2-8、鎌と鱗の接近戦
病室は両側にベッドが配置され、間は通路となっている。悪魔憑き二人は一本道の通路で向かい合っていた。
「きひひひひひっ!」
モーリーが奇声を上げながら突進し、イリスに向かって両腕を振るう。イリスはファンタズマで迎え撃つが、その刃は鱗で防がれてしまった。
モーリーが大鎌を弾き、さらにイリスに迫る。触れれば肉を裂く鋭い鱗を、イリスは鎌の峰で受けた。彼女の武器は一定の距離を置いてこそ威力を発揮する。あれだけ詰め寄られてしまったら、本来の力を出すことはできないだろう。
おれは
だから機会を見定めろ。何を投げるか、どこに投げるか。チャンスは必ずやってくる。
「きひひっ。どうしたどうした! それでもぼくと同じ悪魔憑きなんですかぁ?」
モーリーが息をつく間もない猛攻を続ける。イリスは防戦一方だ。距離を取ろうにも、狭い病室では思うように動けていない。
モーリーが鋭く突き出した手がイリスの頬をかすった。白磁のように綺麗な肌に、赤い血の線が滲む。
イリスが苦戦する姿は初めて見る。これまで見てきた戦いは、手こずることはあっても彼女が傷を受けることはなかった。
彼女を広い戦場に解き放ちたい。なんとか奴を外におびき出す方法はないだろうか。
「どいつもこいつもぼくをバカにしやがってぇ! 好きでひ弱に育ったわけじゃない! ぼくだって、本当はたくましい体に生まれたかった。本当は頼れる男になりたかったんだ!」
モーリーが力任せに振るった腕が空のベッドに当たる。木製のベッドはズタズタになり、その場で廃材となった。その隙にイリスが鎌を横に薙ぐが、十分な間合いがなかったためか柄を掴まれ止められた。
「イリス!」
おれは手に持っていた
モーリーが大鎌の柄を握ったまま、ジロリとおれに目を向ける。
「なんですか、今の攻撃は? まるで虫がとまったみたいでしたよ。ほら、やっぱりあなたはこちら側だった。何もできない、落ちこぼれ。バカにされて、見くびられる。そう慌てないでくださいよ……こいつを殺したら、後でゆっくり切り刻んであげますから」
気味の悪い笑みを浮かべたモーリーは、おれに興味をなくしたように視線を戻す。壁に追い詰めたイリスに、もう片方の手を伸ばした。
イリスは逃げない。ファンタズマから手を離そうともしない。無表情のまま、モーリーの顔をじっと見つめる。
「……あなたはおいしいものを食べたことがある?」
イリスが唐突に投げかけた質問に、モーリーが手を止めた。
「なんだ? お前は何を言ってるんだぁ?」
イリスは淡々とした口調で続ける。
「おいしいものを食べれば、少しだけ幸せになれる。小さな幸せを積み重ねていけば、呪いに飲み込まれることもありません。あなたもきっと、おいしいものを食べれば満たされるはずです」
「ふざけるな! ぼくが満たされるのは、いけ好かない奴をこの手で縊り殺した時だけだ! ぼくにないものを持っている奴を全員殺せば、それがぼくの幸せだ!」
相手を追い込んでいるはずのモーリーが、まるで追い詰められているかのような悲痛な声で叫んだ。止めた腕を再び動かし、針のように鋭い鱗でイリスを切り裂こうとする。
おれはここを好機と見て、近くに落ちていたある物を掴んだ。それをそのまま、モーリーに向けて投げつける。
どうせ、あいつはもうおれの攻撃なんて眼中に入れていない。おれが何を投げても、自分の強靭な鱗を貫くことはできないと高を括っている。
悔しいが、それは間違いない。非力なおれでは、奴の体を傷つけることはできないだろう。
だが貫くだけが攻撃だと思っているなら、それは大きな間違いだ。
パリン、とガラスが割れる音が病室に響く。
おれが投げて、そして命中させたのはモーリーが持っていた
容器が割れれば、油が漏れる。油がかかった体は——火種を伝って引火する。
「ギィィィィィィアァアアアア!!!!」
瞬間、真っ赤な火柱が昇る。体を火に包まれたモーリーが痛々しい悲鳴を上げた。
叩いてダメなら燃やしてみる。どれだけ堅い鱗でも、必ずどこかに弱点はあるはずだ。
何もできない落ちこぼれ?
バカにされて見くびられる?
逆に感謝させてもらうぜ。見くびってくれてありがとよってな!
「見たか、一撃!」
おれは指先を真っ直ぐ突きつけ、腹の底から叫んだ。
病室は石材でできているので、炎が燃え広がることはないだろう。おれはベッドで寝ているブランを担ぎ、部屋の扉に向かって走り出す。
「イリス、一旦引くぞ!」
モーリーの手から大鎌を奪い返して壁際から脱出したイリスが、おれの後ろに続く。
「わかりました。でも、どこへ行くんですか?」
「シギの小屋だ! モーリーが犯人だってことを皆に伝えたら、おれたちの勝ちだからな!」
おれはモーリーにも聞こえるように、わざと大声で言った。
病室を出ると、誰もいない石造りの廊下を駆け抜けていく。隣に並んだイリスが、走りながらおれの顔を見上げた。
「ラッドくんは、少し演技が下手です。逃げる気もないのに」
イリスの言葉に、おれは苦笑いする。
「あはは……やっぱりわかっちゃう? でもこう言っておけば、奴はおれたちを追わざるを得なくなる。病的なまでに自分の痕跡を消したがってるからな」
「なるほど。あいつをおびき出すんですね」
「そゆこと」
広い空間に戦場を移せば、イリスの強みである機動性を活かすことができる。そうすれば、五分以上の戦いになるはずだ。
もう一つ、奴を罠にかける算段もある。そっちにも引っかかってくれれば勝利は堅いだろう。
「逃すか! 逃すかァアアアアア!!」
病室から悪魔を思わせる甲高い絶叫が聞こえてきた。もう火攻めから立ち直ってきたのか。頑丈な奴だ。
逃すかだって? それはこっちの
おれたちはお前を逃がさない。今宵今晩、必ず決着をつけてやる。
……主にイリスがな!
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