5-9、共同作業
おれたちは並んで歩き、立ち尽くすブレアのもとに来た。魔女ブレアはイリスを捕らえていた蜘蛛の巣があった場所で、虚空を見つめていた。
「……どうして、どうして皆わかってくれないの。全ての悲しみをなくすことが、世界の幸せなのに。あと少しで、その願いが叶えられるのに……!」
魔女ブレアの言葉からは、聞いていると胸が締め付けられるような嘆きが感じられた。
「ブレア、もういいよ。もう頑張らなくていいんだよ」
虚ろな目で立ち尽くすブレアに優しい言葉をかけたのは、イリスだった。
「この世界から悲しみをなくすというのは、全ての悲しみをあなた一人が抱え込むということでしょう? だからあなたは悪魔の力を欲したのでしょう?」
悪魔は人の感情を食べて自分の力としている。その性質を応用すれば、感情を食べ尽くし失わせることだってできる。ブレアの言う世界から悲しみをなくすと言うのは、彼女が全ての人間から悲しみの感情を食べ尽くすことだったのだ。
「きっと、今までたくさんの人があなたに悲しみを捧げて、あなたは頑張ってそれを受け止めてきた。だけど、嫌なものを泣きながら食べ続けるのは、本当に悲しいことだから……だから、これでおしまいにしよう」
この島では毎年、悲しみを抱える者たちが集まり、自分の感情をブレアに捧げてきた。
積もりに積もった悲嘆が呪いとなり、彼女を本物の魔女に変質させてしまったのだ。
「だけど……! だけど、弱い人はどうすればいいの! 悲しみに負けてしまう人はどうすればいいの! イリス、あんただってたくさんの人から酷い目に遭わされて、どうしようもない悲しみを抱えていたじゃない!」
ブレアは容姿を中傷されて自分を卑下するようになり、さらに失恋したと思い込み、悲しみに耐えられず自ら命を絶った。弱い人とは、自分のことも含んでいるのだろう。
「悲しいことは、きっと乗り越えられるよ。一人では難しくても、誰かとなら」
イリスが振り返っておれを見た。少しの間見つめあって、またすぐに顔を正面に戻す。
「あなたも誰かに頼っていれば、多分違う結果になったと思う。それを今、あなたに証明するよ。ラッドくん、花冠を出してください」
おれはイリスに言われるまま、サフィアから受け取った白い花冠を持ち上げる。
誰にも渡されることのなかった花冠。これを本来贈られるはずだったブレアに届けることが、物語の終着点だったのだ。それが、
おれとイリスは二人で花冠を持つと、ブレアの頭の上にそっと乗せる。
「あ、あぁ……あああ……!」
ブレアの両目から涙が零れ落ちた。あの日の真実が、花冠を通して伝わったのだろう。
悲しみの呪いは、解けたのだ。
「そんな、どうして……どうして、わたしなんか、こんな目つきも性格も悪いわたしなんかを選んでくれたの……? 勘違いで、決めつけて……わたしはバカみたいじゃない……!」
ブレアの目から涙が落ちるごとに、暗黒の空間に亀裂が生まれて振動が強くなる。
ボタンの掛け違えから生まれた悲嘆の怪物が、存在理由を失って崩れかけている。
「もうわかったでしょ。本当にブレアはしょうがない子なんだから。あなたは自分が思っているよりも綺麗で、優しい人なんだよ。あの人が、あなたを選んだくらいに」
サフィアが近づいてきて、ブレアの手を取った。
「わかったなら、行こう。私たちはこの世界の住人じゃない。女神も魔女ももう終わり。私たちも自分の道を歩き始める時間が来たんだよ」
天井が崩れ、上空から光が差した。光に招かれるように、手を繋いだサフィアとブレアがゆっくりと浮かび上がっていく。
サフィアは顔を下に向け、おれたちを見た。
「ラッド、イリス。私たちを解き放ってくれたことを心から感謝いたします。もう私に奇跡を起こす力はありませんが、あなたたちがこれから歩む道に幸多かれと願います」
一年間の幸福を約束するという
「……なぁ。疑問だったんだけど、どうしてあんたはおれを
おれが尋ねると、サフィアは悪戯っぽく笑って答えた。
「そう、本当は私に代わってブレアに花冠を渡してもらうのが
そう言えば、双子姉妹が恋をした相手は料理人の息子で、よく料理を作って二人に食べてもらっていたらしい。つまりサフィアは今年に限って自分の代わりではなく、少年の代わりを役どころに選んだのか。
「イリス!」
それまで黙っていたブレアが、急にイリスの名を呼んだ。イリスは驚いて体を震わせる。
「あんたに酷いことしてごめんなさい。謝って済む話じゃないのはわかってるけど、あんたを利用した人たちと同じことをしてしまったのはすごく後悔してる」
イリスは頷き、微笑んだ。
「うん、いいよ。また会えたら、今度は一緒に遊ぼう」
ブレアはイリスの答えに面食らったようだ。それもそうだろう。体を乗っ取った相手に、遊ぼうなんて言われたのだから。ブレアは自分の頭に乗った白の花冠を掴み、泣きそうな表情で叫んだ。
「絶対に……絶対に幸せになってね! わたしたちの分まで、たくさん人生を楽しんでね! だからドブネズミ、あんたイリスを大切にしなかったらあの世から呪うからね!」
「ははは……わかってるよ。呪いはもうたくさんだ」
最後までずいぶんな言いようである。この勝ち気な性格が本来のブレアなのだろう。少年はそこに惹かれたに違いない。
白い光が弾け、視界を覆い尽くした。おれがイリスの手を掴むと、ほぼ同時にイリスが握り返してきた。閃光の眩しさに目を閉じる。
光が落ち着き、恐る恐る瞼を開く。
そこには星が煌めく夜空が広がっていた。また現実の世界に戻ることができたようだ。相当長い時間をさ迷っていた気がする。
悲嘆の怪物の体が崩れ、光の粒子となって天上から舞い落ちてくる。それはまるで雪の結晶のようだった。
「きれい」
おれと手を繋ぐイリスが、目を輝かせて降り注ぐ光を見ていた。おれも一緒にこの世のものとは思えない美しい景色を見上げる。
これほど世界が美しく感じられるのは、きっと景色のせいだけじゃない。イリスがおれの傍にいてくれているからだろう。恥ずかしくて、そんなこと口には出せないけれど。
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