2-8、鎌と鱗の接近戦

 

 病室は両側にベッドが配置され、間は通路となっている。悪魔憑き二人は一本道の通路で向かい合っていた。


「きひひひひひっ!」


 モーリーが奇声を上げながら突進し、イリスに向かって両腕を振るう。イリスはファンタズマで迎え撃つが、その刃は鱗で防がれてしまった。

 巨神狼フェンリルの硬い毛皮をも容易く切り裂いたイリスの一撃を受けきるとは、なんて強靭な鱗だろうか。あれが悪魔と契約して手に入れた力か。


 モーリーが大鎌を弾き、さらにイリスに迫る。触れれば肉を裂く鋭い鱗を、イリスは鎌の峰で受けた。彼女の武器は一定の距離を置いてこそ威力を発揮する。あれだけ詰め寄られてしまったら、本来の力を出すことはできないだろう。


 おれは短剣ダガーを引き抜き狙いを定める。だが、どこに投げても鱗に弾かれるイメージしか湧かない。かわされたらイリスを傷つけてしまう恐れもある。

 だから機会を見定めろ。何を投げるか、どこに投げるか。チャンスは必ずやってくる。


「きひひっ。どうしたどうした! それでもぼくと同じ悪魔憑きなんですかぁ?」


 モーリーが息をつく間もない猛攻を続ける。イリスは防戦一方だ。距離を取ろうにも、狭い病室では思うように動けていない。

 巨神狼フェンリル戦では空中で怪物を撃破したように、イリスの本当の強みは敏捷性だ。縦横無尽に動き回り、あらゆる角度から大鎌を振るって相手の命を刈り取る。それが彼女の戦い方だ。


 モーリーが鋭く突き出した手がイリスの頬をかすった。白磁のように綺麗な肌に、赤い血の線が滲む。

 イリスが苦戦する姿は初めて見る。これまで見てきた戦いは、手こずることはあっても彼女が傷を受けることはなかった。

 彼女を広い戦場に解き放ちたい。なんとか奴を外におびき出す方法はないだろうか。


「どいつもこいつもぼくをバカにしやがってぇ! 好きでひ弱に育ったわけじゃない! ぼくだって、本当はたくましい体に生まれたかった。本当は頼れる男になりたかったんだ!」


 モーリーが力任せに振るった腕が空のベッドに当たる。木製のベッドはズタズタになり、その場で廃材となった。その隙にイリスが鎌を横に薙ぐが、十分な間合いがなかったためか柄を掴まれ止められた。


「イリス!」


 おれは手に持っていた短剣ダガーを瞬時に投げる。空中を回転して飛んだ短剣ダガーはモーリーの背中に命中するが、硬い鱗に弾かれ床に転がった。

 モーリーが大鎌の柄を握ったまま、ジロリとおれに目を向ける。


「なんですか、今の攻撃は? まるで虫がとまったみたいでしたよ。ほら、やっぱりあなたはこちら側だった。何もできない、落ちこぼれ。バカにされて、見くびられる。そう慌てないでくださいよ……こいつを殺したら、後でゆっくり切り刻んであげますから」


 気味の悪い笑みを浮かべたモーリーは、おれに興味をなくしたように視線を戻す。壁に追い詰めたイリスに、もう片方の手を伸ばした。

 イリスは逃げない。ファンタズマから手を離そうともしない。無表情のまま、モーリーの顔をじっと見つめる。


「……あなたはおいしいものを食べたことがある?」


 イリスが唐突に投げかけた質問に、モーリーが手を止めた。


「なんだ? お前は何を言ってるんだぁ?」


 イリスは淡々とした口調で続ける。


「おいしいものを食べれば、少しだけ幸せになれる。小さな幸せを積み重ねていけば、呪いに飲み込まれることもありません。あなたもきっと、おいしいものを食べれば満たされるはずです」


「ふざけるな! ぼくが満たされるのは、いけ好かない奴をこの手で縊り殺した時だけだ! ぼくにないものを持っている奴を全員殺せば、それがぼくの幸せだ!」


 相手を追い込んでいるはずのモーリーが、まるで追い詰められているかのような悲痛な声で叫んだ。止めた腕を再び動かし、針のように鋭い鱗でイリスを切り裂こうとする。

 おれはここを好機と見て、近くに落ちていたを掴んだ。それをそのまま、モーリーに向けて投げつける。


 どうせ、あいつはもうおれの攻撃なんて眼中に入れていない。おれが何を投げても、自分の強靭な鱗を貫くことはできないと高を括っている。

 悔しいが、それは間違いない。非力なおれでは、奴の体を傷つけることはできないだろう。

 だが貫くだけが攻撃だと思っているなら、それは大きな間違いだ。


 パリン、とガラスが割れる音が病室に響く。

 おれが投げて、そして命中させたのはモーリーが持っていた角灯ランタンだ。中には火種と、たっぷりの油が入っている。


 容器が割れれば、油が漏れる。油がかかった体は——火種を伝って引火する。


「ギィィィィィィアァアアアア!!!!」


 瞬間、真っ赤な火柱が昇る。体を火に包まれたモーリーが痛々しい悲鳴を上げた。

 叩いてダメなら燃やしてみる。どれだけ堅い鱗でも、必ずどこかに弱点はあるはずだ。


 何もできない落ちこぼれ?

 バカにされて見くびられる?

 逆に感謝させてもらうぜ。見くびってくれてありがとよってな!


「見たか、一撃!」


 おれは指先を真っ直ぐ突きつけ、腹の底から叫んだ。


 病室は石材でできているので、炎が燃え広がることはないだろう。おれはベッドで寝ているブランを担ぎ、部屋の扉に向かって走り出す。


「イリス、一旦引くぞ!」


 モーリーの手から大鎌を奪い返して壁際から脱出したイリスが、おれの後ろに続く。


「わかりました。でも、どこへ行くんですか?」


「シギの小屋だ! モーリーが犯人だってことを皆に伝えたら、おれたちの勝ちだからな!」


 おれはモーリーにも聞こえるように、わざと大声で言った。

 病室を出ると、誰もいない石造りの廊下を駆け抜けていく。隣に並んだイリスが、走りながらおれの顔を見上げた。


「ラッドくんは、少し演技が下手です。逃げる気もないのに」


 イリスの言葉に、おれは苦笑いする。


「あはは……やっぱりわかっちゃう? でもこう言っておけば、奴はおれたちを追わざるを得なくなる。病的なまでに自分の痕跡を消したがってるからな」


「なるほど。あいつをおびき出すんですね」


「そゆこと」


 広い空間に戦場を移せば、イリスの強みである機動性を活かすことができる。そうすれば、五分以上の戦いになるはずだ。

 もう一つ、奴を罠にかける算段もある。そっちにも引っかかってくれれば勝利は堅いだろう。


「逃すか! 逃すかァアアアアア!!」


 病室から悪魔を思わせる甲高い絶叫が聞こえてきた。もう火攻めから立ち直ってきたのか。頑丈な奴だ。


 逃すかだって? それはこっちの台詞セリフだぜ。

 おれたちはお前を逃がさない。今宵今晩、必ず決着をつけてやる。

 ……主にイリスがな!

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