第9話 迷夢 その六



 見せかけだけの王。

 一生をかけて、自己存在理由を探し続けた。

 だが、祭壇にもたれ、目を閉じた彼は、短い生涯を満喫しつくしたような顔つきで、聖像のようにひどく穏やかだ。


「アルバートもほんとは、青蘭のこと好きだったんだよ」

「僕は痛い思いさせられて、憎たらしいんだけど」

「そんなこと言わないでさ」


 青蘭とささやきあっていると、青い光が二つ、螺旋を描きながら彼方へ飛んでいった。まるでそのようすは小鳥のように幸福そうだ。


 きっと、なつきとアルバートだと、龍郎は思った。

 二人の魂もいずれは転生し、次の人生を歩むのだろう。平穏な生涯を生きてほしいと願う。


「龍郎。急いだほうがいい」と、ガブリエルが声をかけてくる。

「結界のぬしが死んだ。まもなく、この場所は瓦解する」


 ガブリエルの言うとおりだ。

 イヤな地鳴りが続いている。それは終わるようすはなく、しだいに高まっていくばかりだ。この感じはこれまでにも何度か経験した。結界が崩壊する予兆だ。


「逃げよう」


 龍郎はアルバートの両手を胸の前で組ませると、立ちあがった。


「龍郎。青蘭。私に乗れ。そのほうが速い」


 マルコシアスが言うので、遠慮なく二人でまたがる。神父はガブリエルがつれていく。


「左だ! 左の扉をぬけるんだ!」


 祭壇脇の両側の扉のうち、行きとは逆の左のほうへ、マルコシアスは突進した。扉を破壊する勢いだ。


 暗かったが、内部が洞窟だということは見てとれた。鍾乳洞。あの海岸線の洞窟にひじょうによく似ている。ときには見おぼえのある特徴的な岩もあった。やはり、来るときに通った道を逆行している。


 マルコシアスは広い空間では飛翔し、せまい空間では地面を駆けた。

 しかし、瓦解のスピードが速い。龍郎たちの頭上から何百何千という鍾乳石が矢のように降ってくる。


「急げ! まにあわないぞ」


 そう言って、ガブリエルが追いぬいた。魔法を使ったのか、ガブリエルが片手をさしつけると、鍾乳石の雨が空中で停止する。


「さあ、今のうちだ。早く!」


 せかせるということは、一時的なものなのだろう。


 天井だけではない。

 地面もとつじょ盛りあがったかと思えば引き裂かれた。裂けめからは深海のような水のゆらめきが見える。その下には星のきらめきが……。

 ここが異空間だからだ。

 消滅すれば宇宙のもくずとなる。


「まだかッ! マルコシアス?」

「案ずるな。ゲートさえ残っていれば帰れる」

「頼む。帰ったら、なんでも好きなものを食わせてやるから!」

「なんでも? よかろう。忘れるな!」


 マルコシアスは力強く羽ばたき、いっそうスピードをあげた。怖いくらい加速する。もし万一ふりおとされたら、落下の衝撃で確実に命はないだろう。


 龍郎は必死にマルコシアスの首にしがみつく。

 だが、そんなときでも、片手ではしっかり青蘭の手をにぎっていた。目を見かわせば甘い気分になる。


(よかった。君を守れた。そうだよね? 青蘭。君の笑顔、おれは守れたよね?)


 瞳に“アイラブユー”と力をこめる。青蘭は笑ったから、きっと伝わったのだろうと思う。


「急げ! もう時間がない!」


 ガブリエルの声が龍郎の意識をさます。

 暗い闇の彼方に光が見えた。

 もしかして、あれがゲートだろうか?


「光が見える」

「うん。龍郎さん。あれが出口だよ」

「あとちょっとだ」

「うん」


 光のゲートがグングン迫る。

 もう手が届きそうなほど近い。


 そのとき、龍郎は感じた。

 遥か遠い宇宙の深淵から響く声を。


(この声……)


 歌声だ。

 哀愁を帯び、狂気にも似た切望の旋律——


 なぜだろうか?

 今ここに、すぐとなりに青蘭はいるのに、その歌声は青蘭のものだと確信した。


(青蘭——?)


 そうだ。いつも結界が崩れさるとき、この歌声が聞こえる。これまでずっと、そうだった。ルリム・シャイコースの世界から脱出するときも、魔界から逃れるときも、青蘭の内世界をぬけだすときも……。


 ——一つの世界の終わりは、一つの世界の始まり。


(君は、青蘭?)


 ——わたしは…………の……。


(いや、それともアスモデウスなのか? この歌はアスモデウスが歌っていた)


 ——……待っている。あなたを……。


(君は何者だ?)


 ——わたしはあなたの愛。わたしはすべて。わたしは……だけど、何者でもない。


 ふりかえってみた龍郎は凍りついた。目には見えないけれど、たしかに青蘭が立っている。

 あのの青蘭だ。青ざめた顔の、死斑の浮いた肌の、物悲しい瞳の青蘭。


「青蘭——!」


 おれは、あるいは君を救えていないのか?

 どこかの時間で、永劫に救われない君が、おれの助けを待っている。


 龍郎はたまらなくなって、我知らず、マルコシアスの背中を飛びおりようとしていた。

 取り残された青蘭あの人のもとへ、今すぐ行きたくて——


 だが、青蘭に止められた。


「龍郎さん! しっかりして!」


 となりにいる青蘭を見て、龍郎は我に返る。

 今、意識を完全に持っていかれていた。こんなところで飛びおりたら、ムダに命を落とすだけなのに。


(あれは、いったい……)


 ほんとうに青蘭なのだろうか?

 次元を超えたさきの青蘭?

 それとも、何者かの策略?

 たとえば、夢をあやつるというクトゥルフの?


 考えているいとまはなかった。

 体がゲートをくぐる。

 光に飲みこまれる。

 長い夢と虚構の世界が終わる……。




 了

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