4-4、悲嘆魔女〈ブレアウィッチ〉に生贄を

 

 悪魔?

 悪魔になったってどう言う意味だ?

 イリスは魔女に体を乗っ取られた上に、違う存在に生まれ変わっちまったってことなのか?

 悲嘆の悪魔って何なんだ。暴食や嫉妬、傲慢とは別に悲しみを司る悪魔ということか?


 頭の中で色んな情報と推測が入り混じる中、おれはまた不思議な苛立ちが湧き上がってくるのを感じていた。自分でも正体がわからない苛立ちだ。


「なぁ、ベルゼビュートさんよ。この場合、どうやったらイリスの心を取り戻せるって言うんだ……?」


 おれは狂ったように笑い声を上げる悲嘆の悪魔を見つめながら、暴食の悪魔ベルゼビュートに尋ねた。


『皆目わからぬ。だが、さらに事態が悪化する道筋は容易に想像できる。この場にいる者共が、皆悲嘆の悪魔と契約を交わしてしまうことだ。そうなれば嘆きの魔力が全てあの悪魔に集まり、強大な力を手にしてしまうことだろう』


 悪魔の力は契約を交わした者の感情から得ていると聞いたことがある。ならば、この山に集まった夜会サバトの参加者たち全員が悲嘆の悪魔と契約を交わしたならば、一体どれほどの力になるのだろう。

 そうなったら、もう完全におれたちでは手出しができない。文字通り雲の上の存在となってしまう。


「さぁ、夜会サバトに集いし迷える子羊たちよ! 今こそ我らが悲嘆魔女ブレアウィッチに祈りと悲しみを捧げましょう!」


 仕切り役のローブの女性が高らかに宣言すると、一人、また一人と膝を折って祈りの言葉を呟く者が現れる。

 まずい。何とか祈りの連鎖を止めなければ! だが、どうすればいい。どうすればこの嘆きの渦を止めることができるんだ!


「そこまでだ!」


 その時、凛とした女性の声が祭壇の広場に響いた。

 波が分かれるように参加者たちが道を開け、そこを鎧を着込んだ集団が歩いてくる。


「フン……祈るだけで救われるなど、随分と虫のいい話だな。信仰は進むべき道を示してくれるが、歩くのは己自身だ。どれだけ悲嘆にくれようと、歩き続けなければ人生など何も変わりはしない」


 先頭を歩く女性が、吐き捨てるように言った。女性は祭壇を前にすると、剣の切っ先を悲嘆の悪魔に突きつける。


「我ら薄明騎士団は祈らない。異端を滅し、朝を見届けるその日まで」


 冷酷なる巡回処刑人エクスキューショナルクローディア=レヴァナントが宣言した。

 おれは彼女の登場に安心感を覚えてしまった。だって、今この場で明らかに得体の知れないのは悲嘆の悪魔の方だからだ。

 だが、おれは忘れてはならない。真にイリスを救いたいのならば、クローディアこそが最大の障壁となることを。


「なるほど。イリアステラを先に始末して悪魔を後回しにしていたが、どうやら手間が省けたようだ。標的がひとまとめになってくれて、好都合だよ」


 クローディアが余裕のある不敵な笑みを浮かべる。

 悲嘆の悪魔は笑い声を止め、己に剣先を指す女騎士を見やった。


「キャハ! あなたは弱い者いじめが大好きな人ね。。わたしはあなたが嫌いよ。ここからいなくなってほしいわ」


「ほう、奇遇だな。私もお前のようなふざけた態度で人を見下す異端が嫌いだよ。少し見ない間に随分性格が変わったな。悪魔の味はよほど美味だったと見える」


「ええ、おいしかったわ! 空っぽの器にすっかり魔力が満たされたもの。でもまだ足りないわ。この器、よくお腹が減るみたい」


 悲嘆の悪魔が両手を広げて、満面の笑みを浮かべる。


「あなたたちも食べてしまいましょうか」


 悪魔の体から黒い瘴気が吹き出し地面を覆っていく。たちまち辺りは地獄の底と見間違えるような暗黒の空間に変わっていった。

 一筋の光も見えない夜——無月の世界へ。


「ク、クローディア様! 我々はどう対処したらよろしいのでしょうか!」


 突然の事態に騎士団の一人が、慌てふためきながらクローディアに指示を仰ぐ。

 クローディアは動じなかった。剣を高々と掲げると、騎士団に向けて声を放つ。


「うろたえるな! あの悪魔を野放しにすれば、果てなく力を増幅させていく。今この場こそが秩序ある世界の最前線なのだ! 親を守れ、子を守れ、友を守れ、恋人を守れ! 勇敢に戦った者には天国の門が開かれるだろう!」


 光のない世界において、彼女の存在は輝いていた。少なくとも騎士団の者たちからは希望の光に映っているだろう。

 クローディアの言葉に、一度は臆した騎士たちが腕を振り上げ奮い立っている。仲間の姿を見て深く頷いたクローディアは再び視線を悲嘆の悪魔へ戻した。

 剣を構え、盾を構え、巡回処刑人エクスキューショナルの眼光が鋭く光る。


「行くぞ。これより正義を執行する!」


 彼女の合図で、悪魔と聖騎士の戦いは幕が落とされたのだった。





「キャハハハ! 悲しいわ。ああ、悲しいわ! あなたにお別れを言わなければならないことが悲しいわ!」


 悲嘆の悪魔の背中から、翼とは別に黒い何かが生えてくる。それは巨大な腕の形をしていた。二本の腕の指先には、尖った爪が鈍く輝いている。

 巨大な黒腕が薙ぎ払うように振るわれた。騎士たちは盾で身を守るが、次々と腕に掬われ宙に飛ばされていく。そんな中で、ただ一人踏みとどまったのがクローディアだ。腰を落とし、右手に持った反撃の盾『バングリア』で腕を受け止める。

 クローディアはすぐさま盾から衝撃波を放った。黒腕が押し戻され、悲嘆の悪魔の前方ががら空きになる。


「今だ! 者共、進め!」


 クローディアが作った道を、騎士たちが叫声をあげて突撃する。悲嘆の悪魔はもう片方の黒腕を広げ、上から叩き潰すように振るった。

 何人かが巨大な手に捕まったが、その横を他の騎士たちがすり抜けて行く。

 悲嘆の悪魔はつまらなさそうに舌打ちすると、黒の翼を広げて祭壇から飛び立つ。だが、先に空中で待ち構えている者がいた。


「だから言っただろう。戦闘の勘がまるでないと!」


 悲嘆の悪魔の動きを予想して、空中に先回りしていたクローディアが、左手の剣を振り下ろす。黒腕はすでに両方とも振るってしまっている。悲嘆の悪魔は翼を二枚重ねて防御した。

 クローディアの剣が黒の翼を切り裂いた。だが、翼もかなりの硬度があったようで、本体に傷をつけるまでにはいかなかった。

 翼を断たれて地面に落ちた悲嘆の悪魔は、憎々しげにクローディアや騎士たちを見渡す。


「……どうやら少しは本気を出さなければいけないようね」


 悲嘆の悪魔は右手を頭上に掲げ、叫んだ。


「来い、亡霊ファンタズマ!」


 鈍い輝きが暗黒の空に閃いた。

 回転しながら飛来した大鎌は、主人のもとに戻るように悲嘆の悪魔の手に収まる。


 イリスの武器——生きた大鎌ファンタズマ。

 イリスの顔をした者がイリスの武器を構えている。だが、纏う雰囲気は全く異なる。氷のような静かな気配を纏っていたイリスに対し、目の前の悲嘆の悪魔からは嵐のように激しく渦巻く禍々しい邪悪さが感じられる。


「さぁ、一緒に踊りましょう?」


 大鎌を手にした悲嘆の悪魔が、狂気を孕んだ笑みを浮かべた。

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