第2章「燻製ニシンは嘘をつく」

2-1、野営の飯々

 

 山の中は木々の葉が擦れる音と、鳥や虫の鳴き声が静かに響いていた。

 おれは右手で持つ短剣ダガーを何度か握り直して重さの感触を確かめる。

 視線の先は、十歩ほど離れた場所にある木だ。短剣ダガーの柄を握って構えると、指先に感覚を集中させる。息を鋭く吐き、素早く投擲動作を行った。

 おれの指先から放たれた短剣ダガーは回転しながら空を裂き、木の幹に突き刺さる。


「おー」


 側でしゃがんで見ていたイリスがぱちぱちと手を叩く。

 おれは照れくささを隠すようにさっさと歩き出し、幹に刺さった短剣ダガーを抜いた。なかなかの力で刺さっていたらしく、引き抜くのは大変だった。


 長らく愛用していた剣を失ったおれは、途中立ち寄った小さな町の鍛冶屋で短剣ダガーを三本購入した。散々値段交渉をして、三本でパル銀貨二十五枚の値段で手に入れた。

 長さは以前使っていた剣の半分以下で、片手でも扱いやすく、投げやすい。その分重量がないので威力は大きく下がるが、そこは仕方がない。

 巨神狼フェンリルとの戦いを経て、「投げる」方向に可能性を感じた。自分の特技は戦いには向かないものだとばかり思っていたが、あの戦いで確かな戦果にはなった。武器を剣ではなく短剣ダガーに替えたのはそうした理由だ。


 かっこよく長剣を振るう英雄のような戦い方に未練がないわけではない。しかし向き不向きは必ずしも憧れと一致するとは限らないのだ。

 ひとまずは得意な分野を伸ばす。それで少しでも役に立つ方法を探す。それが今のおれの方向性だ。


「そろそろ飯の準備でもするか」


「やった」


 おれが言うと、イリスが嬉しそうに跳び上がった。

 おれは近くの木に吊り下げていた水鳥の肉を降ろした。すっかり血抜きが終わっていることを確認してから、野営地に戻る。そこは木々に囲まれた小さな空き地だった。真ん中には焚き火が炊いてある。


 おれは腰を下ろすと、水鳥の毛をむしり始めた。先ほど湖のそばで捕まえたものだ。春になってたらふく食べたためかよく肥え太っている。動きが鈍くなっていたところを、後ろから近づいて捕獲した。

 おれがぶちぶち毛をむしり取っていると、作業の様子をじっと見ていたイリスが言った。


「ラッドくん。わたしも手伝いたい」


 おれはイリスの言葉に感動を覚えた。親鳥から餌を与えられるのを口を開けて待っている雛みたいだったイリスが、協力を申し出てくるとは。

 一旦水鳥を置くと、おれは浅底鍋と石をイリスに手渡した。鍋の中には赤や黒など色とりどりのベリーが入っている。山中を歩く間に見つけた食べられる木の実を集めたのだ。石は湖で拾ったもので、一応水で洗ってある。


「この石でベリーを潰してくれ。できるだけ念入りにな」


「潰してしまうの? もったいない」


 イリスが首を傾げる。


「まぁ、意味は後でわかるさ。鍋の底が傷つかないように、力加減には気をつけてくれよ?」


 おれの手から鍋と石を受け取ったイリスは、真剣な表情でベリーを潰し始めた。最初は恐る恐る手を動かし、やがて慣れてきたのか力を込める。飽きっぽい性格かと思っていたが、意外にも集中して作業ができるらしい。


 おれは水鳥の羽をむしり終えると、料理用のナイフを取り出して木の椀の中で肉を切り分ける。獲物を丸焼きにして食べる者もいるが、あれは火加減をうまく調節できないと外が焦げるか中が半焼けになってしまう。野外の焚き火でやるべきことではない。

 肉は大きく六つに切り分け、木の串に刺していく。串は食堂の料理についていたのを少しづつちょろまかして集めてきた。


 肉の刺さった串を焚き火の近くの地面に突き立て、焼け具合を見ながら回転させていく。肉汁が滴り、串を伝って地面に落ちた。

 その間に、イリスが浅底鍋の中のベリーを潰し終えたようだった。おれは鍋の取っ手を握って底を火にかける。焦げないように木のスプーンでかき混ぜながら、潰したベリーを熱していく。


 やがて肉がちょうどよく焼け、ベリーにも火が通った。辺りには食欲を掻き立てる香ばしい匂いが漂っている。匂いに釣られたイリスが口の端からよだれを流していた。


「いいか、イリス。肉にこうやってお前が作ったベリーソースをかけて食べるんだ」


 おれは片手で木のスプーンで浅底鍋から湯気を立てるベリーソースを掬って、もう片手に持つ串に刺さった鳥肉にかける。

 野生ジビエ鳥のベリーソースがけだ。


 一口かじると酸っぱいソースが肥えた水鳥の肉に絡み、口の中で旨味が広がっていく。熱したベリーには酸味だけではなくほのかな甘みが生まれ、鳥肉の油にもよく合う。

 本当はベリーソースには蜂蜜や葡萄酒ワインを混ぜた方が良い。だが、節約をするに越したことはないし、何より荷物がかさばるのは避けたい。


「酸っぱいと甘いで、お肉がおいしい。わたしが作ったソース、とてもすごい」


 イリスが夢中になってソースがかかった鳥肉を頬張っている。口の周りは赤黒く染まっていた。

 店で出すにはいささか大雑把な料理だが、野営で食べる分には十分なご馳走だ。イリスがいることで、かなり食事には気を使うようになった。もしもおれ一人だったら面倒臭がって焼いた鳥をそのまま丸かじりしていただろう。

 手間はかかるが、出来上がった料理をおいしいと言って食べてくれる人がいると苦労が報われる気がする。


「ごちそうさまでした」


 鍋の底に残ったベリーソースをスプーンですくって余すところなく食べたイリスが言った。口の周りはさらにソースでベタベタになっている。


「……口はしっかり洗っておけよ」


「うん」


 イリスは頷いたが、本当にわかっているのだろうか。


 食事の後片付けが終わった頃には、日はすっかり沈んでいた。暗闇の中、赤々と燃える焚き火の炎を見ていると心が安らぐ。

 森は静寂に包まれていた。遠くで流れる川の音とパチパチと爆ぜる焚き火の音、そしてかすかに虫の声が聞こえる。


「明日は早くに出発するから、もう寝るとしようか。おれが先に番をするから、イリスは寝ていてくれ。適当な時間になったら起こすから」


「うん」


 イリスはフードを被ったまま、寝袋の中に潜り込んだ。一度は目を閉じたが、すぐにぱちりと目を開けておれを見る。


「ラッドくん、明日行く街はどんな場所でしょうか」


 祭り前夜でそわそわして眠れない子供みたいだな、こいつ。


「メーアローグは港街だ。街中には運河が流れていて、小さな船がよく行き交っている。漁業が盛んで、特にこの季節はある魚がよく捕れるんだ」


「ある魚って?」


「それは着いてからのお楽しみってことで。さぁ、早く寝な」


 このままだと質問攻めをされて夜が明けてしまう。


「うーん……わかった。おやすみ、ラッドくん」


 イリスは渋々と言った様子だったが、目を閉じるとすぐに寝息を立て始めた。彼女のそばでは生きる大鎌ファンタズマが主人を守るように横たわっている。


 おれは木の枝を焚き火に放り込みながら、燃える炎をぼんやりと眺める。

 メーアローグは港町なだけあり、交易が盛んだ。人と物が行き交えば、それだけ情報も集まる。世界一おいしい食べ物を探す手がかりが見つかるかもしれないし、あるいは悪魔についての詳しい話が聞けるかもしれない。


 しかしひとまずやらなくてはならないことは、旅の資金稼ぎだ。巨神狼フェンリル討伐の報酬をもらい損なってしまったため、懐はまた寂しくなっている。イリスは結構な金額を所持しているのだが、次から次へと食費で消えていくため底を尽きるのも時間の問題なのだ。


「まぁ、なんとも、やることが多い旅だ」


 おれは苦笑しながら呟くと、木の枝を火にくべる。少し勢いを増した炎が闇の中で揺れた。

 心地よい、静かな夜だった。

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