第1章「落ちこぼれに死神の鎌」
1-1、死神イリスはパイをお気に召す
◇ ◇ ◇
「お腹がすいた」
——そいつはドラゴンの爪みたいに鋭利な大鎌の刃をおれの首に当て、ひどく冷たい声で呟いた。
炎が燃え尽きた後に残ったような灰色の髪と、鮮血を思わせる赤色の瞳を持つ不気味な少女だ。
体は小柄で華奢なくせに、自分の身長を上回る大鎌を軽々と持っている。こいつがくしゃみなんかして鎌を少しでも動かしたら、おれの首は胴体と別れを告げて地面の上に転がることだろう。
あぁ、馬鹿だ馬鹿だ。おれは大馬鹿だ。欲に負けてこんな死神に関わるんじゃなかった。
誰かに助けを求めようにもここは深い森の中だ。人影は見えない。いるのは凶悪な怪物くらいのものだろう。つまり、おれが助かる望みはもうないのだ。
「お腹がすいた」
死神少女は仮面を付けたような無表情のまま、同じ言葉を口にした。
もう終わりだ。おれはこいつに魂を食われてしまうんだ。そして死神の腹の中で、永遠に終わらない苦しみを味わい続けるんだ。
思い返せば、恥の多い人生だった。
冒険譚で語られる英雄に憧れ故郷を飛び出したはいいものの、剣の腕は上達せず簡単な
あっけなく
悪いことをすれば天罰が下ると言い聞かせられて育ってきた。それでも、どうにかかつての仲間を見返したいという功名心が勝ってしまった。
ぶるぶる震えていると、死神少女がおれの肩掛け袋をじっと見つめていることに気がついた。
「そこからいい匂いがします」
犬のようにくんくん鼻を鳴らしながら、死神少女が言った。
いい匂いとは、もしかしておれが袋の中にしまっておいた昼飯のことを言っているのだろうか。供物を欲しているならば、渡さなくてはならない。それで命が取られずに済むのならいくらでも我が食物を捧げよう。
「た、食べ物が欲しいなら、荷物袋の中に入れてある。取り出すから、鎌をおれの首から離してくれ……いや、離してください」
死神少女はおれの提案に頷き、大鎌を持ち上げ肩に担いだ。
首から冷たい刃が離れ、おれは我慢していた息を吐き出した。どっと汗が吹き出てくる。命を奪われる恐怖から一時的にでも解放されたからだ。
震える手で荷物袋に手を突っ込むと、中から手の平大の紙袋を取り出した。
「ほ、ほら、こいつだ。お、お納めください」
恐る恐る差し出すと、死神少女はひったくるようにおれの手から紙包みを奪い取った。
鎌の先をざくっと地面に突き刺すと、両手で丁寧に包みを開ける。中から現れたのは、よく焼けたパイだ。
パイ生地の中にはベーコンと卵と玉ねぎが詰まっている。この三種類の具材は不思議なほどに好相性で、手を繋いで踊ると豊穣をもたらすとされる水と土と風の妖精のようだと勝手に思っている。
少女は匂いを嗅ぐと、大口を開けてパイにかぶりつく。小さな口をリスのごとく膨らませて咀嚼している間に、少女の目が見開かれた。口の中のものを飲み込むと、すぐさまパイにかじりつく。彼女の口の中では三匹の妖精が優雅に踊っていることだろう。
その食べっぷりたるや飢餓状態の肉食獣のようだ。途中から口の中に尖った牙が生えていないか何度か覗き込んでしまった。
あっという間にパイを食べ終えてしまった死神少女は、一息つくとおれの顔を見て言った。
「ごちそうさま。とてもおいしかったです」
表情からは分かりにくいが、満足していることはなんとなく伝わってくる。どうやらパイは死神のお気に召したようだ。
これはもう助かったと思っていいのだろうか。それとも安心させたところで一気に絶望に叩き落とそうとしているのだろうか。
「このパイはどこで買ったのですか?」
怯えながら次の言葉を待っていると、死神少女が尋ねてきた。
「え……ど、どこって……」
「答えて」
まごついていると、再び大鎌の刃が首に当てられる。おれは恐怖で半分泣きながら返答した。
「か、買ったものじゃない! おれが自分で作ったんだ!」
「あなたが?」
死神少女は少しだけ訝しげな表情を浮かべ、質問を続ける。
「材料は?」
「ベーコンに朝取れの卵、旬の玉ねぎです!」
ベーコンは懇意にしている肉屋から切れ端を安く購入し、卵は鶏を飼っている知り合いから譲ってもらった。玉ねぎは春の今が旬なので安価で美味しいものが市場で手に入る。それらをパイ生地に包み、宿のかまどを借りて焼いたのだ。
出来上がったベーコンと卵のパイは携行食に向き、一つ食べれば腹が膨れる。安上がりな割には味も絶品だと自負している。
「パイのさくさく食感の秘密は?」
「生地の厚さと折り重ねる回数、かまどの温度をしっかり調整することです!」
以前、長期間逗留した宿屋の女将から教わったパイの作り方を忠実に再現したつもりだ。本当は生地に練り込むバターはもう少し多い方がいいのだが、懐に余裕があるわけではないので節約した。
答えている間も鎌は首に当てられたままなので、生きた心地がしない。きっとおれは情報を吐くだけ吐いて、後は用済みとばかりに首を飛ばされるのだろう。
嫌だ、それでもやっぱりおれは生きたい! おれはこの人生でまだ何も為していないのだから。
生を掴む為ならなんでもしよう。自分にできることならば、文字通りなんでも。
「……わたしにもおいしいご飯を作ってくれるとうれしいな」
そんな風に考えていたからだろうか。死神少女が呟いた言葉に、おれは反射的に答えてしまっていた。
「君が満足するまで料理を作ります!」
少女の返答はなく、静寂が訪れる。森の木々が風に揺れる音が聞こえてきた。
恐る恐る目を開けると、死神少女は驚いたような表情でじっとおれを見ていた。初めて目が合ったような気がする。こうして見ると、あどけさなを残した可愛らしい女の子だ。手に持った大鎌は全く可愛くはないけれど。
その時だ。
突如として、茂みを搔き分ける音が森に響いた。続いて影が木々の隙間から猛烈な勢いで飛び出してくる。
『グルルルルァアアアアア!!!!』
唸り声とともに現れたのは、二足歩行の狼の怪物〈
背丈はゆうにおれの一・五倍はあるだろう。たくましい腕の先には、太く鋭い爪が爛々と光っている。性格は獰猛。付近で村人や家畜が襲われる事件が多く報告されたことから、この森での討伐依頼が出されたのだ。すでに何人もの冒険者がこの怪物の餌食になったという。
仲間を殺され気が立っているのか、
駄目だ。全然助かってなんかいなかった。死神の鎌で裂かれるか、怪物の爪で裂かれるかだけの違いだった。腰の剣に手を伸ばすが、二重の恐怖で震える手ではうまく引き抜けない。
今度こそ死んだ——と思った瞬間、一筋の閃光が目の前を過ぎり
「邪魔」
死神少女が小さく呟き、鮮血が滴る大鎌を振るった。湾曲した刃は蛇のようにうねると
おれは夢でも見ているのだろうか。だとしたら酷い悪夢だ。
空中で踊る
赤い血の雨を全身に浴びながら、死神少女は妖しく微笑む。
「じゃあ約束。わたしが満足するまで、たくさんおいしいものを作ってね。わたしはイリス。あなたの名前は?」
それが落ちこぼれ冒険者のおれ——ラッド=リーファと、腹ぺこの死神イリスの出会いだった。
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