2-11、悪魔の依頼〈クエスト〉

 

 おれは突然の展開に理解が追いつかなかった。

 おれたちは見えない怪物の正体を突き止め、悪魔憑きのモーリーを討伐した。と思ったら、一緒に依頼クエストを受けた冒険者のノヴァルニエは悪魔だった——


 だとしたら、こいつが黒幕なのか? 全てはこいつの思惑の中で動いていたことなのか?

 未だに目の前に立っているのが悪魔と呼ばれるものだと信じることはできない。だが、背中で震えているイリスの恐怖が、ノヴァルニエが話していることは真実なのだと物語っていた。


「だとしたら……本当にあんたがモーリーに呪いをかけた悪魔だとしたら、一体何が目的なんだ!」


 おれは虚勢を張って大声を出す。

 こいつの狙いはわからないが、イリスを守れるのはおれしかいない。だったら虚勢でもなんでも張ってやる。


「ふふっ、そう声を荒げないでよ。別に君たちに危害を加えようなんて思ってないんだからサ」


 ノヴァルニエ改め、レヴィアタンが妖艶に笑った。


「アタシが冒険者のフリをしてたのは、アタシがを与えた人間がどんな行動をするのか間近で見たかったから。でも、君たちと一緒になって夜の街を回るのも、存外に楽しかったよ」


 レヴィアタンは呪いのことを祝福と呼んだ。絶大な力を授けるという意味では合っているのかもしれない。だが、力には代償を払わなければならない。イリスが終わらぬ空腹を抱えているように。


「あんたは秩序の神様から授かったと言っていた〈治癒キュア〉の術を使ってブランを治療していたよな。あれはどう説明するんだ」


 混沌の勢力である悪魔が、秩序の神の術を使えるなんておかしい。まさか、あの術はただ使える振りをしていただけだったのだろうか。


「ああ、あの術ね。アタシは人の技術の模倣が得意なのよ。なんでも羨ましくなっちゃうからね。〈治癒キュア〉そのものではないけれど、限りなく近い効果があったはずよ。ブランの傷も癒えてたでしょう? アタシはそうやっていろんな場所に溶け込んで楽しんでいるの」


 神の術を模倣した。

 それこそありえない話だが悪魔の力は未知数だ。奴らにとっては当たり前のことなのかもしれない。


「そうかい。そいつはいい趣味をしているな。混沌の神の遣いは、そうやって人が破滅していくところを見て楽しんでいるわけだ」


「混沌の神の遣い? アハハ、冗談を言わないでよ。あいつらとアタシたち悪魔は全く関係がないわ」


 レヴィアタンの言葉に、おれは拍子抜けした。

 一般的に、悪魔は混沌の神が世界を乱すために生み出した存在とされている。だが、レヴィアタンは全く関係がないと言い切った。


「アタシたちは人間の心から生まれたの。傲慢、憤怒、強欲、暴食、色欲、怠惰、そして嫉妬。真っ黒な欲望と感情が沈殿した沼の中で、アタシたちは産声を上げたの。素敵でしょう?」


 傲慢、憤怒、強欲、暴食、色欲、怠惰、嫉妬。

 こいつは確か、嫉妬を司る悪魔だと言った。悪魔にそれぞれ対応した感情があるのだとしたら、イリスに呪いをかけた悪魔は間違いなく暴食だ。


「……もしあんたの言うことが本当だとしたら、悪魔は一体何のために行動をしているんだ。なぜ呪いと力を人間に与えるんだ」


「決まっているじゃない。生きるため、ご飯を食べるためよ」


 レヴィアタンはため息をつき、常識を話すように言った。


「アタシたちは生まれる根源となった感情を食べて生きている。だから契約を交わした者には、欲望を掻き立てる枷と、それを実行できる力を与えるの。食べ物がなくなったら人は死んでしまうみたいに、悪魔も消滅してしまう」


「消滅した悪魔はどうなるんだ」


「感情や欲望が沈殿して沼になった頃に、また生まれ変わるわ」


 悪魔についての伝承は遥か昔から伝わっている。こいつらはそうやって歴史の中で暗躍をしてきたのだ。


「……だけど、最近その輪廻転生サイクルが極端に早まってきているの。誰でも簡単に悪魔を呼び出せるようになって、アタシたちは大変よ。ご利用は計画的にって言葉を知らないのかしらね」


 言われてみれば、伝承や物語の中だけの存在だと思っていた悪魔や悪魔憑きに短時間でこれほど遭遇しているのは尋常ではない。


「なぜ、悪魔が世の中に溢れるようになったんだ」


 尋ねると、レヴィアタンは愉快そうに大きく手を開いた。


「決まっているじゃない! 平穏な世界が終わりに近づいていて、人間が不安を感じ取っているからよ。あなたたちは〈黄昏のとき〉って呼んでいるのだったかしら?」


 〈黄昏のとき〉。

 秩序の神様の時代が終わり、混沌の夜が訪れようとしている。今は夜へと向かう夕方の時間だと言うわけだ。

 見たこともない凶悪な怪物が次々と現れ、異常現象が相次いで報告されている。世界のあちこちで破滅の足音が鳴り響いている。そんな状況の中で皆が恐怖を掻き立てられ、悪魔が生まれる温床を作っているのか。


「それで本題に入るけど、君たちにお願いしたいことがあるんだ。モーリーが頼りになりそうだったらあいつに依頼したんだけど、どっちしろ難しそうだったからね」


 レヴィアタンが発したお願いという言葉におれは身構える。悪魔の願いなんてのは、大抵ろくなものがない。甘い言葉で誘惑するか、裏に罠を仕掛けるかだ。


「ここの港から船で行けるマグリア島って知ってるかしら? そこで今度お祭りが執り行われるのだけど、決まって祭りの前夜には魔女たちが集まる秘密の会があるの。いつもだったら大して意味のない会なんだけど、今年は違う。悪魔が生まれてしまうかもしれないの」


「悪魔が、生まれる……?」


 おれは思わず繰り返してしまった。

 それは先ほどレヴィアタンが説明していたように、感情や欲望が沈殿して沼になり悪魔が復活しようとしているということだろうか。


「七人いる悪魔の中でも、が目覚めた時は必ず動乱が起きる。混沌の夜へと向かう時計の針は一気に進んでしまうわ。だからお願い、君たちは魔女の夜会に忍び込んで悪魔の卵を壊して欲しいのよ」


 おれは今、とんでもない話を聞いているのではないだろうか。

 近くの島で悪魔が目覚めようとしていて、しかもそいつが起きると動乱が始まり混沌の脅威がより高まってしまうという。

 こいつの話が全て真実なのだとすれば、何が何でも悪魔の復活を阻止しなければならない。だが、突然そんな大きな使命を託されても困惑してしまうのが現状だ。


「な、なぜおれたちなんだ……他にも冒険者はたくさんいるだろう」


「なぜって、君たち以上の適任はいないわ! とっても強いイリスちゃんに、小賢し……機転が利くラッド君。二人が協力したら、どんなことだって乗り越えられるはず。本当はもう一人戦える人がいたら言うことなしなんだけど、今すぐ島に迎える人たちの中では君たちを置いてほかに考えられない」


 おれのことを買いかぶりすぎだとは思うが、やはり褒められると悪い気はしない。大部分がイリスの力とはいえ、おれも多少は貢献できていることを認められたのは素直に嬉しい。


「それに君たちが相手なら、アタシは明確な交渉材料が提示できる」


 レヴィアタンが指をピンと立てて言った。


「もしも悪魔の卵を破壊することができたら、イリスちゃんと契約をした蝿野郎……もとい暴食の悪魔ベルゼビュートとの繋ぎになってあげる。交渉して解呪を迫るもよし、あるいは解呪の条件を詳しく聞いてみるもよし。君たちにとっては利点メリットしかないはずだけど?」


 おれたちはイリスの呪いを解くために、悪魔が掲示した条件「世界一おいしい食べ物」を探して旅をしている。だが「世界一おいしい」なんて定義が曖昧で、正直雲を掴むような話だった。

 もし悪魔本人に話を聞くことができれば、特定が楽になるだろう。少なくとも方向性は確かめられるはずだ。


「……それは本当なのか」


「当たり前よ。悪魔は決して契約で嘘をつかない」


 レヴィアタンが笑みをやめ、真剣な表情で言った。

 おれはこの悪魔のことを信じていいのだろうか。話が本当だったとしても、悪魔の卵を壊すなんてことができるのだろうか。いや、そもそも悪魔の依頼クエストを受けることをイリスは快く思うのだろうか。

 次から次へと疑念と疑問が浮かんでくる。頭の中がぐちゃぐちゃになったおれは、こう言うしかなかった。


「すぐには、答えを出せない。イリスとしっかり相談をして決まるから、待ってくれないか」


「もちろん。だけど待てるのは一日だけ。明日の夜には答えを聞かせてもらうわ」


 レヴィアタンの顔に蛇のような鱗が広がっていく。背後に黒い渦が現れ、レヴィアタンの姿は吸い込まれていくようにして遠ざかっていった。


「……でも忘れないでね。あいつが復活したら、世界は本当にどうしようもなくなることを」


 そう言い残し、嫉妬の悪魔は夜の闇の中に消えていった。

 後にはおれたちと不気味な静寂だけが残された。生暖かい風が流れ、髪を揺らしていく。


 イリスは一言も発しなかった。ただおれの背中で小さな子供のように震えていた。

 悪魔の頼みを聞くことが、果たして本当にこの子のためになるのだろうか。呪いを解く手がかりを得るために危険を冒すだけの価値があるのだろうか。

 わからない。

 イリスに尋ねてみようとして、口を開けたところでやめておいた。こんなに怯えているのに判断を迫るなんて酷なことはしたくない。


 今は早く宿に戻ろう。

 戻って、寝て、ご飯を食べてから考えよう。

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