5-11、そして彼らの行く道は

 

    *  *  *



 おれたちは並びながら森の中の山道を下っていく。

 松明の火は失ってしまったが、夜明けが近いためか空が白んできておりなんとか歩くことができている。


 おれは三人の真ん中を歩き、レンは槍を担ぎながら左側を歩いていた。そしてイリスはおれの右腕にひしっとしがみ付いている。距離が縮んだのは嬉しいのだが、正直歩きにくい。

 空中に浮かびながらついてきているのは悪魔たちだ。蛇の姿をした嫉妬の悪魔レヴィアタンに、蝿の姿をした暴食の悪魔ベルゼビュート。それから、なぜか猫が一匹、不機嫌そうにそっぽを向いたままおれたちの後を追ってくる。


「なぁ、レヴィアタン。あの猫は一体なんなんだ?」


 宙を飛んでいるのだからただの猫ではないだろう。おれは小声で嫉妬の悪魔レヴィアタンに尋ねてみた。


『あぁ、あいつはルキフェルよ。悲嘆の怪物に吐き出されてなんとか助かったけど、消滅寸前でかわいそうだったから連れてきたのよ』


 また余計なことをしてくれる。

 傲慢の悪魔ルキフェルは魔女ブレアに吸収されたが、一命を取り留めたらしい。悪魔としての形象は獅子だったはずなのに、かわいらしい猫になってしまっている。ある意味、一番割りを食ったのは召喚されて勝手に貢物にさせられた傲慢の悪魔ルキフェルなのかもしれない。


「わー、かわいい猫ちゃんだね〜。おー、よしよし」


 レンが浮かんでいた傲慢の悪魔ルキフェルを捕まえると、腕の中でくすぐりだした。


『やめろ〜、人間! オレ様は神に反逆する悪魔ルキフェル様なんだぞ!』


「うんうん、そうかそうか。かわいいねぇ〜」


『あ〜! 耳の後ろはやめて! 耳の後ろは、気持ちよくなってしまうからやめて、あ〜!』


 猫の扱いに慣れているレンの巧みな指使いによって、猫の姿の傲慢の悪魔ルキフェルはたちまちゴロゴロと喉を鳴らし始めた。悪魔としての威厳は、もはやどこにもない。

 これで冒険者三人に、悪魔が三匹か。一体この一行パーティはどこに向かおうとしているのだろうか。おれは隠れてため息をつく。


『おい、小僧。約束は覚えているだろうな。街に戻ったら我に食事を捧げるのだぞ』


 契約者のイリスが戻ったことで多少力を取り戻した暴食の悪魔ベルゼビュートが、蝿の姿でおれの周りを飛び回りながら偉そうに言った。


「ずるいです、ベルゼ。ラッドくん、わたしにもたくさん作ってくださいね」


「ああ、わかってるよイリス。ちゃんと人数分作るから安心しろって」


「やった」


 イリスがおれの腕に掴まりながら、嬉しそうにぴょんぴょん跳びはねる。そのたびにおれの体もぐらぐら揺れる。

 おかしい。なぜか体にうまく力が入らない。いや、さっきまで使えていたはずの力が体のどこにも残っていないような感覚だ。


『体がうまく動かせないのかしら?』


 おれの前に顔を出してきた嫉妬の悪魔レヴィアタンが、蛇の口を歪めて聞いてきた。


「よくわかったな。そうなんだよ、なんだか体が重くて自分のものじゃないみたいだ」


『当たり前よ。だってもう嫉妬の呪いが解けてしまったのだから』


 嫉妬の悪魔レヴィアタンがさらっととんでもないことを言った。


「はあああ!? 悪魔の呪いってそんな簡単に解けるのか?」


 おれは思わず叫んでしまった。イリスが驚いたようにおれの顔を覗く。 

 どうやら呪いと引き換えに手にした身体能力が消えてしまったせいで、相対的に体が重く感じてしまっていたらしい。

 おれは地獄の釜に飛び込むような覚悟で契約を交わしたというのに、こんなにあっさり解呪してしまっては拍子抜けだ。


『でも安心して、アタシの力を注ぎ込んだ武器はそのままだから』


 それを聞いて少し安堵した。鱗を纏う力と爆破の力を得たおれの二本の短剣ダガー——サフィアとブレアは悪魔憑きの武器のままだった。それなら戦いの中で、おれが全く役立たずになることはないだろう。そのはずだ。多分。

 いや、強くなろう。今度はおれ自身が、もっと強く。どんなことがあっても、イリスを守れるように。


 一方で疑問も残った。

 おれは一体どの時に呪いを解く条件を満たしたのだろうか。解呪の鍵は「世界一焦がれものを手にすること」だ。おれはいつ、そんな大切なものを手にしたのだろうか?

 記憶を辿っていくとイリスの小さな体を抱きしめた感触が蘇り、おれは思わず赤面する。


『チョロい男ね』


「うっさい」


 からかうように笑う嫉妬の悪魔レヴィアタンを、おれは照れ隠しのために小突く。

 そんなやり取りをしていると、先行して歩いていたレンが振り返った。


「ラッド、イリスちゃん! 見て、海が見えるよ!」


 レンに案内されて進んだ先は、山の中腹にある小高い丘だった。そこからはマグリア島の街や島の周囲に広がる海が一望できる。

 海の向こうで光が生まれ、薄暗かった空がぼんやりとした青みを帯び始めた。透明な風が、星々の明かりを吹き消していく。


 夜明けだ。


 太陽がゆっくりと海の端から顔を覗かせ、眠りについていた街に薄明の光を投げかける。海が生命を吹き込まれたように一斉に輝き出した。


「あ、ああ……」


 イリスがおれの腕を離れ、丘の草地を歩き出す。幼い子供がそうするように、小さな手のひらを登りゆく朝日に向けてかざした。


「わたしは、もう太陽を見ることができないと思っていました。暗い悲しみの夜の中で、消えていくのだと思っていました。だけど、いいんですね……? わたしは、この世界で生きていても、いいんですね……?」


 おれはイリスの隣に立って、一緒に曙の光を眺める。


「当たり前だ。誰が何を否定しても、おれはイリスと一緒にいるよ。旅をして、おいしいご飯を食べて……世界を歩こう、どこまでも!」


 一陣の風が吹き、草原の草を揺らす。目深に被っていたフードが外れて、イリスの灰色の髪があらわになった。

 彼女の目から涙が溢れる。雫が光を反射して宝石みたいに輝いた。これはきっと悲しみではない、喜びの涙だ。




「わぁああああああああああああああああああ!!!!」




 イリスは泣きながら太陽に向かって叫んだ。

 溜め込んでいた感情を、一気に解き放つかのように。この世界に生まれた喜びを、遠い誰かに知らせるように。


 少女の声は群青色の空に響き、光の中に溶けて、消えて、いった。





〈完〉

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