが、きっと青蘭は変に思う。


 考えこんでいると、青蘭はいぶかしんだ。


「どうしたの? 龍郎さん」

「いや……なんでもないよ」


 あとで青蘭が眠ってから見てみよう。それまでは黙っておいたほうがいい。でないと、青蘭が動揺する……。


 しかし、もう遅かった。

 龍郎の態度を不審に思ったのだろう。

 青蘭は背後の鏡をふりかえり、髪をかきあげた。そして、悲鳴をあげてバスルームをとびだしていく。


「青蘭!」


 あわてて追いかけると、青蘭は頭からバスタオルをかぶるところだった。ふわりとひるがえるバスタオルのすそから、青蘭の白いひたいが見えた。

 まちがいない。

 そこにある兆候を見て、龍郎はすくんだ。


(ケロイド……)


 火傷のあとだ。

 髪の生えぎわから、ほんの数センチだが、皮膚がただれている。

 青蘭が五歳のときに負った重度の傷跡。快楽の玉の力で生来の美しさを保っていた。その力が失われつつある。

 いつか、こうなることはわかっていた。やがて、この傷跡は全身に広がる。それも遠くない日に。


(やっぱり、青蘭の心臓だけでは長い期間、傷を癒しておくことができない。穂村先生の言っていたとおりだ)


 人工的に造られた天使である青蘭の心臓は、快楽の玉と同じ働きをする。が、その力は弱い。おそらく、快楽の玉にくらべて、もともと貯蓄しておける魔力がかなり少ない。器としての容量が小さいのだ。青蘭の姿形を保つためには、これまでより、もっとひんぱんに悪魔を倒さなければならない。


「青蘭。大丈夫だ。おれが悪魔を退治する。快楽の玉もきっと、とりもどすから」

「龍郎さん……」


 青蘭は弱々しく抱きついてきて、泣きぬれる。

 なんだろうか。

 この裏切ってる感。

 あの三択が頭から離れない。


「大丈夫。きっと、おれがなんとかする……」


 ささやきながらも、苦い気分でベッドに入った。眠りは重苦しかった。


 そのせいだろうか。

 真夜中、急に寒気を感じて、龍郎は目覚めた。枕元に誰か立っている。

 ギョッとしたものの、あわてることはない。ああ、出たなと思うだけだ。ウワサのインディアンの霊らしい。黒いシルエットは酒場で聞いたとおり、頭に羽根飾りをかぶっているように見える。


 成仏させてやるかと、龍郎が起きあがったときだ。

 フットライトに照らされた男の姿が、とつぜんハッキリ見えた。


「うわッ」


 思わず声をあげてしまう。

 となりで眠っていた青蘭が起きてきた。


「龍郎さん……?」

「ごめん。起こした」


 青蘭も目の前の男に気づき、ハッと体をこわばらせる。


 それは、なかなかの衝撃だった。

 男は羽根飾りをかぶっているわけじゃない。杭だ。頭部に何本もの杭が刺さっている。それが血にぬれて赤い羽根のように見えるのだ。頭からダラダラと血を流し、男は低い声でつぶやいた。


「brother kill me」と。



 *


 翌朝。

 龍郎たちはモーテルをチェックアウトした。鍵を返すとき、カウンターの奥に飾られた家族写真をながめた。カウンターのなかにいる男とそっくり瓜二つのもう一人の男。モーテルのオーナーは一卵性双生児らしい。


「どうでしたか? 幽霊は出たかい?」と聞いてくるオーナーには答えず、龍郎は鍵を手渡す。


「サンキュー。また来てよ」


 こうして見ると、オーナーはちょっと無愛想ではあるものの、普通の男なのだが。


「そうですね。今夜も用事がすまなければ泊まってもいいな」


 龍郎は心のなかでつけたす。

 そのとき、あなたがここに座っていればだけど、と。


「じゃあ、また」と言って、龍郎は右手をあげた。かるく手をふる仕草を男はまったく怪しんでいるようすはない。

 だが、次の瞬間、龍郎の右手がまばゆい光を放つ。

 男は光のなかに溶けていった。


「なんだ。やっぱり悪魔化してたんだな」

「匂いのしない悪魔ってめずらしいね」

「まだ、なりたてだったのかもしれないな」


 おかげで、今夜は別の宿を見つけなければならない。




 了

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