5-3、総力戦
攻撃を続け、悲嘆の怪物は前のめりの体勢になっている。今なら足元を崩せるはずだ。
おれは残る力を振り絞り、両手の
「燃え、上が、れ!」
おれは今日一番の思いを込めて刃鱗を起爆した。思いの強さに比例するように、一際大きい爆音が響き炎が上がる。爆発は周囲の地面も引っ剥がし、怪物の胴体を飲み込んだ。
『アァアアアァァァアアアア……!!!!』
悲嘆の怪物の体がぐらりと揺れ、六本の腕が生えた上半身がゆっくり前のめりに倒れていく。
このまま倒れろ、地に伏せろ。頼むから、これ以上足掻かないでくれ!
だが、怪物は倒れながら背中の黒の翼を広げた。まさか、あの体勢から飛ぶつもりだろうか。いけない、それはまずい。飛ばれたらもう手の出しようがない。これまでの行動が全て水の泡となってしまう。
だったら、今こそ——
「レヴィアタン! おれの力をいくら使ってもいい! やつの動きを止めるんだ!」
『はぁい。任せてちょうだい』
空中に出現した蛇の姿の
身体中から力が抜け、おれはその場に倒れる。指先すらうまく動かせず、呼吸もできない。意識を保ったまま屍になったようだ。力を吸い取られるとは、ここまでのことだったのか。
『もらった分はしっかり仕事をするわ。さぁ、我が
巻き上がった土埃の中を、一人の影が真っ直ぐに突っ切っていくのが見えた。
「ラッド、蛇ちゃん、ありがとう! あとはあたしに任せて!」
槍を構えるレンが、しなやかな体を躍動させて横向きに倒れた怪物の胸部に迫っていく。体を大きく捻ると勢いをつけて回転し、槍の穂先で黒く染まった体を切り裂いた。
怪物の胸部が切り開かれる。切り口からは血の代わりに煙が吐き出されていった。
「この先にイリスちゃんが……! 今助けに行くからね!」
レンが駆け出し、切り口から悲嘆の怪物の体内に飛び込もうとする。だが、おれの目は見た。怪物の体から新たに生えてきた無数の細い腕が、一斉にレンに襲いかかっていく様を。
「レン、危ない!」
おれはすぐさま叫んだが、間に合わなかった。正面に気を取られていたレンは反応が遅れ、横から黒腕に突き飛ばされる。彼女の体は高く宙を飛び、茂みに落ちた。
まずい。もう動ける者が残っていない。
こうしている間にも、レンが開いた傷が徐々に修復されていく。
くそっ、あと一歩だったのに、まだ届かないのか……! おれたちの行動は全て無駄だったって言うのか……!
少しでも動けないかともがいていると、急に足に力が入った。立ち上がることができたと同時に、空中に浮かんでいた
『……使わなかった力をアンタに戻したわ。ギリギリまでね。さぁ、行きなさい、アタシのかわいい悪魔憑き』
地面に横たわる蛇が、弱々しく口を開いて言った。おれは返事する暇も惜しみ、頷いて駆け出していく。
両手で握る
悲嘆の怪物の赤い目が近づくおれを捉えた。レンを迎撃した無数の腕が、矢の一斉射撃のようにおれの視界を覆って襲いかかってくる。
突破できるのか、今のおれの体で。
不安が心をよぎり、おれは
少しでも迷いを持てば、きっとおれはどこかで諦めてしまう。自分の心の弱さは自分が一番よく知っている。だから何も考えず突っ込め。ただ希望を信じて前に進め。一瞬でも怖気づけば、おれの足はすぐに動きを止めてしまう。
「あぁあああああああああ!!!!」
おれは血を吐くように叫び声を上げ、無数の黒腕に突っ込んでいく。
足が止まりかけたその時、戦場に声が響いた。
『ゆけ、
どこからか飛来した大鎌が、回転しながら黒腕をなぎ倒していく。イリスの愛鎌
まさかイリスが復活したのか、と思ったが違うようだった。消えかけだが、しかし得意そうな
『あの、武器は……もともと我が力が宿った、もので、あるからな……しかし、これが限界だ。あとで、飯を食わせろよ……小僧』
大鎌が落下し、地面に突き刺さる。それきり、
顔を上げたおれの視界に飛び込んできたのは、もともと怪物に生えていた三本の腕だ。さっきの有象無象とは比べ物にならない迫力の太い腕が、おれを潰しにかかってくる。
おれは両手の
槍が飛んできた方向に視線を向けると、額から血を流すレンが投擲後の姿勢を作っていた。
「ごめん、あたしがしくじったんだ……! だからお願い、ラッド……イリスちゃんを! 君が、イリスちゃんを救うんだ!」
彼女の顔には、隠しきれない悔しさが浮かんでいる。
自分が油断さえしなければ、ここまでギリギリの状態になることはなかったと思っているのだろう。しかし彼女はそんな中でも最善の手を打った。悔しさを押し殺し、冷静に状況を見極めたのだ。
全ての腕を掻い潜り、ついに悲嘆の怪物の体にすぐそこまで迫ることができた。
だが、まだ障害が立ち塞がる。横たわる怪物が口を大きく開き、またしても黒の波動を放とうとしていたのだ。
「くそっ、くそっ……!」
この距離では、波動が放たれる前に傷口に飛び込むことはできない。
刃鱗は放ったばかりで、まだ再生はしていなかった。つまり自分の身一つで乗り越えなくてはならないのだ。
最後の最後まで、嘆きの咆哮はおれの行く手を遮りやがる!
だけどやるしかない。やるしかないのだ。もはやただ突っ込んでいくことしか道はないのだ。仲間は皆全ての力を使い果たした。だからおれも死力を尽くせ。期待に応えろ。責務から逃げるな!
おれは悲惨な覚悟とともに、
黒の波動が放たれる。おれが直撃してくる衝撃に備えて腕を交差させた直後——まるで波と波が正面からぶつかったように、黒の波動が消滅した。
おれは視界に飛び込んできた人物を見て、目を見開いた。
だって、そこにはありえない人がいたから——
「クローディアさん……? なんで、あんたが……」
クローディア=レヴァナント。異端を狩る恐るべき
彼女が何をしたかはわかる。盾の力を使い、衝撃波で黒の波動を打ち消したことくらい理解できる。
だが、彼女の行動の理由がわからない。だってクローディアは……おれたちの敵だったはずなのに!
「……勘違いするなよ、ラッド。これはあの化け物を消すための合理的な判断だ。好き好んで助力したわけではない」
クローディアがこちらを見ないまま、冷たい声で言う。
「ただ、私情を挟むならば——苦戦している貴様に腹が立ったからだ。この私に勝ったと言うのなら、あの程度の怪物くらいどうにかしてみせろ。勝者が情けない姿を晒すな」
言葉を続けた後に、クローディアは堪えきれなかったように片膝をついた。これほど深い傷を負った悪魔憑きでもない人間が、よく動けたものだと感心してしまう。
ふと、懐かしい思いがした。
おれがクローディアの
おれはクローディアの横を駆け抜けていく。
最後まで、彼女はおれの方を向こうとはしなかった。敵に手を貸すことが屈辱なのか、もしくはおれの顔など見たくもないほど憎んでいるのか。
どっちにしろ、彼女の一手がおれを救ってくれたことは間違いない。複雑な思いを抱えながら、心の中で感謝を告げる。
いよいよ、手を伸ばせば悲嘆の怪物に触れられるところまで来た。
自分一人の力じゃない。たくさんの人の助けがあって、ようやくここまで来ることができたのだ。
近くに立っているだけで、この怪物の体内で悲しみの感情が嵐のように吹き荒れていることがわかる。この中に入って、おれは正気を保つことができるだろうか。
不思議と勇気が湧いてくる。この先に、君が——イリスがいると知っているから。
「待ってろ、イリス。お前がおれを見つけてくれたように、今度はおれがお前を見つける。そして悲しみの中から連れ出してやるんだ!」
おれは意を決して、傷口から怪物の体内に飛び込んでいった。
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