第3話 ぬえ(中)
渡辺津は、淀川の左岸――南側に設けられた港だ。
セツたちが鵺と出くわしたのは、その港に荷揚げされた物品を京に送り出すまでの間、一時的に保管するための場所となる。
当然、川からは大して遠くない。
黒煙を追って北に進めば、すぐに川岸に突き当たる。
「川の上で留まっている?」
「どうやって逃げるか思案中……いえ、新しい憑代を探しているといったところでしょうか」
おそらく、黒煙の姿で遠くに逃げる余力がないのだ。
そのため、力を取り戻すまでの仮宿として、憑代となる人間が必要となる。
不利を悟って逃げ出したものの、人里から離れるワケにもいかず、ああして淀川の上空に留まっているのだろう。
そんな推測を聞いたセツは、まなじりを吊り上げた。
「それは――」
「看過するわけにはいきませんね」
陰陽師の言葉にうなずいて、セツは黒煙の漂う空を強く睨む。
賊については自業自得だ。同情などしない。
しかし、あんな酷い死を無辜の者が強いられるとなれば、絶対に見過ごすことなどできない。
と、道世が港から出て行く船を見て、眉を跳ね上げた。
「まずい」
「え? 何がって……あ」
黒煙に姿を変えた鵺が動きを見せる。
川に沿って移動しながら高度を下ろすその先には、緩やかに外輪を回して進む大船の姿があった。
その船が吐き出す黒煙と混じり合って、鵺の姿が見えなくなる。
「…………!」
「蒸気船に乗り込まれると、面倒なことになりますね」
「瀬戸内に逃げられると、追跡が――」
「それもありますが……いえ」
渋い表情を浮かべる道世に、セツも焦りを覚える。
小舟を借りて追い掛けようにも、蒸気船に手こぎで追いつくのは少々厳しい。
どうしたものかと歯噛みするセツの傍らで、道世が大きくため息をついた。
彼は、小舟が係留されている一角に視線を向け――滑るように走り始めた。
「何にせよ、追い掛けるしかありませんね」
「とはいっても……蒸気船相手では」
「大丈夫。追いつくのは、さほど難しくありませんよ」
セツの言葉に道世が笑って首を振る。
ほとんど肩が上下に揺れない上に、異様な速度で進む彼と併走しながら、セツは首を傾げた。
蒸気船は、現状、水上交通における最速の移動手段だ。
風などの天候に左右されず、人が漕ぐよりも遙かに早く進む船。
(妖術か何かで追い掛けるのか?)
式神に舟を引かせるとか、帆を張って起風の術を用いるとか。
単純に、龍なんかを呼び出して乗るという可能性も――
「着きましたよ。準備をするので、乗ってください」
「これは……?」
道世が示す小舟を見て、セツはパチパチと瞬きをした。
それは、奇妙な舟だった。
小型の高瀬舟だ。
長さは
代わりに屋根が設けられ、その上に
船尾には、人が入れそうな鉄筒が縦に置かれ、そこから伸びる鉄管が匣に接続されていた。
「……これは」
うながされて乗り込めば、鉄筒の側面に炉が設けられているのが見てとれる。
炉の上には、何やら計測器らしきものが備え付けられていた。
何となく思い至るものがあって、セツは目を見開く。
まさかとは思うが――
「これ、小型の蒸気船、です、か?」
「はは。残念ながら、この舟には水を掻くための外輪は付いていません」
言いながら、道世は屋根の上にある匣をいじる。
と、バシャリと音を立てて、屋根の両脇に二対、計四枚の板が展開した。
「……板? いや、これは」
匣の中から現れた板――竹の骨組みに布を張ったソレを見て、セツはトンボの羽を連想する。
連想して、まじまじと陰陽師の顔を見つめた。
その視線を真正面から受け止めて、彼はうなずいた。
「羽ばたき飛行艇“太郎坊”――空飛ぶ舟です!」
ものすごく得意満面の笑顔だった。
◆
テキパキと、陰陽師が“太郎坊”の発進準備を進めていく。
駆動部の確認をひととおり終えて、道世がセツの方へと目を向けた。
「よし。そこの火室……炉に、薪を一本入れてもらえますか?」
「一本だけ?」
舟の後方に備えられた火室に、セツは薪を放り込む。
一本だけで良いのかを問うと、道世は得意げに笑って見せた。
右手で刀印を結び、何事か素早く囁く。
「――――!」
「“木生火”……まあ、術士の特権というやつですね」
乾いた音を立てて、火室の中で薪が爆ぜる。
生み出された火勢は、薪一本とは思えぬものだった。あっという間に鉄筒――水缶内の温度が上がり、それに伴って圧力計の針が動き始める。
「落ちないよう気をつけてください」
「は、はい」
ゆっくりと舟が動き始める。
水面を滑るように進みながら、二対四枚の羽が上下に駆動する。
前羽、後羽と交互に羽ばたくソレは、急速に速度を増していき―――
「“太郎坊”離水!」
「――――!! 本当に飛んだ!!」
ふわりと、空へと舞い上がった。
みるみるうちに水面との距離が離れていく様子に、セツは眼を輝かせる。
「すげ~!! 飛んでる! 飛んでますよ!!」
「ははは。身を乗り出し過ぎて、落ちないでくださいよ」
興奮のまま声を上げれば、道世から注意が飛んでくる。
舟を操っているため、セツからはその背中しか見えないが、きっとその表情は先ほど見た得意満面なものだろう。
声からは、セツの反応に気を良くしている様子がうかがえた。
「さて――」
コホンと、道世が咳払いをする。
声色が変わったのに気がついて、セツも居住まいを正す。
状況的には、あまりはしゃいでいるワケにもいかないのだ。
「蒸気船には、すぐに追いつけます」
「はい」
出発までに多少の時間を要したものの、速度で言えば蒸気船よりも“太郎坊”の方が数段上だ。
間もなく追いつけるだろうとの道世の言葉に、セツも同意する。
「問題は、鵺が船員に取り憑いていた場合、見分けがつかない?」
「いえ。そこは大丈夫です。私なら見れば判断が付きますので。問題は――」
「?」
そこで、道世は言葉を切った。
何かを迷っているような気配を感じ、セツは首を傾げる。
「問題は――」
道世が言葉を続けようとした瞬間、進行方向から盛大な爆発音が響き渡った。
ぎょっとした表情で、セツは音のした方向に目を向ける。
「問題は、蒸気船の中で化け物が大暴れした場合ですね」
船から、煙が立ち上っていた。
「な、何が!?」
「蒸気機関が爆発したようです。それだけというワケでも無さそうですが」
船が航行を停止したため、急速に距離が縮まっていく。
そうして見えてきた姿に、セツは呻き声を上げた。
蒸気船は、その象徴ともいうべき煙突と外輪を失っていた。
代わりに目を引くのは、船体中央部の甲板を突き破って飛び出している無数の鉄管。
その惨状に、セツは、
「……酷い」
「動力部付近にいた者は全滅でしょう」
道世の声も曇っている。
船に追いついた“太郎坊”が、その上空を旋回する。
どうやら、今すぐ沈む様子は無さそうだ。とはいえ、火の手が上がっているようなので、長くはないだろう。
「船員は」
「まだ船上に……これは、鬼気に当てられましたか」
すでに海上に出ているものの、海岸まではさほど遠くない。
泳ぎの達者な船員たちなら、苦も無く逃げられるはず。
そう考えたセツの言葉を、道世が否定する。
“鬼気に当てられた”
その言葉に、セツは小さく息を呑んだ。
手足が萎えるようなあの感覚がそうだとすれば、たとえ船上から逃れたとしても、助かりはしないだろう。
小さく舌打ちをして、彼は“太郎坊”の舟べりに足を掛けた。
「道世様、“太郎坊”を蒸気船に近づけて下さい」
「どうするつもりですか?」
肩越しに振り返った道世と目が合う。
真っ直ぐに彼を見据えて、セツは迷いなく言い切った。
「飛び移って、鵺を叩き斬ってきます」
「私は、“太郎坊”の操縦のため同行出来ません。無論、可能な限り援護はしますが、一人で怪物の前に立つ羽目になりますよ?」
「
セツの言葉に、道世がため息をつく。
「これは私の仕事なので、君がそこまでする必要はないのですが……」
「渡辺津の治安維持は、我々の務めですから」
「……わかりました。お願いします」
これ以上の問答は無駄と悟ったのだろう。
彼は小さく頭を振って、“太郎坊”を蒸気船の船尾へと向かわせた。
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