2-5、犠牲者

 

 夜になって、おれたち四人はシギの小屋の前で落ち合った。

 貸してもらった角灯ランタンを、一つはおれが、もう一つはノヴァルニエが持つ。いざ戦いになった時に、大鎌や長剣を使うイリスとブランでは両手が塞がってしまうからだ。


「ウチの奴も何人か巡回させている。会うことがあったら、様子を聞いてくれ」


 シギが角灯ランタンに火を灯しながら、おれたちに言った。


「あのー、怪物がいるかもしれない場所をうろつくのは、危険なんじゃないですかね」


 おれがずっと思っていたことを発言をすると、シギは自嘲するように鼻を鳴らす。


「オレもそう思うがな。今じゃ自分から巡回を志願する奴ばかりさ。愛するメーアローグを汚されて皆、腹が立っている。殺された仲間の敵討ちや、家族に危険が及ばないようにって考えている奴も多い」


 どうやら余計なお世話だったらしい。おれは恥ずかしくなって目を伏せた。


 市街地に戻ったおれたちは、まず昼間に行った地下水道への入り口に来た。街中には他にも地下へ続く階段はあるが、昨日加工場の男が殺された現場からはここが一番近い。この一帯から巡回をすることにした。


「四人で固まって歩いても効率が悪い。すぐに駆けつけられる距離を保ちつつ、二手に分かれた方がいいんじゃないか?」


 すっかり臨時一行パーティの仕切り役となったブランがおれたちを見回して言った。最初の数時間くらいは固まって行動した方がいいんじゃないかと思ったが、多分反論すると余計に強く出てこられるので黙って従うことにする。


「では行こうか、イリス」


 おれが言うと、終始おれの背中に隠れていたイリスが頷き早足に歩き出す。

 ある程度ブランたちと距離が離れた頃に、おれはこっそりイリスに尋ねた。


「どうしたんだよ、イリス。ブランが、まぁ……いけ好かないのはわかるが、そんなに警戒することもないだろう」


 イリスは班分けのあたりから、ずっとおれの背後に身を隠している。シギの小屋に集まった誰かを警戒しているかのように。


「違う」


 イリスは首を横に振る。


「わたしが恐れているのは、蛇の人。あの人は、何か嫌です」


 蛇の人とはノヴァルニエのことだろうか。確かに底知れなさを感じるが、恐れるほどではないと思う。しかし、弱っちいおれではなくイリスが怯えているのだ。警戒しなければならない何かがあるのだろう。


 それにしても静かな夜だ。

 夜に現れる見えない怪物の影響か、出歩いている人影は見えない。昼には活気が溢れていた街の中央通りメインストリートが、まるで廃墟のような雰囲気だ。

 耳にはおれたちの足音だけが聞こえてくる。

 手に持った角灯ランタンの明かりを頼りに、周囲を警戒しながら進んで行った。


 巡回を始めてから、どれくらい時間が経っただろうか。突然、夜空に悲鳴が響いた。おれはとっさに身構えて短剣ダガーに手を伸ばす。

 周囲に異常はない。ならば、何かが起こったのは別の場所だ。


「あれはブランの声かっ!? 行こう、イリス!」


「う、うん」


 おれたちは声が聞こえた方向へ走り出す。最初の取り決め通り道を歩いていれば、そう遠くは離れていないはずだ。

 この先に怪物がいるかもしれない。

 おれは緊張で震える手をぎゅっと握り、勇気を奮い起こした。


 建物の角を曲がって隣の通りに出た時、おれの目に信じられない光景が飛び込んで来た。

 血まみれになって倒れているブランを、角灯ランタンを持ったノヴァルニエが見下ろしている。


「ノヴァルニエ! 何をしている!」


 おれは左手に角灯ランタンを持ったまま、右手で短剣ダガーを構えてすぐに投げられるようにする。おれの声に、ノヴァルニエがハッと顔を上げた。


「違うわ、待って! アタシじゃない!」


 ノヴァルニエが慌てた様子で両手を振った。彼女が慌てている様子は初めて見る。


「じゃあ状況を説明してもらおうか。どうしてブランが倒れていて、一緒にいたはずのあんたが無傷でいるんだ?」


 質問をしている間に、おれは後ろのイリスに目配せする。イリスは頷き、背中の大鎌ファンタズマを抜いて横に動いた。逃げる素ぶりを見せた時に、すぐに動けるようにするためだ。


「アタシたちは巡回中に、動く影を見つけたの。そしたらこの人がさっと飛び出して行ってしまって……角灯ランタンを持っているのはアタシだったのに。それからは一瞬だった。すぐに悲鳴が聞こえて、警戒しながら近づいていったらこうなっていたの。アタシもここに到着したばかりよ!」


 ノヴァルニエが焦りをにじませる声で説明した。

 確かに功を焦りがちなブランならば、彼女の説明のような行動を取ってもおかしくない。即興で考えたにしては筋が通っている。

 だが、だからと言ってはいそうですかと信じられるものでもない。


「ノヴァルニエ、一旦ブランから離れろ。イリス、警戒を頼む」


 おれが言うと、ノヴァルニエは両手を挙げて後ろに下がる。イリスがファンタズマを構えたまま、彼女に近づいた。

 その間に、おれは倒れたブランに駆け寄り状態を観る。

 脈はかなり弱くなっているが、まだ息があった。鋭い爪で切り裂かれたような深い傷が、体の正面に刻まれている。近くには曲がった長剣が落ちている。かなり強い力が加えられたようだ。


 ノヴァルニエは武器を持っていない。術を使って切り裂いたような傷をつけることは可能だろうが、長剣を曲げるような芸当はさすがに難しいだろう。

 彼女の言っていることは本当なのかもしれない。


「わかった、あんたを信じよう。とにかくブランを安全な場所で治療するんだ」


「応急処置ならアタシができるわ。〈治癒キュア〉の術を授かっているから」


 〈治癒キュア〉は秩序の神様から授かる術の中でも、冒険者にとって最もありがたい術だ。傷を回復する度合いは術者によってかなり異なるものの、この術によって命を救われた冒険者は数知れない。

 ノヴァルニエがブランの傷に手をかざす。その手から光が生まれ、傷を包んでいった。

 これでひとまず傷は塞がるだろう。だが、失った血は補充されるわけではないので、危険な状況は変わらない。


「重ねがけはできるのか?」


 おれの問いに、ノヴァルニエは視線をブランから外さないまま首を横に振る。


「アタシの治癒キュアは一日に一回だけ。だからこの一回でどうにか傷を塞いでみるわ」


 秩序の神様から授かった術には、回数制限がある。特に治癒キュアは複数回発動させるのが難しい術だと言われている。


「あ、あの、皆さん! このあたりで声がしませんでしたか?」


 通りの向こうから走り寄ってくる影があった。手に持った松明の火に浮かび上がって見えたのは、モーリーの顔だった。

 シギは何人かの職員が巡回していると話していた。モーリーはその一人なのだろう。彼に続いて、別の道からさらに二人の男がやって来る。

 三人の職員たちは、血にまみれたブランの様子を見て息を呑んだ。


「モーリーさん。加工場の人たちでブランさんを安全な場所まで運んでくれないか?」


「え、えぇ、わかりました。あの、あなたはどうされるんですか……?」


 モーリーの問いに、おれは答える。


「怪物を追う。ここに来るまでに誰も怪物に出会わなかったなら、別の道に行ったということだ。逃走経路は限られるはず」


 モーリーや加工場の男たち、そしておれたちは全員別の道から来た。ならば、残りの道のどこかに怪物が逃げたと考えるのが必然だ。


「皆はどの道から来たんだ?」


 おれが全員を見渡すと、三人はそれぞれ来た道を指差した。ここからさらにおれたちが来た方向を削ると、向かう道は一つに絞られた。


 建物と建物の間の細い道。

 この先には、地下水道への入り口がある。

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