第5章「無月のセカイに灯火を」

5-1、一行〈パーティ〉

 

『アァ……アアアァァァァアアアアアアア!!!!』


 空中に浮かんでいた悲嘆の怪物が、金切り声をあげながらゆっくりと落下してくる。その巨体が地面に着地すると、一帯に地響きが起きた。


 地上に降り立った姿を見上げると、改めてその異形さが理解できる。まず目を引くのは涙を流しているような女性の顔だ。彫像のように作り物めいており、不気味さが掻き立てられる。背中から生える黒の翼からは時折羽が剥がれ落ち、宙を舞っていた。腕は尖った岩のような固そうな鱗で覆われている。下半身に足はなく、長く伸びた蛇のような造形だ。


『なかなかいい意匠デザインね』


 おれの隣に浮かぶ蛇の姿の嫉妬の悪魔レヴィアタンが満足そうに呟いた。こいつは蛇こそが最も美しい生き物だとでも思っているのだろうか。


「なぁ、嫉妬の悪魔レヴィアタン。あいつを倒すためのいい知恵はないか?」


 おれは駄目元で、契約した悪魔に尋ねてみた。


『そうねぇ。まず、倒すことは考えない方がいいわ。あいつの力は契約の数だけを考えても、単純にあなたの数百倍。しかも元の素材が違うから、さらに差は広がっているはず』


 三流冒険者のおれでも、クローディアと渡り合えるほどに力を増したのだ。イリスの体を奪い、クローディアや騎士たちを圧倒していた魔女ブレアがさらに強化されたのだと考えると、背筋が凍る。


『一番手っ取り早い方法は、契約者の人間たちを殺すことね。力の源を全て断つことができれば、さすがにあいつもあの姿を保つことは不可能なはず。幸い、契約者たちはみんな意識がないみたいだし?』


 地上に目をやれば、悲嘆の悪魔と契約を交わした夜会サバトの参加者たちは、皆死人のように倒れ伏していた。力を限界近くまで吸い取られてしまったからだろうか。

 確かに今のおれなら、意識のない人々を殺すことくらい簡単なことだろう。だが——


「それは却下だ。あれだけ入念に準備をしてきた悲嘆の魔女が、契約者を狙われる可能性を考えてないはずがない。きっと何か対策を練っている。それに、もしイリスがまた自分に関わることで誰かが死んだって知ったら、立ち直れなくなる。そんな気がするんだ」


 イリスにこれ以上の悲しみはいらない。これ以上、彼女を悲しませたくない。

 そしてこれはおれの勘だが——悲嘆の怪物を倒すためには、悲劇的な方法を取るべきではない。そう思うのだ。


「ラッド!」


 おれを呼ぶ声が聞こえて顔を上げると、槍使いの少女レンが手を振りながら走って近づいてきていた。


「レン、怪我はないか? 大丈夫か?」


「うん、あたしはへーきだよ。それより、あの怪物をどうするか考えよう。イリスちゃんを助ける方法を考えようよ!」


 レンは見るからに傷だらけだ。騎士の集団を相手にたった一人で戦ったのだから当たり前だろう。それなのに、レンは笑顔で力強く言った。イリスを助ける方法を考えようと言ってくれた。

 そうだよな。こんな状況だからこそ、顔を上げて希望を探さなくてはならない。クサいことだが、やっぱり悲しみに対抗するのは笑顔なのだ。


「イリスは多分、怪物の胸部にいる。腕と翼が生えている高さだ。そこを中心にあの巨大な体が構成されていくのを、おれは見た」


 おれの言葉にレンも頷く。より近くで見たレンも同じ意見なら、間違いはないだろう。


「だから、奴の体を引き裂いて中からイリスを助け出す。核を失ったら、体を維持することはできないはずだ」


「今のところ、それが有効そうだね。あたしもそれに乗るよ! ただ問題は……あの高さに届くかどうかってことだよね」


 レンは悲嘆の怪物を見上げて苦笑いする。怪物の巨体の胸部は、周囲の木々よりもさらに高い位置にある。今のおれの身体能力ならば、怪物の腕を踏み台にしてなんとか届くかもしれないが、難易度は高そうだ。


『フン、貧弱な発想しかできん人間どもめ。足元を崩し、奴を横たえさせればよかろう』


 すっかり存在を忘れられていた蝿の姿の暴食の悪魔ベルゼビュートが、呆れたような声で言った。


「そうは言うけど、あんなデカブツをコケさせるのも難しいだろ。二本足ならともかく、奴の下半身は蛇に似ている。蛇が転ぶなんて聞いたこともない」


 おれが反論すると、意外なところから意義が入った。


『あら。蛇を褒めてくれて嬉しいけれど、蛇が転ばないのは地を這っているからじゃない、余計なものが付いていないからよ。あの怪物は腕があれば、翼もある。均衡バランスはあまり良くないはず。不本意だけど、蝿野郎の意見に賛成よ』


 嫉妬の悪魔レヴィアタンが妖艶な笑みを浮かべ、先が二股に割れた赤い舌をチラつかせる。


『それと、あなたと契約を交わして少し力が戻ったアタシなら、あの怪物の動きを一瞬だけ止めることができると思うわ。ただし、その時はあなたからかなり力をもらわなくちゃならないから、奥の手だと考えてもらった方がいいけど』


 一瞬だけでも自由を奪うことができるなら、奴を転倒させる手段はかなり多くなる。ただ、その時は力を吸い取られておれもすぐには動けなくなっている状態だろう。レンの行動が重要になってくる。

 言いたいことを言い終えたらしい嫉妬の悪魔レヴィアタンは、じっと暴食の悪魔ベルゼビュートを見る。「それで、あなたは何ができるの?」とでも問いかけているような表情だ。


『ええい、こっちを見るな蛇女! わ、我は宿主と繋がりを切られ、自分の体を保つのだけでも精一杯なのだっ。それに、我は作戦を立案した。言うなれば、我は一行パーティの参謀なのだ!』


 あんまりにも暴食の悪魔ベルゼビュートが空威張りな態度で言うものだから、おれはつい笑ってしまった。

 一行パーティ。そうか、これもまた一つの一行パーティか。

 冒険者二人に悪魔二匹と、なんとも歪な構成だが、これがおれたちの総戦力だ。全員が力を出し切れば、案外なんとかなるかもしれない。そんな根拠のない自信が湧いてくる。


「それじゃあ、ラッド。何か一言どうぞ!」


 レンが笑いながら、おれの背中を叩いた。突然のことに動揺したが、おれはとにかく今思っていることを口にする。


「……色々あったけど、あと少し踏ん張れば全部が丸く収まるところまで来た。正直、こんな夜はもうたくさんだ。イリス助けて、怪物倒して、祭りに行って、飯を食おう! 明るい明日ってのがあるんなら、そいつはもうすぐそこにある! ここが踏ん張りどころだ。さぁ、やってやろうぜ!!」


「「おー!!!!」」


 おれの言葉に、レンと嫉妬の悪魔レヴィアタンが声を合わせて応えた。暴食の悪魔ベルゼビュートはそっぽを向いていたが、羽音がぶんぶん大きく鳴っていたので彼なりに合わせたのだろう。

 夜空を見上げていた悲嘆の怪物が、地上に目を落としおれたちの姿を認めた。


『アァアアアアアアァァァァアアアアアアア!!!!』


 怪物がおれたちを拒絶するように、悲しみの咆哮を放つ。

 全身にビリビリと衝撃を感じたが、臆する気持ちはなかった。そこにいるんだろ? すぐに迎えに行くよ、おれの大切なイリス。


 おれはもう一度、心の中で力を込めて唱える——さぁ、やってやろうぜ!

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