1-3、ドブ鼠〈ブラウラット〉
「なぁ、
ゴートンがわざとらしく両手を広げ、近づいてくる。
こいつは七人いた
大斧を振り回す膂力は並外れたものがあるのだが、大きな体に反して人間は小さい。
「ここだけの話、一体どこのどいつに助けてもらったんだ? なぁ、
ゴートンがおれの肩に手を乗せ、ねちっこい声で話しかけてきた。
水を向けられたレンは迷惑そうな表情を浮かべる。
「ゴートン、そうやって決めつけてかかるのは良くない癖だよ。人はみんな変わるんだ。例え小さなきっかけだとしてもね」
「ハッ、事実だからいいじゃねぇか! こいつは剣を持ってもへっぴり腰で、ザコの怪物にも斬りかかれやしねえ。逆に怪物が近づいてきたらすぐに逃げ出す天性のビビリ野郎だ。そんな奴が
ゴートンはわざと建物中に聞こえるように大声で話す。
おれはもう恥ずかしさと悔しさで俯いているしかなかった。
本当に自分一人の力で
おれは怪物を前にすると足がすくんで動けなくなる。それは武器を持った人間相手にも同じだ。逆に逃げ出す方向には軽やかに走り出せるのだから、天性のビビリとしか言いようがない。
そんなことはおれでもわかっている。
おれだって、自分を変えたいんだ。
「ラッドくん」
俯いているおれの袖を、イリスが引っ張ってきた。
「早く行こう。お腹がすいた」
イリスは空腹でイライラしてきているようだった。口調が少し早口になっている。
「なんだ、この陰気くせぇガキは? まさかお前の新しい仲間か、
ゴートンは馬鹿にしたように笑い声を上げた。
正確に言えば仲間ではないのだが、否定しようとしてもこいつを調子づかせるだけだ。
「ハッハッハ! 惨めなモン同士お似合いだぜ。なぁお嬢ちゃん、知ってるかい。こいつはな、武器を持ってない
ゴートンは笑い続けたが、イリスが全く反応を示さないことに腹を立てたらしかった。笑い声を止めると、イリスを掴もうと太い腕を伸ばす。
「おいガキゃあ! シカトぶっこいてんじゃ……」
「邪魔」
イリスが呟いた次の瞬間、ゴートンの巨体が宙を飛び床にしたたかに打ち付けられる。大砲のような衝撃音が建物中に響いた。
背中から叩きつけられたゴートンは口から泡を吹き出し、白目を向いて気を失った。
その場にいた誰もが、何が起きたか理解できなかっただろう。だが、イリスの尋常ならざる強さを知るおれは、彼女が彗星のごとき速さでゴートンを投げ飛ばしたことがわかった。
本当にとんでもない奴だ。改めてそう感じる。
「わたしはもう行きます」
そう言うと、イリスは何事もなかったかのようにすたすたと歩き出してしまう。スイングドアを開けて冒険者
その場に留まるべきか、イリスに付いていくべきか。おろおろしながら迷っていると、レンがおれの背中を軽く叩いた。
「ほらっ、ぼさっとしてないで追いかけなよ。あんなすごい子、なかなか仲間にはできないよ。この場はあたしが受け持っておくからサ」
レンの申し出はありがたいやら、ありがたくないやら。
本当はこのまま自然にイリスの前からいなくなりたい。しかしそんなことをすれば、死神の鎌が今度はおれの首を刈りにくるに違いない。ゴートンを情け容赦なく叩き潰した行為からも、彼女の異常さがよくわかる。
だけどなんだろう、この気持ちは。少しだけ、爽やかな心地がする。
「こう言うのもなんだけど、すっきりしたよ。ゴートンはいつも威張って誰かを見下してばかりだったからさ。これに懲りて丸くなってくれたらいいんだけどね」
レンがおれの気持ちを代弁するかのように言った。
「じゃあ、レン。悪いがゴートンの介抱をよろしく頼む。おれはイリスの後を追う」
「りょーかいだよ。それよりも……ふふっ」
レンが嬉しそうに微笑する。
「久しぶりにあたしの名前を呼んでくれたね」
少女の笑みに、おれは顔が赤くなるのを感じた。
そう言われれば、彼女の名前を呼んだのは久しくなかった気がする。自信をなくすごとに、他人の顔を真っ直ぐに見ることができなくなっていたからだ。
あの死神少女と出会うことで、自分の中で何かが変わってきているのかもしれない。
これが良い変化なのか、悪い変化なのかはわからないが。
スイングドアを開けて
おれはため息をつくと、彼女に歩み寄った。
「イリス、この後は一体どこへ行くつもりだったんだ」
「ラッドくんがご飯を作ってくれるところです。早く行きましょう。お腹がすいた」
おれがイリスと会ってから、一体こいつは何回「お腹がすいた」を言ったのだろうか。
「飯を作ると言っても、材料を買うところから始めなきゃならないから時間がかかるぞ」
「え」
表情の変化に乏しいイリスの顔がさっと青ざめたのがわかった。どうやら空腹は文字通り喫緊の問題らしい。
「……晩飯は近くの食堂で食べよう。その後に夜食くらいは作ってやるから」
「うん」
イリスは頷くと、隣に立っておれの顔を見上げた。そのまま動かないので先に歩き出すと、横をぴたりと付いてくる。どこの食堂に入るかはお任せらしい。イマイチな味の店にでも入ってしまったら、皿の上にはおれの首が乗るに違いない。そんな恐怖を感じながら、おれは目と鼻を必死に動かし良さげな飲食店を探した。
ふと、道をコロコロと転がってくる物体が目に止まり、反射的に拾い上げる。それはよく熟れた赤いリンゴだった。
「おぉーい、すまねぇ。そのリンゴをこっちによこしてくれ」
声の方を見ると、露天の果物売りのおじさんが離れた場所で手を振っていた。どうやら店じまいをしていて、リンゴを詰めた箱をひっくり返してしまったらしい。
「そっちに投げるから受け取ってくれ」
おれは返事をすると、リンゴを右手で持って果物売りのおじさんに向かって投げる。空中に放物線を描いたリンゴは、吸い込まれるようにおじさんの手元に落ちた。
「おお! いい
手を振って感謝を告げるおじさんに、おれは手を振り返す。
「ラッドくん、すごい」
イリスがおれの真似をして、ぎこちなく投げる動作をする。
「ははは。物を投げるのは昔から得意なんだ。村にいた頃に遊びでやっていた石当ては百発百中だったさ」
投擲技術はおれの数少ない取り柄である。戦いでは全く役に立たないのが悲しいが。
日はすでに沈みかけ、空は夕焼けの色に染まっている。長い影が落ちる道を、おれは死神少女と並んで歩いていった。
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