第8話 激闘のインスマス その八



 あいかわらず、背後に何者かの気配を感じる。かえりみることはできない。

 ということは、このまま、まっすぐ進んでいくしかない。


「青蘭やフレデリックさんがどこにいるか、君にはわからないか? ガブリエル」

「むちゃを言わないでくれたまえ。私は神のお告げをふれてまわる広報係にすぎないんだよ? そんなことできるわけないだろう」


 龍郎はちょっとおかしくなって、スマートフォンの青白い光に照らされるガブリエルのおもてを見なおした。


「君でもジョークを言うことがあるんだ」


 ガブリエルは美しいおもてを照れたようにそらす。

 前世ではアスモデウスと双子だったという。ガブリエル自身はアスモデウスをパラサイターだからと嫌っているが、やはり、こうして見ると顔立ちは似ている。とても美しい。


(それでも惹かれるのは、青蘭なんだな……)


 なぜだろうか。

 右手のなかに苦痛の玉を宿しているせいなのだろうか?

 もしそうなら、玉の記憶に縛られているのは、青蘭だけじゃない。龍郎も同じだ。そこに自分の本心が、ほんとにあるのだろうか?


 そんなことを考えていると、ガブリエルが龍郎の手をにぎってきた。龍郎はおどろいて、彼のよこ顔を凝視する。

 これまで、ガブリエルとともに行動することも何度かあったものの、そんなふうに親しげなそぶりをされたことは一度もなかった。


(あれ……? 違うか。前に一回だけ……)


 あれはいつだっただろうか。

 思いだせないが、夢のようにぼんやりした記憶がある。

 その夢のなかでは、ガブリエルは龍郎を見て優しげに微笑んでいた。


「君がころばないように私の力で浮遊していこう」


 ガブリエルがそう言うと、龍郎の体はふんわりと軽くなった。ほんの十センチかそこらだが宙に浮いている。おかげで足場の悪い岩盤の洞窟を歩いていく必要がなくなった。


「今、何時ごろかな。腹が減ってきた」

「私が支えているから、食事を摂取すればいい」

「ありがとう」


 林のなかで一度、水を飲むついでにナッツを少し食べたが、それだけだ。昼食ぬきに近いから空腹を感じるのはしかたない。それに、もしかしたら、このあと戦闘になるかもしれないのだ。今のうちにと思い、龍郎は急いでバッグからチョコレートを出して食べた。ビニールの袋にも入れてあったので、中身はぬれていなかった。


「君はいらないの?」

「私は人間の食べ物など食さない」

「天使って何を食うのかな?」


 ガブリエルが答えないので、見ると、瞳が悲しげな色を帯びていた。


「えっ? 気を悪くさせたかな? ごめん」

「いや……我々は食事をとらない。天界は大気に力が満ちているから、呼吸をすればエネルギーをたくわえられる。ただ例外的にネクタルだけ、宴席などで飲料することがある」

「ネクタル。そんな名前のジュースが……」

「ネクタルは不老長寿の酒だ。我々は『神の血』と呼んでいる。天使にとって簡易的にエネルギーを補給できる優れた飲み物だが……私は好まないな」

「ふうん」


 そういえば、以前、苦痛の玉の持ちぬしの記憶を見たときに、天使たちが宴をもよおしていたことがあった。戦勝祝いの宴で酒を飲んでいた。きっと、あれがそうだったのだろう。


 そして、大天使ミカエルはその酔いがまわったところで何者かに殺された。仲間のなかに裏切り者がいたに違いない。ミカエルは天使に殺されたのだ。


「前に、君はアスモデウスがクトゥルフのスパイじゃないかって言ってたっけ。それはつまり、天使たちの誰かが君たちの神に背いてたってこと?」

「私はそう思っている。当時、我々のなかで不審な死にかたをした者が複数いた。我々の心臓は倒した者の魔力を吸う。おそらく、その何者かは天使の力をわがものにしようとしていたのだろう」

「それがアスモデウスだと?」


 ガブリエルは黙ってうなずく。


「ミカエルを殺したのも?」

「さあ、それはわからない」


 天使たちの世界でもがあるなんて、なんだか不思議な気分だ。

 原因はわからないが、賢者の石が関与しているような気がする。それは直感にすぎなかったが。


 エネルギーを補給したので、ちょっと元気が湧いてきた。早く青蘭を見つけなければと思っていると、耳元でガブリエルがささやく。


「龍郎。我々には神のご勅命は絶対だ。命じられれば意に染まぬこともしなければならない。だが、君のためなら、多少の融通はきかせるつもりだ。これは私と君のあいだだけの約束だよ」


 語調はいつものガブリエルだが、なんとなく響きに甘いものがふくまれていた。ビックリして直視する。そんなことを言いそうにないと思っていた。


「なんで?」

「君は私の幼なじみだし、それに……」

「それに?」

「私の卵にアスモデウスが寄生してこなければ、君のつがいの相手は私だったのではないかと思う」


 龍郎は言葉に詰まった。

 これは天使的には愛の告白だ。


「……まったく君と言い、青蘭と言い、みんな苦痛の玉の持ちぬしを好きなんだな。でも、それはおれじゃないんだろ?」

「龍郎。君はまだ——」


 ガブリエルが何かを言いかける。しかし、それをすべて聞くことはなかった。

 ちょうど前方にぼんやりと白いものがよこたわっていた。


「あっ、あの子だ。なつき」


 アルバートの妹だ。

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