3-2、光と影と

 

 ふらふらと足取りがおぼつかないイリスの手を取りながら、桟橋を降りて島に上陸する。

 港に降り立ったおれの目に飛び込んできたのは、色とりどりの花だった。あちこちの花壇に植えられ、あるいは飾り付けられている。


「わー、キレイだね! マグリア島は花の島とも呼ばれてて、本当にいろんな種類の花が咲いてるんだって。一度来てみたかったんだ!」


 レンが両手を広げ、興奮した様子で言った。

 いつもは花に目を留めることはないおれも、目の前に広がる色鮮やかな光景は見ていて心が踊る。


「ラッドくん、早くご飯を食べに行きましょう。お腹がすいた」


 イリスがおれの服の袖を引っ張りながら言った。この少女は色鮮やかな花を見ても特に心動かされることはないようだ。花より飯とはよく言ったものである。


「あと、それと、レン……さん。先ほどはありがとうございました」


 おれの手を離したイリスがレンの前に出て、ぺこりと頭を下げた。


「あははっ。船酔いって辛いもんね。困った時はお互い様だよ。それとあたしのことは気軽にレンって呼んで!」


「う、うん。えと……レン」


 イリスがもじもじしながら名前を呼ぶと、レンが我慢できなくなったように満面の笑みを浮かべてイリスの両手を握った。


「あーもう、イリスちゃん可愛い! 天使か!? 同世代の女の子の友達って久しぶりだから嬉しいな。後で一緒にお買い物行こうね!」


 いいえ、その子は悪魔憑きです……というのは置いといて、これだけぐいぐい距離を詰められるのは本当に才能だと思う。イリスも突然のことに戸惑ってはいるが、嫌な顔はしていない。

 おれもレンくらい明るく生きることができたらと羨ましく思う。自分に自信を持つことができたら、彼女のような振る舞いができるのだろうか。


「イリス、レン。それよか、早めに宿を確保しておいた方がいいんじゃないか。これだけ人がいたら、いい宿はすぐに埋まっちまう」


 祭りの時に冒険者にとって深刻な問題となるのが、宿泊場所の確保だ。安くて清潔感があるような人気の宿から埋まっていき、残っていたのは高い料金の割に汚い宿か、貴族や金持ち商人御用達の高級宿だけだったなんてことはよくある話だ。


「あ、そっか! それもそうだね。急いで宿街に行ってみようか」


「ご飯……」


 レンが元気よく言ったのに続き、イリスが寂しそうに呟いた。

 どうやら宿探しの前に飯屋を探すことになりそうだ。


 港の辺りに飯屋がないかと見渡していると、すぐ隣を黒いローブを被った集団が通り過ぎていった。ぞくっと背中に寒気を感じる。

 ローブの集団は魔女の夜会への参加者だろうか。色彩豊かに彩られたこの空間の中で、黒一色の彼女らは異質な存在に思えた。まるで、花畑を描いた絵画に不自然につけられた黒い絵の具のようだ。

 ローブの集団の一人がおれたちの横を通り過ぎようとして、立ち止まった。驚いたように息を呑み、何かを呟く。


「イリアステラ様……?」


 その呟きには、驚きが込められていた。

 何を意味していたのか呼び止めて尋ねようとした頃には、ローブの女性は歩き出してしまっていた。彼女はおれたちを見て何を思ったのだろうか。


「早く行こう」


 イリスがフードを目深に被り直し、ローブの集団とは別の方向へ歩いていく。おれは違和感を感じながら、イリスの後を追った。





 羊肉のミンチに玉ねぎや麦、ハーブを混ぜた料理で腹を満たした後に宿を探した。

 案の定すぐに目に付く宿は全て埋まっていたが、何とか建物の隙間にあるような小さな民宿を見つけることができた。


「ウチはこの時期だけ民宿を開いているんだよ。それでも見つけてもらえないことも多いから、お客さんが来てくれるのは嬉しいねえ」


 初老の男性が接客用ではない笑顔で迎えてくれた。気弱そうだが、何だか接しやすい雰囲気を持った主人である。


「ここの民宿はあんたが一人で切り盛りしているのか?」


「そうだよ。だからあまり大人数は受け入れられないんだ。ま、寂しい独り身が趣味でやっているようなものさ」


 人手がない割には部屋は小綺麗に整えられている。この繁忙期に二人部屋が二つ取れたのもありがたい。どうやらうまく優良物件を引き当てられたようだ。


「お嬢さんたちは五月女王メイクインになりたくて祭りにやって来たのかい?」


 宿の主人の質問に、レンが首を傾げる。


「え、あたしたちもなることができるんですか? 祭りでは毎年一人だけ五月女王メイクインに選ばれると聞いたことはあるんですが」


「そうさ。祭りの数日前に、この島にいる誰かが五月女王メイクインに選ばれる。選ばれた人は一年間の幸運を約束されるのさ」


 一年間の幸運か。たとえそれが迷信のようなものだとしても、魅力的な謳い文句だ。


「なぁ、島にいる誰かが選ばれるって言ったけど他に条件でもあるのか? そもそも誰が選ぶんだ?」


 おれは手を挙げて主人に尋ねる。


「未婚の女性が選ばれると言われているね。選定をするのはサフィア山に宿る豊穣の女神様だよ。女神様が少女の姿となって街に現れ、女王の花飾りをこっそりと誰かに渡すんだ。受け取った人がその年の五月女王メイクインと言うわけさ」


 なるほど。街中をうろうろしている人が多いと思ったが、そういう理由があったのか。皆、豊穣の女神を探して歩いていたのだ。

 おれは男だから最初から関係ない。未婚という点は当てはまっているけどな!


「この島には二つ山があるよな。一つがその豊穣の女神の山だとして、もう一つの山は何か意味があるのか?」


 船の上から見たマグリア島には、全く同じ形を山が二つ並んでいた。しかし、港に降りると街から見えるのは一つだけで、もう一つの山は影に隠れてしまっている。

 主人は秘密の話をするように、声の調子を落とす。


「……二つの山には、こんないわれがある。昔、この島が平らだった頃に美しい双子の姉妹がいた。二人は同じ少年を愛していたんだ。ところが、行き違いから自分は少年に愛されていないと勘違いした姉妹の片方が自ら命を絶ってしまった。それを嘆き悲しんだもう片方の姉妹も彼女の後を追った」


「この島で、そんな悲しいことがあったんだ……」


 レンが目を伏せながら言った。


「彼女たちが命を絶った場所には山ができた。それがサフィア山とブレア山さ。それぞれ姉妹の名前から付けられている。後に亡くなったサフィアの魂は浄化され豊穣の女神となったが、行違いから絶望の中で死んだブレアの魂は今も少年の愛を求めて嘆き、魔女となってしまったのだ」


 主人はまるで我が身の上にあったことのように辛そうに語る。

 島に住む者たちにとっては、双子の姉妹の話は単なる言い伝えではない大きな意味を持つのだろう。


「ブレアは年に一度姿を現す。その日の夜に、各地から魔女が集まり彼女に挨拶をするんだ。君たちも黒いフード姿の人たちを見ただろう? 彼女たちがブレアに会うために夜会サバトを開くんだ。五月女王祭メイクイン・フェストの前夜にね」


「……なぜ二つの相反する祭りが連続して行われるのか疑問に思っていたんだが、もしかしてそれは双子の姉妹が亡くなった日と関係しているのか?」


 おれはずっと考えていた疑問を口にする。主人は深く頷いた。


「その通り。ブレアが命を絶った翌日に、サフィアが亡くなったのだ。祭りが開かれる日は彼女らの命日に由来している」


 主人の話を聞き、魔女の夜会サバトについての情報は得られた。悪魔が復活するとしたら、その日の夜だろう。

 ならば、まずはブレア山を調べる必要がある。そこに悪魔の卵とやらが眠っているなら先んじて手を打つことができるし、見つからなかったとしても地理を把握しておくことは大切だ。


「君たちが何を目的にこの島に来たのかは問わないが……」


 まるでおれの心を見透かしたかのような主人の言葉に緊張したが、彼の目は主にイリスに向けられているようだった。

 フードを目深に被ったイリスは、魔女の夜会サバトの参加者に間違われてもおかしくない見た目をしているからだろう。


「ただ一つ、気をつけてほしいことがある。老人のお節介だと思って聞いてくれ。豊穣の女神サフィアが毎年一人五月女王メイクインを選ぶように、魔女ブレアも一人を選定する。選ばれた者は悲嘆魔女ブレアウィッチと呼ばれ、恐ろしい悲劇が降りかかると言われている。くれぐれも注意をしてほしい」


 主人の言葉に、部屋の気温が冷たくなったような気がした。

 明るく色鮮やかな街の影に、恐ろしい魔女が潜んでいる。光が強くなればなるほど、影もまた濃さを増すのだ。

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