1-4、世界一おいしい食べ物を探して

 

    *  *  *



「おーい、イリス。夜食ができたぞー」


 その日の夜、おれはイリスが宿泊している部屋の扉を叩いた。すぐに扉が開き、心なしかそわそわした様子のイリスが顔を出す。


「とても待ってました」


 作ったら泊まっている場所まで持って行くと言ったのに、イリスはおれと同じ宿に押しかけてきた。死神から逃げることはできないようだ。

 おれは左手に下げた小さなバスケットをイリスに差し出す。イリスは両手でそれを受け取ると、部屋に戻り机の上に置いた。これでようやく今日の仕事が終わったと安心していると、中から声が聞こえてきた。


「ラッドくんも一緒に食べましょう」


 どうやらまだ解放はされていないようだ。

 おれはなるべく表情が引きつらないように笑顔を浮かべて部屋に入った。ベッド横の壁に立てかけてある凶悪な大鎌が目に映り、体に緊張が走る。

 イリスは宝箱を開けるかのように、慎重な手つきでバスケットの蓋を開けた。


「サンドイッチ」


 中を覗いたイリスが声を上げた。

 バスケットには、薄切りのパンで具材を挟んだサンドイッチが詰まっている。いつも食べている硬い黒パンではなく小麦たっぷりの白パンを使った。依頼クエストの報酬で懐が温かいので少し奮発したのだ。

 イリスが一つ手に取りはむっと食い付く。瞬間、少女の全身が震えた。


「甘い」


 一口目を飲み込んだイリスがおれの顔を見て、やや大きな声で言った。

 サンドイッチには、スライスしたリンゴとチーズに蜂蜜をかけて挟んでいる。

 季節は春に入ったが、収穫時期を遅らせた新鮮なリンゴが今も出回っている。チーズは熟成していない種類のものを選んだ。淡白な味わいと弾力のある歯ごたえが特徴で、蜂蜜によく合うのだ。確か、カッテージチーズと呼ばれていたか。


「とてもおいしい」


 イリスはあっという間に一つ目を食べ終わると、二つ目に手を伸ばす。どうやらベーコンパイに続き、リンゴとチーズの蜂蜜サンドも気に入ってもらえたようだ。


「ラッドくんも食べましょう」


 パンくずをほっぺに付けたイリスが、片手に三つ目を持ちながら、もう片方の手でおれにサンドイッチを差し出す。

 夜食を食べる習慣がない上にもともと少食なのであまり食欲はないのだが、断る訳にもいかない。おれはサンドイッチを受け取ると、口に入れる。

 うむ。試食でも食べたが、やはり間違いない美味しさだ。

 柔らかい白パンが優しく口の中を撫でると、続いてリンゴと無熟成チーズの軽快な食感が踊る。最後にそれらの食材が蜂蜜の甘さに包まれとろけていく。


 おれは昔聞いた、食べ物が溢れる楽園に迷い込んだ男の話を思い出した。

 男は木に生えた雲のように柔らかいパンをちぎると蜜の川に浸し、その上に何種類もの果物を乗せて食べたという。その話を聞いた時、おれは想像しただけでよだれが止まらなかった。


 このリンゴとチーズの蜂蜜サンドはあの男が食べたものに近いのではないだろうか。もっと蜂蜜をふんだんに使い、果物も数種類挟んだ方がいいのだが。

 四つ目を手に取ったイリスは椅子から立ち上がり、ベッドに腰掛けているおれの隣に座った。


「ラッドくんは、すごい。おいしいものを、まるで魔法のように出してくれます」


 イリスが真剣な目でおれを見て言う。おれは首を横に振った。


「……こんなのは大したことじゃない。おれが戦いでは役立たずだったから、食事係を押し付けられて覚えただけだ。それに、おれなんかよりうまい料理を作れる人は星の数ほどいる。結局のところ、おれはなんもできない半端者なのさ」


 自分で言って情けなくなるが、おれは冒険者としても料理人としても三流がいいところだ。だが、イリスはおれが言ったことを冗談か何かのように受け取ったようだった。


「? ラッドくんだけができることは、たくさんあります。お腹がすいて倒れていたわたしにパイをくれたみたいに」


 イリスが真面目な表情でサンドイッチを頬張りながら言うので、おれはつい吹き出した。その顔を見ていると、うじうじしている自分が小さく思えてくるから不思議だ。


 結局、十個作ったサンドイッチはおれが二個、イリスが八個食べて完売した。余ったら明日の朝食にしようと思っていたので目算が外れた。一体この小さな体のどこに食べた物が収まっているのだろうか。


「しかし、よく食べるよなぁ。それだけ食べて、よく肥え太らないもんだ」


 呟いてから、自分が失言をしてしまったことに気づく。いくらなんでも女性に肥え太るだのとは言うべきではなかった。

 だが、イリスは気にしてはいないようだった。指についた蜂蜜を舐めると、横に座るおれを見て口を開く。


「わたしは、どれだけ食べても空腹のまま。それが悪魔にかけられた呪いだから」


「悪魔の、呪い……?」


 おれの言葉に、イリスは頷く。


「そう。わたしが燃やされた時に、助けてと神様にお願いしたら悪魔が現れた。そいつはわたしに言いました……私がお前に力をやろう。終わらない空腹と引き換えになって」


 突如告げられたイリスの過去に、おれは唾を飲み込んだ。

 彼女がこうして生きているということは、悪魔との取引に応じたのだろう。そして大鎌を軽く振り回すほどの力を得た。終わらない空腹という苦しみと引き換えに。


「それからわたしはどれだけ食べてもお腹が減ったまま。最初はとても苦しかった。目に映ったものを全部食べても食べても、空腹だった。時間が経って、空腹にも少し慣れてきた。それでわたしは旅を始めたのです。を探すために」


「世界一おいしい食べ物?」


 おれはイリスの言葉を繰り返した。さっきから疑問系ばかりだ。


「そう。悪魔はいなくなる前に、お腹が減って苦しむわたしにこう言いました。呪いを解きたいか? ならば世界一おいしい食べ物を探すことだ。その食べ物を口にした時、お前は空腹から解放されるだろう、と」


 まるで謎かけだ。

 『世界一おいしい食べ物』なんてものは未だかつて聞いたことがない。しかも悪魔はなのかを定義していない。味覚は人によって千差万別だ。単純に考えればイリスが世界一おいしいと思った食べ物が正解なのだろうが。


 神話や物語に登場する悪魔は皆、謎かけを好む。しかし、そこには必ず落とし穴があるのだ。

 こんな話を聞いたことがある。

 ある砂漠の国の貧しい男が、莫大な富を欲して悪魔と契約を交わした。「お前が栄華の階段を登り詰め、ついには太陽の上に立った時。お前の魂をもらいにいく」という内容だった。

 太陽の上に立つことなどあり得ないと思った男は迷わず契約を交わした。一夜で大金持ちとなった男は贅沢の限りを尽くした。ある日、男の元に毛織物の商人が現れ立派な絨毯を紹介した。見事な刺繍を気に入った男は絨毯を買い、その上に立った。途端に商人は悪魔に変わって男の耳元で囁いた——「お前はついに太陽の上に立ったぞ」と。

 絨毯の刺繍は太陽の模様だったのだ。


 世界一おいしい食べ物というのも、何か裏の意味が隠されているのかもしれない。

 そんなことを思い出している間も、イリスは話を続ける。


「いろいろ試しているうちに、おいしい物を食べた時にだけ、空腹が和らぐことに気がつきました。そして森の中であなたのパイを食べた時、これまでで一番空腹を忘れられたのです」


 おれは森の中での出来事を思い返した。そう言えば、パイをどこで買ったのか尋ねてきた時にすぐに鎌を突きつけてくるなど、かなり必死な様子だった。『世界一おいしい食べ物』に近づくヒントだと思ったのだろうか。


「だから、わたしが満足するまで料理を作ってくれるってラッドくんが言った時は、とてもうれしかったです。そんな風に言ってくれた人は……その、えと……は、初めてだったから」


 イリスが顔をそらし、小さな声で言った。フードの隙間から見える頬は少し紅潮しているようにも見える。

 あの時の「君が満足するまで料理を作ります」という言葉は、命を助けてもらおうと反射的に言ってしまったことだ。まさかここまで大事に繋がるとは思ってもいなかった。彼女にとっての満足するとは、お腹がいっぱいになる。つまり悪魔の呪いを解けるほどの世界一おいしい食べ物を調理するという意味に繋がるのだから。


「今日もたくさんおいしいものを食べたから、しばらくお腹が減らない。久しぶりにぐっすり眠れそうです。ありがとう、ラッドくん。ごちそうさま」


 イリスは立ち上がると、机の上に置いた空のバスケットを手に取りおれに差し出してきた。その顔には微笑が浮かんでいる。きっと感情表現に乏しい彼女なりの最高の笑顔なのだろう。


 おれはイリスの部屋を後にすると、バスケットを持ち主である宿の女将さんに返した。自分の部屋に戻ると燭台の火を消す。

 ベッドの上に横になり、真っ暗闇の天井を見上げながらあれこれ思考を巡らせた。


 なんだかさっきの話を聞いて、得体の知れない怪物だと思っていたイリスが少しだけ身近な存在に感じられるようになった。

 なぜ彼女が殺されかけていたのかはわからない。もしかしたら想像もできない凄まじい過去がさらに隠されているのかもしれない。


 だけど一つだけ確かなことがある。

 それは、彼女の「ごちそうさま」を聞くと嬉しくなるということだ。イリスの柔らかな笑顔を見た時、おれは胸が高鳴った。

 もう少しだけ、死神少女に付き合うのも悪くないかもしれない——そんな考えが脳裏に浮かび、おれは慌てて頭を振ってそれを否定した。

 いかんいかん! おれの目標は冒険譚で語られる英雄になることなのだ。間違っても死神専属の料理人にはなりたくない。


「とりあえず、寝よう」


 声を口に出すとおれは目を閉じる。

 闇の向こうから、狼の遠吠えが不気味に響いてきた。なんだか嫌な胸騒ぎがしたが、体の内側からどっと疲れが吹き出てきておれは意識を手放したのだった。

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