5-6、魔女狩りは終わらない
なぜだ。
イリスはただ両親の言うことを聞いて、助けを求める人たちの力になろうとしただけだ。なのに、なぜ彼女がこんなに苦しまなければならないんだ。
世界は理不尽でできている。
強者が弱者を支配し、弱者はさらなる弱者を見つけて虐げる。少数派やはぐれ者は異端として迫害される。いつの時代も魔女狩りは起きる。それは人間の心の弱さが生んだ呪いだから。
「……もう気は済んだかしら?」
いつの間にか元の場所に戻ってきていたらしい。うつ伏せに倒れるおれの上から、ブレアの声が降ってきた。
「キャハハハ! 食べてみてわかったでしょう。この哀れな娘に生きたいと思える意思なんてない。あんたの声は届かない。このままわたしと同化することだけが、かわいそうな人生の救いなのよ」
「……そんなことはない」
おれは膝に手を当て立ち上がり、顔を上げて空中に浮かぶブレアを見る。
「イリスは、生きたいと言った。おれと一緒に生きたいと言ってくれた……! これだけ酷い目にあっても、それでも前を向こうとしたんだ。だからおれは、イリスの言葉を信じる。イリスの強さを信じる」
イリスがほんの少しだけ自我を取り戻した時、彼女はおれに告げた——『それでも、あなたと生きることを望んでいいですか』と。魔女ブレアはそのことを知らない。彼女の胸にほんの僅かだが希望の火が灯ったことを知らない。
だからおれは信じる。
イリスとおれの旅に意味があったことを。
「戯言を言わないで! あなたの状態では、これ以上進むことも難しいわ。すぐに悲しみで心が焼き切れるに決まっている!」
そうかもしれない。すでに心は疲弊しきっている。今はなんとか耐えているが、次の記憶を体験した時にはもう壊れてしまうかもしれない。
だが、ここで足を止めると言う考えはなかった。ここでおれが立ち止まってしまえば、イリスとおれの旅も終わってしまう。この旅に意味があったと証明するためには、おれが歩き続けるしかないのだ。
「待ってろ、イリス。もうすぐ、もうすぐお前に届くから……!」
次に記憶の糸が見せたのは、おびただしい数の死体が散らばる光景だった。イリスは手に大鎌を持ち、呆然と立ち尽くしている。
これは処刑場でイリスが
イリスの心は罪悪感と虚無感と、それから耐え難い空腹感がぐちゃぐちゃに混ざり合っている。腹の中は空っぽなのに、激しい吐き気が体を蝕んでいた。
全てを吐き出してしまいたいのに、自分の中には何も残っていない。
殺したいほど自分が憎いのに、生きたいという思いが捨て切れない。
『ゴメンナサイ ゴメンナサイ メイワクヲカケテゴメンナサイ ワルイコニウマレテゴメンナサイ イキテイテゴメンナサイ シナナクテハイケナイノニ イキヨウトシテゴメンナサイ』
虚空に向けて謝り続けるイリスの心を聞いているのは、本当に辛かった。
その後も吐き気を催す記憶は続いた。
空腹に耐えられず貧しそうな家から食べ物を盗み、罪悪感で嘔吐しながら無理やり口に詰め込んだ。
優しくしてくれる人に会えたと思ったら悪魔憑きだと知られ、騎士団に通報された。
逃げる間に森の中に迷い込み、激しい空腹を抱えながら惑い歩いた。
怪物を倒したら逆に恐れられ、石を投げて追い出された。
おれはそれらの記憶の中を、文字どおり泣き叫びながら進んでいった。
イリスが無表情になったのは、地獄のような日々の中で自分を保つための防衛手段だった。だけど、本当は心の中で泣いていたんだ。泣いて、悲しんで、誰かに助けを求めていたんだ。
もう嫌だ、もう限界だ、と何度思ったことだろう。だけど、彼女の悲しみから逃げ出したくなかった。正面から向き合いたかった。
倒れながら、進み。進んで、倒れて。這いつくばりながら、進んで。
顔を上げると、宙に吊るされたイリスの体が手の届く場所にあった。ようやくここまで来ることができたのだ。
「イリス……」
おれは彼女の名前を呟く。
眠るように目を閉じたその姿は、ずっと記憶の中で一緒に行動してきたはずなのになぜか懐かしく、そして愛おしく感じられた。
この記憶の糸が紡ぐ先がどこに繋がっているのかわからない。だけどおれはもう逃げない。彼女に声が届く可能性が少しでもあるのなら、それを掴みたかった。
だからおれは手を伸ばし、彼女の体を縛る血の色の糸に触れた。
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