3-9、暴かれる過去
「いやいや! なんでそんな大きな話におれたちを巻き込んでるんだよ。神様に反逆って……完全にやばいやつじゃないか! そう言うのはもっとこう……ちゃんとした人に頼んでくれよ」
おれは混乱しながらレヴィアタンに文句をつける。そういう大事な情報は、もっと先に説明してほしかった。
『ちゃんとした人って?』
「それは……教会の騎士団とか、そう言う人たちだよ」
秩序の神様を祀る教会が抱える『薄明騎士団』は異端の怪物を狩る専門家たちの集団だ。冒険者のように身軽に動くことはないが、一度本腰を入れて怪物の殲滅に乗り出せば恐ろしい強さを発揮する。
まさに怪物との戦争のための集団だ。
『はぁ……あのねぇ、そんなお堅いところにアタシが話をして信じてもらえると思う? 蛇の丸焼きにされるに決まってるわ』
レヴィアタンがため息交じりに言った。
それもそうか。秩序の教会では悪魔や悪魔憑きも混沌の勢力として数えられている。レヴィアタンがのこのこ話をしに行けば、捕まって火炙りにされてしまうだろう。
『ともかく、この先に魔女達が集まるための祭壇があるはず。
レヴィアタンに急かされるようにして、おれたちは森の道を進んで行く。悪魔同士が近づき過ぎると相手に察知されてしまうらしく、蛇はさっさと茂みの中に帰ってしまっていた。
それにしても、神に反逆する悪魔とは恐ろしい敵だ。ただの悪魔憑きだったモーリーとは比べものにならない凶悪さなのだろう。卵を割るように簡単に解決できないものだろうか。
木々が途切れ、急に開けた場所に出た。
そこは森の中にできた広場のような場所だった。中央には木材で組まれた祭壇があり、周囲は篝火が焚かれて明るく照らされている。間違いない。ここで魔女達が
「卵っぽいものは見当たらないね」
さっさと祭壇に近づいて覗き込んだレンが言った。
何もないことにホッとするが、ただ問題が先延ばしにされただけだ。また明日の
もう一度周囲を見て回ってから引き上げようかと考えた時だ。
「あぁ、イリアステラ様!」
突然、女性の声が聞こえてきた。いきなりのことに驚いたが、おれ以上にイリスが大きく体を震わせる。
声の方を見れば、黒いローブを纏った女性が草地を歩いておれたちに近づいてきている。イリスはおれの背中の後ろにさっと隠れてしまった。
「そのお顔、そのお姿……やはり間違いありません。必ず生きておられると信じておりましたわ。イリアステラ様……我らが黄昏の巫女」
ローブの女性が興奮を隠しきれない様子でまくし立てる。イリスは震えながら頭を大きく横に振った。
「ち、違う! わたしは違う!」
イリスは明らかに怯えている。理由はわからないが、ローブの女性を恐れているようだ。
「お、おい、あんた……この子はイリスって名前なんだ。人違いなんじゃないか?」
おれはイリスを庇ってローブの女性の前に立った。女性はよくできた蝋人形のように固まった笑みを浮かべながら言う。
「いいえ! わたくしがイリアステラ様を見間違えることなどありませんわ。イリアステラ様は我らが希望。終末の夜に包まれた世界を救ってくださる巫女様なのですから」
「違う違う! わたしは、わたしは違う! わたしは違うんだ!」
「さぁ、わたくしにその美しきお顔をお見せくださいませ。お手に服従の口づけをさせてくださいませ。この迷える子羊に進むべき道を示してくださいませ。あの日々のように!」
「いや、来ないで!!!!」
拒絶の叫びをあげたイリスは、おれの背中を離れて元来た道へ走り去っていく。おれは咄嗟に手を伸ばしたが、彼女の背は闇の中へ消えていった。
「イリス!」
おれは名前を呼んだが返事は返ってこなかった。闇の中に広がる虚空が、イリスを飲み込んでしまったかのようだった。
イリスの怯え方は尋常ではなかった。悪魔と出会った時も黙って震えていた彼女が、あんなに取り乱してしまうのはどういう理由だろうか。
「……なぁ、あんたは一体何者なんだ! あんたはイリスの何を知っているんだ!」
おれはローブの女性に掴みかかる勢いで食ってかかった。こいつが現れてイリスはおかしくなった。訳の分からない苛立ちがおれの中で渦巻いていた。
しかし、ローブの女性は蝋人形のような張り付いた笑顔を崩すことなく答えた。
「イリアステラ様は必ずこの場へ戻ってくることでしょう」
女性の言葉は質問の答えには全くなっていない。
「イリアステラ様に安寧の居場所はありません」
女性は淡々と言葉を続ける。
「イリアステラ様は誰にも交わらぬ孤高の存在なのです」
「くそっ! なんなんだ、あんたは!」
おれは苛立ちから思い切り地面を蹴っ飛ばした。まるで話す人形を相手にしているかのようだ。生気を感じられず、意味の分からない言葉を繰り返す人形だ。
「ラッド! イリスちゃんを追おう!」
「……ああ!」
おれはイリスを追って走り出したレンに続く。振り返ると、ローブの女性は無機質な笑顔を浮かべたまま、おれたちをじっと見つめていた。
全速力で山道を駆け下りていく。
かなり速度を出しているつもりだが、なかなかイリスの背中は見えない。おれとあいつの身体能力はかけ離れている。相手も全力で入っていたら、追いつくのは難しいだろう。
イリスは一体何から逃げているんだ? 何があいつを怯えさせているんだ?
分からない。
分かるわけがない。
だっておれは、彼女の過去を何一つ知らないのだから。
無我夢中で走っていると、山道を抜けて夜の市街地に出た。
街の広場は何やら人が集まっていて騒がしい。祭りの賑やかさとはまた違う、異様な騒々しさだった。おれは嫌な予感を感じながら、人混みをかき分け騒ぎの中心に向かう。
「何が、何が起きているんだ……?」
群衆が遠巻きに見ていたのは、揃いの鎧と兜に身を包んだ集団だった。旗に描かれた赤地に白い十字の模様から、彼らが秩序の教会専属の怪物狩り『薄明騎士団』だということがわかった。
こんな街中で怪物が現れたとでもいうのだろうか。
背伸びをして騎士たちに取り囲まれているものの姿を見た瞬間、おれは叫んでいた。
「イリス!」
騎士たちが作る円の中心に、大鎌を背負ってフードを目深に被った少女の姿があった。彼女は力を失ったかのようにその場でしゃがみこんでいた。
「イリス、なんでお前がこんなことに……!」
おれは騎士たちの隙間に体をくぐらせ通り抜けると、イリスのそばへ駆け寄る。その小さな体に手を置くと、イリスは今にも泣きそうな表情でおれを見た。
「ラッドくん……どうして来てしまったのですか……? あなたには、決して知られてほしくなかったのに……!」
その目には、今まで見たことがない深い悲しみが湛えられていた。
決して知られてほしくなかった? イリスは一体何を言っているんだ?
「——もうわかっただろう、ラッド。その魔女は君を欺いていたんだよ。自分が引き起こした凄惨極まる事件をひた隠しにしてね」
どこかで聞いたことのある女性の声が響いた。
海を割るように騎士たちが左右に分かれていく。規則正しい金属の靴音が鳴り、一人の女性が騎士たちが作る道の中央を歩いて現れた。
黄金のように輝く金色の髪を揺らすその女性を、おれは知っていた。
「クローディア、さん……?」
以前所属していた
だが、おれが知るクローディアとは雰囲気がまるで違う。厳しさと優しさを併せ持った包容力豊かな彼女はおらず、そこには氷の刃のような冷たさを秘めた冷酷の処刑人が立っていた。
なぜ、彼女がここにいるんだ……?
クローディアはゆっくりと剣を引き抜き、その切っ先をイリスに向けて凄然と告げる。
「黄昏の魔女イリアステラ。邪教を率いて多くの民を惑わし、さらに火刑場で百人以上の人間を惨殺した罪から逃れられると思うな。今この場で、貴様に裁きを下してやる」
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