1-3、ドブ鼠〈ブラウラット〉

 

「なぁ、ドブ鼠ブラウラット。ずいぶん景気がいいみたいじゃねえか。銀貨八十枚だって? 羨ましいねえ。オレも同じくらい稼ぎたいもんだ。なぁ、ドブ鼠ブラウラット


 ゴートンがわざとらしく両手を広げ、近づいてくる。

 こいつは七人いた一行パーティの中でも、特におれを小馬鹿にしてくるやつだった。おれの名前のラッドとラットをかけたふざけたあだ名でおれを呼んだり、おれが作った料理にいちゃもんを付けてきたりと嫌な目に遭わされ続けてきた。

 大斧を振り回す膂力は並外れたものがあるのだが、大きな体に反して人間は小さい。


「ここだけの話、一体どこのどいつに助けてもらったんだ? なぁ、ドブ鼠ブラウラット。オレにだけこっそり教えてくれよ。お前が一人で変異狼ワーウルフを倒せるわけがないって、オレたちはよく知ってるんだからよお! なぁ、レン?」


 ゴートンがおれの肩に手を乗せ、ねちっこい声で話しかけてきた。

 水を向けられたレンは迷惑そうな表情を浮かべる。


「ゴートン、そうやって決めつけてかかるのは良くない癖だよ。人はみんな変わるんだ。例え小さなきっかけだとしてもね」


「ハッ、事実だからいいじゃねぇか! こいつは剣を持ってもへっぴり腰で、ザコの怪物にも斬りかかれやしねえ。逆に怪物が近づいてきたらすぐに逃げ出す天性のビビリ野郎だ。そんな奴が変異狼ワーウルフを狩ったなんて信じられるはずがねぇよなぁ!」


 ゴートンはわざと建物中に聞こえるように大声で話す。

 おれはもう恥ずかしさと悔しさで俯いているしかなかった。


 本当に自分一人の力で変異狼ワーウルフを討伐することができていたら、はっきり言い返すことができただろう。しかし、事実はゴートンの言う通りなのだ。

 おれは怪物を前にすると足がすくんで動けなくなる。それは武器を持った人間相手にも同じだ。逆に逃げ出す方向には軽やかに走り出せるのだから、天性のビビリとしか言いようがない。

 そんなことはおれでもわかっている。

 おれだって、自分を変えたいんだ。


「ラッドくん」


 俯いているおれの袖を、イリスが引っ張ってきた。


「早く行こう。お腹がすいた」


 イリスは空腹でイライラしてきているようだった。口調が少し早口になっている。


「なんだ、この陰気くせぇガキは? まさかお前の新しい仲間か、ドブ鼠ブラウラット


 ゴートンは馬鹿にしたように笑い声を上げた。

 正確に言えば仲間ではないのだが、否定しようとしてもこいつを調子づかせるだけだ。


「ハッハッハ! 惨めなモン同士お似合いだぜ。なぁお嬢ちゃん、知ってるかい。こいつはな、武器を持ってない小鬼インプにも負ける奴さ。悪いことは言わねえから、とっとと見限った方がいいぜ」


 ゴートンは笑い続けたが、イリスが全く反応を示さないことに腹を立てたらしかった。笑い声を止めると、イリスを掴もうと太い腕を伸ばす。


「おいガキゃあ! シカトぶっこいてんじゃ……」


「邪魔」


 イリスが呟いた次の瞬間、ゴートンの巨体が宙を飛び床にしたたかに打ち付けられる。大砲のような衝撃音が建物中に響いた。

 背中から叩きつけられたゴートンは口から泡を吹き出し、白目を向いて気を失った。


 その場にいた誰もが、何が起きたか理解できなかっただろう。だが、イリスの尋常ならざる強さを知るおれは、彼女が彗星のごとき速さでゴートンを投げ飛ばしたことがわかった。

 本当にとんでもない奴だ。改めてそう感じる。


「わたしはもう行きます」


 そう言うと、イリスは何事もなかったかのようにすたすたと歩き出してしまう。スイングドアを開けて冒険者組合ギルドの建物から出ていった。

 その場に留まるべきか、イリスに付いていくべきか。おろおろしながら迷っていると、レンがおれの背中を軽く叩いた。


「ほらっ、ぼさっとしてないで追いかけなよ。あんなすごい子、なかなか仲間にはできないよ。この場はあたしが受け持っておくからサ」


 レンの申し出はありがたいやら、ありがたくないやら。

 本当はこのまま自然にイリスの前からいなくなりたい。しかしそんなことをすれば、死神の鎌が今度はおれの首を刈りにくるに違いない。ゴートンを情け容赦なく叩き潰した行為からも、彼女の異常さがよくわかる。

 だけどなんだろう、この気持ちは。少しだけ、爽やかな心地がする。


「こう言うのもなんだけど、すっきりしたよ。ゴートンはいつも威張って誰かを見下してばかりだったからさ。これに懲りて丸くなってくれたらいいんだけどね」


 レンがおれの気持ちを代弁するかのように言った。


「じゃあ、レン。悪いがゴートンの介抱をよろしく頼む。おれはイリスの後を追う」


「りょーかいだよ。それよりも……ふふっ」


 レンが嬉しそうに微笑する。


「久しぶりにあたしの名前を呼んでくれたね」


 少女の笑みに、おれは顔が赤くなるのを感じた。

 そう言われれば、彼女の名前を呼んだのは久しくなかった気がする。自信をなくすごとに、他人の顔を真っ直ぐに見ることができなくなっていたからだ。

 あの死神少女と出会うことで、自分の中で何かが変わってきているのかもしれない。

 これが良い変化なのか、悪い変化なのかはわからないが。


 スイングドアを開けて組合ギルドの外に出ると、イリスが待っていた。フードを目深に被り背中に大鎌を背負った怪しい姿に、往来を通る人々は奇異の目で見て避けている。

 おれはため息をつくと、彼女に歩み寄った。


「イリス、この後は一体どこへ行くつもりだったんだ」


「ラッドくんがご飯を作ってくれるところです。早く行きましょう。お腹がすいた」


 おれがイリスと会ってから、一体こいつは何回「お腹がすいた」を言ったのだろうか。


「飯を作ると言っても、材料を買うところから始めなきゃならないから時間がかかるぞ」


「え」


 表情の変化に乏しいイリスの顔がさっと青ざめたのがわかった。どうやら空腹は文字通り喫緊の問題らしい。


「……晩飯は近くの食堂で食べよう。その後に夜食くらいは作ってやるから」


「うん」


 イリスは頷くと、隣に立っておれの顔を見上げた。そのまま動かないので先に歩き出すと、横をぴたりと付いてくる。どこの食堂に入るかはお任せらしい。イマイチな味の店にでも入ってしまったら、皿の上にはおれの首が乗るに違いない。そんな恐怖を感じながら、おれは目と鼻を必死に動かし良さげな飲食店を探した。

 ふと、道をコロコロと転がってくる物体が目に止まり、反射的に拾い上げる。それはよく熟れた赤いリンゴだった。


「おぉーい、すまねぇ。そのリンゴをこっちによこしてくれ」


 声の方を見ると、露天の果物売りのおじさんが離れた場所で手を振っていた。どうやら店じまいをしていて、リンゴを詰めた箱をひっくり返してしまったらしい。


「そっちに投げるから受け取ってくれ」


 おれは返事をすると、リンゴを右手で持って果物売りのおじさんに向かって投げる。空中に放物線を描いたリンゴは、吸い込まれるようにおじさんの手元に落ちた。


「おお! いい制球力コントロールだな! ありがとうよ、ニイちゃん!」


 手を振って感謝を告げるおじさんに、おれは手を振り返す。


「ラッドくん、すごい」


 イリスがおれの真似をして、ぎこちなく投げる動作をする。


「ははは。物を投げるのは昔から得意なんだ。村にいた頃に遊びでやっていた石当ては百発百中だったさ」


 投擲技術はおれの数少ない取り柄である。戦いでは全く役に立たないのが悲しいが。

 日はすでに沈みかけ、空は夕焼けの色に染まっている。長い影が落ちる道を、おれは死神少女と並んで歩いていった。

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