4-5、出来損ないの救世主
悲嘆の悪魔が振るう大鎌ファンタズマの刃が、クローディアを狙う。クローディアは受けることをせず、身を引いてかわした。
ファンタズマが振るわれた軌跡には黒い光が尾を引いた。悲嘆の悪魔は大鎌を鋭く振り回し続け、空中には幾何学模様のように光の線が刻まれていく。
死神の鎌が纏う禍々しい光は、イリスが持っていた頃にはなかったものだ。悲嘆の悪魔の影響を受けて変質してしまったのだろうか。
「アハハハハ! 逃げてばかりで戦う気はあるの? それとも恐くなって逃げているのかしらぁ?」
悲嘆の悪魔が鎌を振り回しながら叫んだ。
「フン。逃げてなどいないさ。最高の
刃がぶつかる直前、クローディアは盾の力を解放して衝撃波を放った。反撃を受け、大鎌が悲嘆の悪魔の手から弾かれ宙を飛ぶ。
衝撃波の反撃で武器を奪い、相手の隙を作る。イリスはこの手を受けて敗北してしまった。だが、悲嘆の悪魔は違う。己の手の中から武器を失ったというのに、その顔は笑みを浮かべたままだった。
「キャハハ! そんなことでわたしの裏をかけるとでも思った? 残念! あなたはおしまいよ!」
悲嘆の悪魔の体から生えていた黒の巨腕が伸びて、空中を飛ぶ大鎌を掴んだ。そのままの勢いで、クローディア目掛けて刃を横薙ぎにする。
突然の展開に、クローディアは反応できていないようだった。初めて彼女の顔に焦りの表情が浮かぶ。
「クローディア様っ!」
近くにいた騎士たちが数人固まり、クローディアを守って盾を構えた。大鎌の刃と、陣形を組んだ騎士の盾がぶつかる派手な音が暗黒空間に響く。黒の巨腕が繰り出す強烈な一撃に、騎士たちは軽々と吹き飛ばされていく。
だが、彼らが稼いだ一瞬の時間がクローディアの遅れた反応を間に合わせた。盾による防御が成功し、クローディアは命を拾う。
受け切れなかった衝撃で後退したクローディアは、憎々しげな目で悲嘆の悪魔を盾越しに睨み付けた。
「よくも、魔女風情が私を
戦いは激化する。
騎士たちは次々と倒れていくが、ただ一点、クローディアが崩されることはなかった。悲嘆の悪魔は高笑いを続けながら、弄ぶように武器や黒の巨腕を振るい続ける。
何かできることはないかと周囲を見渡したおれは、胸の前で手を組みながら恍惚とした表情で悲嘆の悪魔を見つめるローブの女性を見つけた。
「おい、お前! これはお前が仕組んだことなのか!? 一体何が狙いで、こんなことをしでかしたんだ!」
おれはローブの女性の首元の服を掴んで問い詰めた。
こいつは最初から
「わたくしは神にお仕えしたいのです」
ローブの女性は表情を変えないまま淡々と答えた。
「ブレア様は人々の悲しみを取り込み、癒してくれるお方。わたくしを含め、毎年多くの者がブレア様に拝見するためこの山に訪れているのはそのためです」
そういうことか。この島では毎年魔女の
悲しみを捧げ、たとえわずかな間でも救われるために。
「ならば、この世界をブレア様が統治すればどれだけ素晴らしい世の中になることでしょうか。世界から悲しみは消え、理想郷として生まれ変わるのです」
「悲嘆の魔女に世界を統治してもらうだと……? お前はそんな訳のわかんねえことのために行動してたっていうのか。そのせいであの子は……イリスは悲嘆の魔女に取り込まれてしまったんだぞ!」
おれは声を荒げて女性の服をさらに締め上げる。だが、女性は哀れな人間を見下すような目をおれに向けてきた。
「イリアステラ様が生きていて、しかもこの島にいらっしゃったのは僥倖でした。港であの方のお姿を見た時は、大きな運命の渦を感じて心が震えました。全てがブレア様のもとへ集っていくのだと」
おれたちが船を降りて島に立った時、ローブの集団にいた一人がこっちを見て何かを呟いていた。イリスはその言葉を聞いてまるで逃げるようにその場を離れていった。あの時に、イリスはこのローブの女性に見つかってしまったのだ。
「かつてわたくしは『黄昏ノ教団』に所属しておりました。残念ながらイリアステラ様ご自身は出来損ないの救世主でしたが、ブレア様の器としては申し分ありません。理想の器と最高の貢物を手に入れ現世に降臨したブレア様は必ずや世界をお救いになるでしょう」
出来損ないの救世主。理想の器。
それらの言葉に、おれは沸騰するように苛立ちが湧き上がってくるのを感じた。
「あんたは……あんたはそうやって人を祭り上げて、用無しになったら別の誰かに寄生して生きてきたのかよ! お前のくだらない生き方にイリスを巻き込みやがって!」
「……くだらないとのお言葉ですが、一体この世のどこに何にもすがらず生きている者がいると言うのです? 誰しもが何かにすがって生きている。何かを信仰して生きている。あなたにも心当たりがあるのではないですか?」
そう言われ、おれは動揺した。
思い出したのは、今日の宿での出来事だ。おれはイリスを失い、自分の価値のなさを思い知らされた。知らず知らずのうちに、おれはイリスを頼りにして生きていたんだ。
それは信仰と何が変わると言うのだろう?
「この場にいるのは怪物の襲撃や戦争、あるいは疫病で大切な人を失い悲嘆に暮れる者たちばかり。もはや何かにすがってでしか生きることができない迷える子羊たちです。終わりに近づいていくこの絶望の世界で、わたくしたちが新たなる神を望むことの何が悪いと言うのですか!」
おれはローブの女性の主張に飲み込まれそうになった。
イリスの絶対的な力に頼って生きるのは心地が良かった。まるで自分が生まれ変わったような気分だった。彼女らも支えを必要としているのなら、それを奪う権利がおれにはあるのか?
自分の心が揺らぎそうになって、しかしギリギリのところで思いとどまったのは、ずっと抱えている正体のわからない苛立ちがよぎったからだった。
そうだ、おれは苛立っている。
叫ぶべき言葉を探している。
この気持ちの正体は何か、まだわからないけれど、今はまだ答えを出すべき時ではない。
「……おれには関係ねえよ」
おれは女性の服を掴んでいた手を離した。解放された女性は激しく咳き込む。
女性に背を向けると、おれは悲嘆の悪魔とクローディアたちの戦いに目を移す。激しさを増すばかりの戦いに、おれが入り込む余地はなさそうだ。
だが、必ずどこかに隙は生まれる。その一瞬に何ができるかなんてわからないけど、きっと自分にも役割があるはずだ。
イリス。
きっとおれは、心のどこかでお前を信仰していた。
隣にいるけれど、どこか遠くの存在として恐れ敬っていた。
だけど、それじゃダメなんだ。それじゃ、お前を祭り上げていた教団の信徒たちと同じだ。
だからおれは祈らない。目を瞑らず、お前を救う手がかりを探してやる!
「今だ、一斉にかかれっ!」
誰かの声を合図に、数人の騎士たちが多方向から悲嘆の悪魔に飛びかかっていく。
「邪魔ァ!」
悲嘆の悪魔が両腕を広げると、彼女の体から黒色の波動が爆風のように広がった。迸る波動は騎士たちを風に巻かれる木の葉のように吹き飛ばしていく。
余波は離れて立っていたはずのおれにまで及んだ。耐えられずに背中から倒れ、その拍子に変装のために被っていたローブが飛んでいった。
顔があらわになったおれと、悲嘆の悪魔の目が合った。
真紅の瞳が、驚きで丸くなっていく。
「…………ラッド、くん……?」
小さく呟いたその声は、間違いなくイリスのものだった。
悲嘆の悪魔のように冷酷さを感じさせる響きではなく、か弱いけれど確かな意志を感じる声だ。
その声を聞いた瞬間、おれはまぶたから涙が溢れてしまった。良かった……! お前はまだそこにいたんだな。
「イリス!」
おれは彼女の名前を呼んで駆け出した。
諦めないで良かった! 最後の希望を探し続けて良かった! これでまた、もとの日々に戻る。おいしいご飯を食べながら、一緒に旅をする日々が。
イリスがおれに向かって手を伸ばす。おれの手が彼女の手に触れかけた瞬間——無慈悲な刃が背中から彼女を刺し貫いた。
鮮血が飛び、おれの頬に付着する。イリスは己の胸を貫いた剣を見て、口から血を吐き出した。
「イリ、ス……?」
立ち止まったおれの目の前で、イリスは糸が切れた操り人形のように力なく倒れる。止めどなく溢れる血が、地面に真っ赤な花を描いていった。
真っ赤な、真っ赤な、花が。
少女の命を吸って、広がっていった。
「隙を見せたな。ようやくお前の罪を清算する時だ、魔女め」
血に濡れた剣を手にした
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