5-10、イリスの願い
「ラッド〜、イリスちゃ〜ん! 良かったよ〜、戻ってきてくれて本当に良かったよ〜!」
おれたちが夜空を見上げていると、後ろからレンが肩に手を回してきた。端整な顔が、涙やら鼻水やらで酷いことになっている。
「ごめんねごめんね! あたしが役立たずで、肝心なところで油断しちゃって……! もうどうなることかと思ったけど、やっぱり君はすごいやつだよ〜!」
レンはイリスの救出のために自分が怪物の体内に入っていく予定だったのが、怪物に邪魔されてしまったことを謝っているのだろう。
しかし、
「レン、あなたも戦ってくれたんですね。ありがとう」
イリスが感謝を告げると、レンは彼女に抱きついて何度も頭を撫でる。
「当たり前だよ〜! 大事な友達を見捨てなんかしないよ! あ〜ん、イリスちゃんかわいいよぉ、天使だよぉ」
「や、やめてください、レン」
ベタベタ触られてイリスは若干迷惑そうだったが、やっぱり嬉しいのか顔は微笑んでいる。
これも幸せな一場面だ。
その時だ。おれは近づいてくる足音を感じ、とっさに
クローディアはじっとイリスを見ている。イリスは蛇に睨まれた蛙のように、恐怖で硬直してしまっていた。当たり前だ、クローディアは彼女にとっての
「……なるほど、これが貴様が掴み取った未来か」
クローディアがおれに視線を移し、呟くように言った。クローディアが動くごとに、体に緊張が走る。
「そう身構えるな。今日はこれ以上貴様らに構う気は起きん。異端との約束を守るわけではないが、こちらも満身創痍なのでね」
そうは言っているが、彼女の態度からは余裕すら感じられる。いざ戦闘になればどこまでも戦えるに違いない。
「だが、見逃すのは今回限りだ。私は自分の信念を曲げん。悪の根は摘むし、異端は罰する。次に会う時も敵同士だ。貴様らに安寧の時が訪れると思うな。その道を選んだことを、せいぜい後悔するがいい」
「ああ、またあんたがイリスを狙うなら、おれは戦う。そして次も負けないさ」
おれが真正面から言い返すと、クローディアは意外そうな顔を浮かべた。そして何が面白かったのかわずかに笑う。
「フン。
そう呟くクローディアの顔は、処刑人ではなくおれがよく知る冒険者の表情をしていた。
クローディアは踵を返すと、仲間の騎士たちに向けて号令を出す。
「撤収だ! 動ける者はけが人に手を貸せ。朝一番の船に乗り、本部へと帰還する!」
「し、しかし、クローディア様……魔女を討ち取ることができねば、我らの任務は失敗になってしまいます」
クローディアの命令に、一人の騎士が狼狽えながら物申す。しかしクローディアは鼻を鳴らして一蹴した。
「何を言っている。司令通り魔女一人と悪魔一柱は討ち滅ぼしただろう。問題があるようなら、責任は私が全て負う。以上だ」
「は、はぁ、了解致しました」
クローディアの言う魔女一人と悪魔一柱とは、悲嘆の魔女ブレアと
おれは、クローディアがずっと拳を強く握りしめていることに気がついた。敗北した悔しさが表に出ないように押し殺しているようだった。
「鍛え直しだ。私は二度と負けん。異端にも、誰にもな。私はこの悔しさを決して忘れない……!」
クローディアは二度と振り向くことはなかった。騎士たちとともに、おれたちが憧れた
緊張が解け、おれはその場にへたりこむ。なんだか力が抜けてしまったようだ。
クローディア=レヴァナント。次も負けないと啖呵は切ったが、正直二度と戦いたくない相手だ。
「ラッドくん、かっこよかったです」
へたり込むおれの背中から、イリスが抱きついてきた。さっきから
おれはイリスの頭をぽんぽん撫でながら、二人に提案した。
「おれたちは少し時間を置いてから山を降りようか。途中でクローディアさんたちに追いついちまったら気まずいし」
「そうだね。ラッドとイリスちゃんはしっかり休憩を取った方がいいよ。あたしも槍を回収しなきゃ」
レンが言うと、イリスが何かを思い出したように声を上げた。
「そうだ。忘れてました」
イリスは立ち上がると、きょろきょろと周囲を見渡した。おれから少し離れた場所に行くと、片手を高く掲げる。
「おいで、
彼女の呼び声に応え、どこからか大鎌が回転しながら宙を飛び、持ち主のもとに帰ってきた。イリスは回転する大鎌を難なく空中で掴む。
『ガウガウ!』
生きた大鎌ファンタズマは、刃の部分が縦に割れて中から牙を覗かせた。イリスを少し責めるように狼のような声を出す。
「うんうん、ごめんね。寂しかったね、
イリスは飼い犬を可愛がるかのように、愛鎌の刃の側面を撫でた。
悪魔の力が宿った武器、
おれもまた、爆破の力を持った二本の
「サフィアとブレア」
おれは何気なく双子の姉妹の名前を口にした。
「どうしたの、ラッド」
レンが尋ねてくる。
「ん、おれの
「ふーん、いいんじゃない。でもこんな大変な日は、忘れたくても忘れることなんてできないよ。いろんなことがあったねえ」
レンの言う通り、本当にいろんなことがあった。人生で一番長い一日だったと言っても間違いではない。
鎌を背中の鞘に収めたイリスが、駆け足で戻ってきた。そろそろ出発してもいい頃合いかもしれない。
おれが立ち上がり、三人で歩き出そうとすると後ろから声をかけてくる者がいた。
「あ、あの、イリアステラ様……!」
ローブを被ったまとめ役の女性だった。悲嘆の怪物に感情を捧げて倒れていた
イリスは立ち止まり、女性の方を向いた。
「我々は、一体これからどうすればよいのでしょうか……ブレア様を失い、もはや道を示していただけるのはイリアステラ様のみです。どうか、我々をお導きください……!」
ローブの女性が跪き、両手を組んでイリスに願った。
散々生贄だの器だのと言ったくせに、都合が悪くなればあっさり服従するのか。追い払おうと一歩踏み出すと、イリスがおれを手で制して止めた。
「自分の歩く道は、自分自身で決めてください。決して、悲しみを他人に押し付けることはしないように」
彼女の声は威厳に満ちていた。もしかしたら、巫女として崇められていた頃に身につけた話し方なのかもしれない。
イリスはしゃがむと跪く女性の顔を覗き込み、今度は優しい声で言った。
「あなたには、人をまとめる力がある。誰かに頼ることを当たり前とせず、自分自身の言葉で語りかけることができたなら、きっとあなたは誰かの支えになることができるはずです。わたしはそう、信じています」
ローブの女性は、虚を突かれたように目を見開いた。
イリスの言葉が彼女に届いていたのかはわからない。だが、一つの救いにはなっただろう。それ以上、イリスが世話を焼く必要はないはずだ。
「さぁ、行きましょう。ラッドくん、レン」
そう言って歩き出すイリスの顔は、心なしか晴れやかな表情をしていた。
きっと彼女が巫女をしていた間、自分に付き従った人たちに伝えたくても伝えられなかったことを、ようやく話すことができたのだろう。どうか、自分の道を歩いてほしいと。
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