2-7、謎解きと開戦

    *  *  *



 その日の夜。

 暗闇の中、おれは物陰に身を隠して息を潜めていた。


 おれの読みでは、怪物はに現れるはずだ。奴が姿を現す時まで、気がつかれてはならない。

 じっと動かないでいると、一瞬が永遠のように感じてしまう。嫌な汗がにじみ出てくる。


 どれくらい待ったのだろうか。時間感覚がよく分からなくなった頃に、ぼんやりと明かりが浮かび上がってきた。明かりは角灯ランタンの火のようだった。

 小さな火は、墓場を徘徊する鬼火ウィルオウィスプのようにゆらゆらと揺れている。どうやら、角灯ランタンの持ち主は何かを探しているようだった。歩いては立ち止まり、また歩いては立ち止まる。


 奴は少しずつおれのいる場所に近づいている。緊張と恐怖が入り混じり、心臓が荒波を打つ。

 ついに角灯ランタンの持ち主は、おれのすぐ目の前に来た。どうやら奴は目的のものを見つけたようだった。明かりの向こうから、ぬっと手が伸びてくる。


「おっと、そこまでだ!」


 おれは物陰から飛び出し、その手を掴んだ。

 角灯ランタンの持ち主は心底驚いたようだった。体を震わせ、後ずさりをしようとする。だが、おれは腕を掴む力を緩めない。


 ここはブランが担ぎ込まれた病院だ。そして、おれはブランが横になっているベッドの影に隠れていた。角灯ランタンを持って病室に現れた奴は、ブランにとどめを刺そうと手を伸ばしたのだ。

 明かりに照らされた顔を見て、おれは自分の推理が正しかったことを確信する。そいつは、おれが予想していた通りの人間だった。


「なんでわかったんだって顔をしてるな。実際、おれも騙されてたよ。あんたが『燻製ニシンの偽証』を使っていることに気がつかなかったらな」


 こんな話がある。

 匂いを辿って獲物を追っていた猟犬が、燻製ニシンの強烈な香りを嗅いでそっちにつられて行ってしまい、結局獲物を逃してしまったという話だ。

 この話から、わざと嘘の情報を流すことで真実から遠ざける行為を『燻製ニシンの偽証』と呼ぶ。ずっと前に聞いたきり忘れていた例え話だったが、本物の燻製ニシンを目の前にすることで思い出した。


「犠牲になった五人のうち三人が加工場の職員だったなら、普通は加工場の関係者に疑いの目が行くはずだ。だが、あんたはそのタイミングで怪物を見たという話を持ち出した。まんまと釣られたおれたちは、存在しない怪物の影を追う羽目になったわけだ」


 それまで一切の痕跡が見つかっていない状況の中で、目撃情報が報告されればそれを頼りにせざるを得なくなる。まさに最高の時に嘘を織りまぜてきたのだ。


「あんたが嘘をついていたという前提に立てば、昨日の出来事にも説明がつく。あんたはブランを襲った後にその場を去り、そして何食わぬ顔で現場に戻って来た。この道を通ってきましたが、怪物には逢いませんでしたって嘘をついてな」


 証言をしたのが怪物そのものだったなら、完全に存在を消すことができる。

 こいつはそうやって見えない怪物を作り上げてきたんだ。


「だが、あんたは一つだけ失敗をした。それはブランを仕留めそこなっちまったことだ。冒険者を相手にするのは初めてだったからか? もしかしたら姿を見られたかもしれないと思い、あんたはブランが目を覚ます前に始末しようとここに来た」


 こいつがここに来るように、あらかじめ仕込みをしておいた。ブランが意識を取り戻して、何かを伝えようとしているとあちこちに触れ回ったのだ。

 おれの目論見は当たり、こいつはまんまと餌に食らいついた。勝手に餌にしてしまったブランには申し訳なく思うが。


「おれの言ったことは間違っているか? ええ、モーリーよ!」


 角灯ランタンの光に浮かび上がったのは、痩せた加工場の青年モーリーだった。

 モーリーの顔は死人のように青白い。幽霊を目の前にしているかのようだ。


「何を言っているんですか、ラッドさん。ぼくはただ、ブランさんの容態を診に来ただけですよ。やだなぁ、ぼくがそんな恐ろしい怪物だなんて。はははっ、冗談はやめてくださいよ」


 モーリーが口の端を歪ませて醜く笑う。


「それに、ラッドさんも見たでしょう? ブランさんについた傷を。あんなに深い傷を、ぼくみたいな非力な男がつけられるはずがないじゃないですか」


 ブランは鋭い爪で切り裂かれたような傷を負っていた。確かにモーリーのような細身の男では、どんな武器を使ってもあのような傷をつけることはできないだろう。おれにも無理だ。

 だが、おれは例外を知っている。非力な体で超常の力を振るう例外を。


「おれの知り合いの女の子は、小柄で華奢なのに自分の体よりも大きい鎌を振るうんだ。おれはその子がなぜそんな力を出せるのかを知っている。だからあんたもなんだって、確信を持って言うことができる」


 その可能性は昨日の時点で提示されていた。

 イリスの所有する生きた大鎌ファンタズマが怯えていた——おれはもっとその事実を深く考えるべきだったのだ。小屋の中の誰かに対して恐怖を感じていると仮説を立てることができていたならば、見えない怪物はあの場にいたとの答えに行き着いていた。


 死神の鎌が恐れる相手と言えば、一つしか思い当たらない。

 そして何より、ブランが呟いた「あ……ま……」と言う言葉——


「お前、悪魔憑きなんだろ」


 おれは正面からモーリーを見据えて言い切った。

 イリスと同じ、悪魔と契約を交わした者。呪いを受けることによって、大いなる力を授かった者。


「……なぁんだ。気付いちゃってたんですか」


 モーリーが満面の笑みを浮かべ、冷たい声で言った。それはゾッとするような不気味な声だった。


「ラッドさんもそいつが嫌な奴だって知っているでしょう? だったらぼくのことは黙っていてくださいよ。ゴミを一つ片付けるだけなんだから」


 モーリーが軽蔑の目で、ベッドの上に横たわるブランを見た。

 地下水道を歩いた時に、ブランがモーリーに突っかかっている場面を何度も見た。嫌っていて当然だろう。


「確かにおれもブランには良い印象を持ってないさ。だがな、嫌な目にあったからそいつを殺すなんて子供のワガママじみてるぜ。この世にどんだけ人がいると思ってんだ? 合う奴合わない奴なんて、いて当然だろ」


 加工場の職員三人を含む犠牲者五人は、きっとこいつの私怨で殺されたんだ。

 誰にも気づかれないように、周到に、狡猾に、自分勝手な理由で恨みを晴らし続けて来た。見えない怪物は、こいつの心の中に潜んでいたんだ。


「おかしいなぁ。あなたなら共感してくれると思っていたんですけどね。あなたはぼくの側の人間だと思っていたから」


「あっち側とかこっち側とか、勝手に境界線を引くんじゃねぇよ。おれは冒険者だ。どこにだって行くのも自由だ」


「あぁ、そう。だったらあなたも片付けなければいけませんね」


 モーリーが纏う空気が禍々しいものに変わっていく。腕には棘のように鋭い鱗が生えていく。おれは慌てて掴んでいた手を離した。

 足が恐怖で震え出す。おれはまたしても相手の殺気に飲み込まれてしまっていた。


 犯人を突き止め、正体を暴いた。おれの役目は一旦ここで終了だ。

 だから——


「頼むぜ、イリス!」


 おれの声に、別の場所に身を潜めていたイリスが大鎌を構えて飛び出した。


「邪魔」


 イリスは飛び上がった状態から、大上段でファンタズマを振り下ろす。だが、大鎌の刃はあっさりとモーリーの両腕によって防がれた。あいつの腕を覆う鱗はかなりの強度のようだ。

 着地したイリスは、一旦後ろに下がって距離を取った。モーリーも攻撃を受けた衝撃で後退する。


「へぇ。あなたには信じられる仲間がいるんですね。いいなぁ、ぼくには親しい友達なんていなかった」


 針のように鋭い鱗は全身に広がり、モーリーは怪物としか呼べないおぞましい姿になった。鱗の間から赤い眼光が光り、おれを射抜く。


「羨ましいなぁ」


 おれはその目を見て、なぜかやるせない気持ちになった。「羨ましい」。その感情は、おれもずっと抱いているものだったから。


「わたしはお腹がすきました」


 なぜかイリスがモーリーの言葉に返答するように言った。一体何の礼儀だろうか。

 角灯ランタンの灯りを反射して、イリスの大鎌とモーリーの鱗が怪しく光る。


 両者の視線が交差し、悪魔憑きたちの狂宴が幕を開けた。

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