3-5、死神からの贈り物

 

 やけにニコニコしながら手を振るレンに見送られ、おれとイリスは宿を後にした。

 街の大通りに出ると、まだあちこちで光が灯っていて人の往来も多い。年に一度の祭りを目当てに集まった人たちが夜も騒いでいるのだ。

 これが祭りの雰囲気だ。なんとなく歩いているだけでも心が踊る。隣に並ぶイリスもそわそわした様子だ。


「やあ、レモネードを二つくれ」


 おれは屋台で飲み物を注文する。レモネードが注がれた金属製のコップを、一つはイリスに手渡した。

 今日は夜になっても蒸し暑い。レモンの果汁とハチミツが混ざった飲み物は、心地よい酸っぱさと甘さで喉を潤してくれた。


「イリス、急に散歩したいなんてどうしたんだ?」


 おれはコップを傾けながら、イリスに尋ねる。共に旅した期間は長くはないが、イリスから何かに誘われるのは初めてのことだったので、疑問に思っていた。

 イリスは両手で持ったコップの中身に視線を落としながら答える。


「その……ラッドくんに伝えたいことがあったので……迷惑でしたか?」


「いや、全然! こうしてお祭り騒ぎの夜の街を歩くのも楽しいからな。なんだか子供の頃にワクワクしてた気持ちを思い出すよ」


 村にいた頃は、日が落ちたらさっさと寝るように躾けられていた。ただ例外があり、祭りがある時だけは夜遅くまで外を出歩くことを許されたのだ。夜の闇の中、煌々と輝くかがり火を見た不思議な気持ちは今でも思い出す。


 しかし、イリスが伝えたいこととは何だろうか。

 まさか……戦力外通告か!? おれのあまりの弱さに嫌気が刺したイリスが、戦闘に長けたレンが加入したのを機におれを料理係にしようとしているのかもしれない。

 ビクビクしながら次の言葉を待っていると、レモネードを飲み終わったイリスがおれの顔を見上げて言った。


「ここでは少し恥ずかしいので、一緒に来てほしい場所があります」


 おれを見るイリスの顔は少し紅潮していて、そのせいかいつもより魅力的に見えてしまった。おれは胸が落ち着きなく鼓動するのを感じながら頷く。

 空になったコップを屋台の店員に返すと、再び歩き始める。来てほしい場所があると先導するイリスは、周囲を見渡して道を確かめながら進んでいく。

 段々と人通りが少なくなり、寂しい場所に出る。そう言えば、イリスと初めて会ったのも周りに誰もいない森の中だった。助けを呼べなくて、このまま死神に殺されるんだと絶望していたのが懐かしい。


 着いたのは海の中に突き出た小さな岬だった。

 夜の海は静かに凪いでいる。街の灯りは遠くの陸地で揺れていた。

 落ち着いてくつろげる、いい場所だ。しかしなぜイリスはここにおれを連れて来たかったのだろうか。


「あ、あ、あの、ラッドくん。来て、くれて、ありがとうございますっ」


 イリスがたどたどしく言葉を紡ぐ。珍しく緊張でもしているのだろうか。

 普段、あまり多くを語らないイリスがさらに言葉を続けた。


「この岬は、思いを伝えると必ずうまくいくという、縁起のいい場所だとレンに教えてもらいました。だから、勇気がなくて、ラッドくんに言えていなかったことを、言おうと、思います」


 夜風が吹き、イリスの頭を覆っていたフードが外れた。灰色の髪があらわになり、月の光を受けて美しく銀色に輝く。

 綺麗だ。おれは素直にそう思った。


「いつも、おいしいご飯を作ってくれてありがとう。わたしは、ラッドくんに会えて幸せです」


 イリスが真っ直ぐにおれの目を見て、はっきりとした口調で告げた。

 トクン、と心臓が大きく鳴る。

 おれはイリスの紅の瞳に見入っていた。その目はどこまでも透き通って確かな意思を感じる。


 彼女は一体、何を言っているのだろうか。おれと会えて幸せだった? そんなはずはない。おれはどこまでも役立たずで、いつまでたっても何もできないままで、ずっと他人を羨んでいる小心者だ。

 おれの代わりなんていくらでもいるし、おれという存在に価値なんてない。この世にたくさんいる凡人の一人だ。自分を特別だと思ったこともなければ、誰かにとっての特別になれるはずもない。

 それなのに

 それなのに……


「いつも、もらってばかりなので、お返しの贈り物をレンと一緒に探しました。食べ物ではなく、形に残るものがいいと聞いたので、これを買いました」


 イリスがローブのポケットから小さな丸い袋を取り出して見せた。


「これは、乾燥させた花を詰めた香り袋ポプリです。とてもいい匂いがします。五月女王メイクインにあやかって、持った人に幸運を授けてくれるお守りらしいです。たくさんの喜びをありがとう。ラッドくん、あなたに幸運が訪れますように」


 そう言いながら、イリスは両手で持った香り袋ポプリをそっと手渡してくれた。

 おれはもらった香り袋ポプリを鼻に近づけてみる。数種類の花の匂いがふわっと香り、鼻腔をくすぐった。


 そいつを胸に抱いて、おれはなぜだか目から涙が溢れてきた。

 だって、こんな日が来るとは思わなかったんだ。一行パーティを追い出された役立たずのおれが、誰かに感謝されて贈り物をもらうなんてさ。


 自分に自信を持てなくて。


 ずっと道の端っこを歩いていた。


 何もできないもんだと思ってた。


 何も手にすることはできないと思ってた。


 ただ埋もれて、過ぎ去っていくだけの人生だと思っていたんだ。


 だけど、確かにある。小さいけれど、この手の中には確かに掴んだものがある。イリスがくれた、感謝の形が。


「あの、ラッドくん。どこか痛みますか……?」


 おれの涙を見たイリスが、慌てた様子で覗き込んできた。おれは目元を拭って、できるだけ自然に笑いかける。


「なんでもないよ。ただ、嬉しいだけだ。ありがとうイリス。お前からもらったものは大切にするよ」


 そうだ。おれがこの小さな死神少女からもらったものはたくさんある。作った料理をおいしいと言ってくれた喜び、新しい料理を知りたいと思うようになった探究心……少し上を向くだけで、世界にはたくさん興味深いものがあると知った。

 狭い価値観の中で閉じこもっていたおれを、イリスは外に連れ出してくれた。


 無理に自分を変えようとしなくてもいい。この少女の旅路を最後まで共に歩もう。何者かになんてなれなくていい。誰かの力になりたいと思う気持ちがあれば、きっと、道は、拓けるから——


「……少し、海を見ようか」


「うん」


 おれが提案すると、イリスは銀の髪を揺らして頷いた。

 低い崖から足を投げ出し腰掛ける。隣には寄り添うようにイリスが座った。そうして二人して、夜の闇と同化した黒い海をぼんやりと眺める。

 右肩にイリスの頭の重みと暖かさを感じる。誰かに寄りかかられるのも悪くない気分だ。


 寄せては返す波の音が、闇の中で静かに響く。

 二人の間に会話はいらなかった。

 ただそうしているだけで、幸せだった。

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