2-4、夜がゆっくりと目を覚ます

 

 建物と建物の間の影になっている小さな広場に、地下水道への入り口はあった。格子状の扉の向こうに、地下へと続く階段が伸びている。

 道案内の青年モーリーが格子の扉に手をかけて扉を開ける。錆びついた音が不気味に響き、地下水道への道が開けた。

 先に中へ入ろうとしたモーリーだったが、出っ張った部分に足が引っかかったのか盛大にこけてしまった。身なりのいい長剣使いの冒険者が舌打ちをする。


「鈍臭いなぁ。本当にこいつに道案内を任せてもいいのかい? ここから先には怪物が潜んでいるのかもしれないんだろう。もし、道に迷って襲わるようなことがあったら、お前を囮にするからな」


「す、すいません」


 モーリーは長剣使いの青年に目を合わせず、へこへこと頭を下げた。

 長剣使いはいくらなんでも言い過ぎだと思うが、モーリーの卑屈な態度にも腹が立つ。少し前の自分を見ているみたいに感じるからだろうか。自信を持てなくて、いつも自分を蔑んでいた頃のおれを。


 一人ずつ列になって階段を降りていくと、地下水道に出た。潮の香りとカビくさい臭いが入り混じった空気が充満している。

 水路の脇に人がどうにか通れる通路があった。おれたちはそこをさらに進んでいく。地下水道は薄暗いが、所々から光が入っているため明かりをつけなくてもどうにか周囲の状況はわかる。


 おれは歩きながら、水路を流れる水に目を落とした。

 深くはないだろう。多分、膝の高さあたりで足がつくはずだ。だが、この水路のどこかに怪物が潜んでいるかもしれないと思うと、水の底に未知の世界が広がっているのではないかと錯覚してしまう。


 どこからか、キィキィという鼠の鳴き声が聞こえた。おれは少し体を震わせた程度だったが、先頭を歩いていたモーリーが腰を抜かして倒れる。


「ひ、ひぃ!」


 すぐ後ろを歩いていた長剣使いが苛だたしそうに、声を荒げた。


「お前なぁ、いい加減にしてくれよ! 僕たちの安全を任されているって自覚はあるのか!? 次ヘマをしたなら、雇い主に苦情を入れるからな」


「はい……その、すいません……すいません……」


 モーリーは何度も頭を下げて謝罪を繰り返した。

 鼠にもビビってしまうほど繊細な心の持ち主なのに、よく怪物が現れた時に現場に駆けつけることができたなと改めて思う。もしかしたら、土壇場で強くなる人なのかもしれない。


 結局、この時は怪物の足跡らしきものは見つけることができず、地下水道の地理を把握しただけに終わった。やはり本番は夜だということか。

 地上に戻ったおれたちは、シギの小屋で冒険者同士で話し合って方針を決めた。八人いる冒険者を二つの臨時一行パーティに分け、地上警備と地下水道探索を同時に行うことにした。地上組と地下組は一日ごとに交代する。


「ねぇ、少しいい?。一行パーティが協力して怪物を倒した場合、報酬はどう分けたらいいのかしら?」


 蛇のように鋭い目つきをした女性冒険者が皆に投げかけた。


「金貨五枚だから、一人一枚。とどめを刺した奴に追加で一枚ってのはどうだろうか」


 なんとなく思いついたおれが提案する。誰からも異論が上がらなかったので、案はそのまま通ってしまった。


「うふふ、もしかしたら一人当たりの取り分が増えちゃうかもね」


 先ほどの女性冒険者が微笑みながら恐そうなことを言った。一人当たりの取り分が増えるというのは、人数が減っていることを意味する。

 冒険者八人のうち三人はもともと同じ一行パーティのため、そこに一人を加えて四人にした。おれたちの方には長剣使いと蛇のような目の女性冒険者が加わり、臨時一行パーティが出来上がった。


「僕はブラン=エルテッド。ブランと呼んでくれ。武器は見ての通り長剣だ。これまでに鷲獅子グリフォン偽竜ワイバーンの討伐に参加したことがある」


 長剣使い——ブランが胸を張って自慢気に言った。

 本人は自分の輝かしい功績を語っているつもりなのだろうが、「討伐に参加したことがある」という言い回しは冒険者の間では要注意の扱いとなっている。その場にいさえすれば参加したことにはなるからな。


「アタシはノヴァルニエ。呼びにくかったら、ノヴァと短く呼んでもいいよ。こう見えて敬虔な秩序の神様の信徒でね、いくつか術も授かっているよ」


 女性冒険者ノヴァルニエが、蛇のような目をさらに細めて自己紹介する。彼女が術師であることに驚いたが、妖しげな雰囲気からさらなる底知れなさを感じる。


「おれはラッド=リーファ。武器は短剣ダガーだ。最近では変異狼ワーウルフを討伐した」


 真っ赤な嘘だが、冒険者同士ではまず舐められないことが大切なのである。多分、イリスは自分の功績だとかを語ろうとはしないだろうしな。

 最後に全員の視線がイリスに集まった。イリスはおれの背中に半分隠れながら話し出す。


「わたしはイリス。武器はファンタズマ」


「ファン……なんだって?」


 ブランが首を傾げる。おれは慌てて付け加えた。


「あ、ああ! この子が背負っている大鎌の名前だよ! ファンタズマって呼んでいるんだ」


 おれの補足に意外にも強く反応を示したのは、ノヴァルニエだった。


「へぇ、亡霊ファンタズマか! いい名前です……おっと言い間違えた。いい名前だねぇ、お嬢ちゃん」


 蛇の目の女性冒険者が愉快そうに笑う。イリスはますますおれの背中に隠れるのだった。こいつ、こんなに人見知りする奴だったっけ?


 結局、公正なコイントスの末におれたちの班は先に地上の警備をすることにした。いきなり地下水道の探索をやる羽目にならず、内心ホッとする。

 その場は一度解散し、また夜になって集合することになった。おれたちはそれまでにこの街で滞在するための宿を見つけなくてはならない。





 ノヴァルニエに教えてもらった安宿街で値段交渉を重ね、部屋に荷物を置いて一息ついた頃には日はすっかり暮れていた。


 安宿が集まる場所での値段交渉にはコツがある。まず、いくつか宿を回って相場を把握する。その中で一番安い値段の宿と同格の別の宿に行き、「ここの宿も気になってるんだけど、あっちの宿はもっと安かったんだよね」と交渉を仕掛ける。すると大抵、相手は一番安い値段の宿よりも料金を下げてくるのだ。

 この方法が最も有効なのは、空き部屋があって、かつ午後の遅い時間帯に突入した時だ。部屋を余らせるよりは多少値引きしても自分の宿に泊める方が特なので、交渉に乗ってくる確率が上がる。


「正直、どう思う? 本当に水鬼オアネスの仕業なのかな」


 おれは硬いベッドに腰掛けイリスに尋ねる。

 すぐに返事は返ってこない。イリスは屋台で買ったタラの揚げ物をモグモグと食べるのに忙しそうだった。オリーブ油の香ばしい匂いがする。


「わかりません。わたしは怪物に詳しくないので。でも、単純な話ではないように思います」


「だよなあ。ただ怪物が出たってだけなら、何も手がかりが残っていないってのはおかしいからな」


 怪物は必ず痕跡を残す。

 足跡か、爪痕か、あるいは臭いや体の一部など。それらが一切見つからず、かつ目撃証言も一つだけということが果たしてありえるのだろうか?

 何か理由があるはずだ。人の目に映らない理由が。


 二階の部屋の窓から外を見る。

 太陽は海の向こうに沈んで行き、オレンジ色のレンガの街に明かりが点り始めていた。


 夜がゆっくりと目を覚ます。

 見えない怪物の時間がやってくる。

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