死神イリスと旅の飯々(めしめし)

三ツ葉

序章

魔女は聖火にて焼かれ、悪魔は蝿のように笑う

 

 熱い、苦しい。痛い、息ができない。

 助けて

 助けて

 助けて……!


 真っ赤な炎が、のたうちまわる千匹の蛇のようにわたしの体に絡みついてくる。

 逃れたくても、手も足も太い縄できつく縛られ少しも動くことができない。もがいても、もがいても、皮膚がちぎれて激痛が走るだけだ。

 熱波が体を焼き、煙が体内を犯す。鼻が曲がるような異臭は、きっとわたしの肉が焼ける臭い。声を上げようとして、喉から出たのは醜い獣のような唸り声。


 神様。

 神様、助けてください。


 わたしは頑張りました。たくさん頑張りました。

 お父さんとお母さんの言うことをよく聞いて、みんなが幸せになれるように頑張りました。

 だから神様、助けてください。この苦しみからわたしを救ってください。

 炎の中で目を閉じて祈ったけれど、聞こえてくるのは怒った声ばかりです。


 「見ろよ、魔女が苦しんでいるぞ!」「人の姿をした怪物め! 聖なる火に焼かれてしまえ!」「私の息子はお前の口車に乗せられて邪教徒になって死んだのさ! 息子を返しておくれ!」「魔女に死を! 魔女に死を!」「燃やすだけじゃ足りない。舌を抜き、目を潰し、生きたまま土の中に埋めるべきだ!」「もっと火を強くしろ! 骨まで燃え尽きて二度と復活しないように!」……


 たくさんの声が聞こえてきましたが、神様の声はありませんでした。

 わたしは見捨てられたの?

 わたしは誰の役にも立たない駄目な子供だったの?

 そんなことを考えた時に、耳元で囁く声がありました。


『小娘、お前は生きたいか?』


 神様の声かと思ったけれど、多分違います。こんな蝿が喚くような耳障りな声が、神様の声のはずがありません。

 それでもわたしは頷きました。もう苦しいのは嫌だったから。


『ならばお前に力をやろう。この場を脱し、生きることができるだけの力を。ただし、代償がある。力を得るのと引き換えに、お前は終わらぬ空腹を味わうことになる。それでもいいか?』


 わたしは少しだけ考えてから答えました。


「熱いのも、痛いのも、もういや」


 そう言うと、声の主がニタリと笑ったのがわかりました。


『契約成立だ! 我が名は暴食の悪魔ベルゼビュート。お前に溢れんばかりの祝福と呪いを与えよう。全てを欲し、全てを喰らえ! さぁ、お前の名を言え。呪われた魔女と呼ばれた小娘よ!』


 声の主は悪魔でした。でもそれでも構いません。だって神様はわたしに手を差し伸べてはくれなかったのだから。


「わたし、わたしの名前は——」


 わたしは、小さな声でわたしの名前を呟く。ずっと呼ばれることのなかった本当の名前を。

 悪魔がわたしの顔に手を当てました。細かい毛が生えた虫のような感触がわたしの頬を撫で回します。身の毛がよだつおぞましい感触です。

 何かがわたしの体に入ってくる。何かがわたしの体を蝕んでくる。

 恐い。けれども、もうわたしはこの悪魔に身を委ねるしかないのです。信じていた人にも、神様にも見捨てられたわたしに残った選択肢はありません。


 わたしのことは好きにして。

 だからもう、熱いのも痛いのもやめて!


 気持ちの悪い感触が全て体内に入っていった時、急に体が軽くなりました。

 少し力を入れただけで、わたしを縛っていた腕よりも太い縄がちぎれていきます。燃える炎の上に立っても、少しも熱くありません。

 代わりに感じるのは空腹です。ぐるぐるとお腹が鳴り、体がどうしようもなく食べるものを欲しています。


「おのれ、悪魔の手先め!」


 近くにいた大柄な処刑人の人が、両手で大きな鎌を振り上げて斬りかかってきました。さっき、お父さんとお母さんの首を斬った悪い鎌です。

 わたしは鎌を奪うと、処刑人の人を真っ二つに斬りました。彼が太っていたからでしょうか、真っ赤な血が噴水のように吹き出しました。


 だけどこれでは足りません。もっと、もっと、もっと、もっと! 何かが欲しくてたまりません。

 せっかく炎から逃げることができたのに、飢えと渇きがわたしの体を焼き尽くします。

 お腹がすいた。

 お腹がすいた。

 お腹がすいた。

 お腹がすいた。

 目に見えるもの全てが食べ物のように思えてきます。誰か何か食べさせてくれないでしょうか。それとも、好きなものを勝手に食べても良いのでしょうか。


「魔女め、ついに正体を現したな! 覚悟しろ!」


 立派な鎧を着た人が、何か大声を上げて斬りかかってきました。


「邪魔」


 わたしが大きな鎌を振るうと立派な鎧はバターのように斬れました。中に入っていた人もついでに半分になっていました。背骨が見えて、まるで骨つき肉のようです。

 これで死体は二人分になりました。でもやっぱりこれでは足りません。何かを口にしなければならないようです。


「死神!」

「死神だ……!」

「ひぃ! ま、魔女が死神に変身したぞ!」


 さっきまで怒った声を出していた人たちが、わたしを指差して口々に何かを言っています。

 うるさいですね、わたしは早くご飯を食べたいだけなのに。


 お腹がすいた。

 お腹がすいた。

 お腹がすいた。

 お腹がすいた。


 あぁ、それにしても。


 お腹がすいた——

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