第6話 魔女の家 その二



 清美との電話が切れてから数分とたたないうちに、室内に大型のシベリアンハスキー犬が現れた。尻尾をふっているが、これが魔王マルコシアスの仮の姿だ。本来は翼を持つ巨大な狼である。


「マルコシアス。おまえの力を貸してくれ。これから敵地に乗りこむ。おまえは青蘭を守り、青蘭のために尽力してくれ」

「わかっている。それ以外のことになど力は貸さぬ」

「…………」


 まあ、これは了承ととらえればいいだろう。

 なぜか、ガマ仙人までついてきているが、これもしかたあるまい。三歳児くらいの身長の着物を着た二足歩行のアマガエルだ。


「……ガマ仙人。あなたは人間に見つかるとやっかいなんだが」

「安心めされよ。ただ人になぞ、わしの姿は見えぬぞよ」

「…………」


 そうだといいのだが、どうも近所で龍郎たちの自宅がお化け屋敷呼ばわりされていることには薄々気づいている。見える人には見えているのではないかと思う。


「……いいでしょう。でも、おれたちは戦いに行くので、あなたの身を守るゆとりはないかもしれない。それでもいっしょに来ますか?」

「わしの力を見せてくれようぞ」


 そこまで言うなら、しかたあるまい。それにまがりなりにも、ガマ仙人はツァトゥグアの奉仕種族だ。何かの役には立つかもしれない。


「あとはリエルか」

「私なら、ここにいる」


 いつのまに来ていたのだろうか。部屋のすみに白い影が立った。白銀の巻毛。ベビーブルーとライトグリーンのオッドアイ。白磁のような肌の美青年。ガブリエルだ。


 ガブリエルはため息をつきつつも、どこか高揚している。戦闘は得意ではないようだが、やはり決戦となると血が沸くのだろうか?


「クトゥルフは大物だ。かんたんに退治やれる相手ではないが、しとめれば得るものも大きい。これを貸そう」


 そう言って、ガブリエルは黒いアタッシュケースをテーブルの上に置く。バチンと金具を外し、ひらくと、なかには青白い金属でできた数本の剣や短刀が入っていた。形にそう土台にキッチリ収まっている。持ち運びの専用ケースなのだ。


 その刃の輝きを見た瞬間、龍郎は気づいた。


石物仮想体せきぶつかそうたいだ!」

「フォラスはそのように命名したようだな。我々はこれを『アザトースの涙』と呼んでいる」

「アザトース……」

「はるかなる宇宙の最奥、沸騰するカオスなる原始、あらゆる次元から隔絶され、時をこえた真暗の床に伏す。波長の狂った金管楽器、古き太鼓の乱打により舞い続ける下部しもべたちに退屈をまぎらわし、夢を見ながら知能なく歪曲し、分裂をくりかえしつつ増え、玉座をけがす、盲目であり、無能にして叡智にあふれ、万物を創造し、しかして、真名を呼ぶ者なき魔王」

「なんですか。それ」

「アザトースの正式な呼称だ」

「えらく長いですね」

「おそらく、魔王の特性を表しているのだと思う。邪神たちの主神であり、すべての邪神はこの神から生まれたと言われる。いや、この宇宙の万物の母体であるとも。宇宙はアザトースの見る夢だと」


 龍郎は思いだしていた。

 魔界や六路村やバリ島で、これまで何度か見た六道のことを。

 渦を巻き流れる死と再生の道。それが六道だ。死者の魂が吸いこまれ、浄化されて無に帰し、そのさきにある輪廻転生をつかさどるへと導く。


 六道のさきにあるものを、龍郎はこの目で見たことはない。だが、そこにがあることだけは感じていた。原初の海のような宇宙の深淵。膨大なエネルギーを。


「六道のさきにはアザトースが伏していると、穂村先生が言っていた」

「我々もそこへ行って帰ってきたものはいない。見ることをゆるされない禁忌の地。すべての始まり」


 天使でさえおそれる場所。

 そこに何があるのかはわからないが、なんとなく、以前から思っていた。アザトースに関しての記述は、クトゥルフの他の邪神のそれとは異なり、なんだか宇宙の真理そのもののようだ。天文学的ななんらかの法則を言葉でむりに表そうとしているかのような印象を受ける。生物というよりは、宇宙それじたい。


 石物仮想体は、そのアザトースの体内からときおり生みだされ、宇宙の彼方へと飛来するものの名称だ。人智を超えたエネルギーのかたまりのようなもので、そこから邪神が誕生する。

 外観に関して言えば、パッと見、ふつうの石のようだが、夜になると放射性物質のような虹色の輝きを放つ。


 その石物仮想体が武器に加工されている。しかも、龍郎はそれを見るのが初めてではなかった。


「前に穂村先生が団地の裏でひろったんだって見せてくれた。天使が邪神と戦うために使っていた剣や矢尻。青白く輝く不思議な金属だと思ってたけど、あれはこの石物仮想体からできてたんだ」

「邪神を倒すための武器ならば、彼らと同じ強度の組成を持つものが最適だ。生体化する前に加工してしまえば立派な武器になる」


 なるほど。理にかなっている。

 ガブリエルはアタッシュケースのなかから、一本の剣をとり、龍郎に手渡してきた。剣といっても刀身はかなり短い。脇差ていどの長さだ。


 その剣を手にした瞬間、右手から泉のように力が湧きあがった。刃が炎立つかのごとく輝き、苦痛の玉と呼応して脈打つ。やがて、その光がやむと、剣は消えていた。苦痛の玉と一体化したのだとわかった。


「やはりね」と、ガブリエルはほくそえむ。


 何が“やはり”なのかはわからないものの、これで攻撃力はずいぶん増したように思う。


「おまえとおまえにも、これを貸そう」


 ガブリエルは大ぶりのナイフを、それぞれ、青蘭とフレデリック神父に渡す。青蘭にさしだすときには、すごくイヤそうな顔をしていたが、おそらく彼のあるじの命令なのだろう。


 ノーデンスの目的もまだ謎に包まれているが、今は力になるものはわずかでも借りていくしかない。

 これでいくらか強大な邪神に対抗できるだろうか?

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