第8話 桃源の都

 平安京たいらのみやこの南端にある朱の大門を羅城門という。

 幅は十一丈六尺35m、高さは七丈21mにもなる二層式の重層門だ。

 朱の大柱と屋根の黒、そして白壁が眩しいその威容は、みやこの正門に相応しい華やかさと大きさで、訪れた者たちを圧倒する。


渡辺綱わたなべのつな様が、ここで鬼と戦ったんですよね?」

「ええ。といっても、当時と今の門は別物ですが」


 当時の羅城門は、すでに失われて久しい。

 何しろ、鬼の棲み家となるほどに荒れ果てた代物だ。

 大風によって倒壊した後は、朽ち果てるままに放置された挙げ句、藤原道長公によって礎石を持って行かれ、一度は綺麗さっぱり姿を消している。

 その後、藤原頼通公によって新設されたのが、今の羅城門だ。


「今の羅城門は、昔の倍近い奥行きがあるので、早々倒壊はしないでしょう」

「……何というか、門というよりお堂か何かみたいな広さですね」


 羅城門の中を歩きながら、その広さにセツは目を丸くする。

 何しろ、中まで光が差し込んで来ない。そのため、昼間であっても明かりを点す必要がある程だ。

 それら灯火を受けて浮かび上がるのは、門の中央五間に入った巨大な扉である。

 今は開け放たれているその大扉を見て、セツはぎょっとした表情を浮かべた。


「……え。まさか、これ鉄で出来てるんですか?」

「ええ。開閉は蒸気機関によって行います」


 一度閉じてしまえば、人どころか鬼の力であっても開けることは叶うまい。

 それほどの重量感を感じ、セツは感嘆の声を上げた。

 この門は、もはや一種の砦といえよう。


「足を止めると、後ろの人に迷惑となりますよ」

「あ、すみません」


 注意の言葉に、セツは慌てて足を動かす。

 敷居をまたぎ、薄暗い門を抜けて――


「――――!!」


 門を抜けた先。

 初めて足を踏み入れた平安京たいらのみやこの姿に、息を飲んだ。


 最初に視界に飛び込んで来たのは、尋常でない広さの大通りだ。

 朱雀大路。みやこの中央を貫くこの大路の道幅は、二十八丈84mにもなる。


 その大路を歩む人々の姿は、千差万別だった。

 緩やかに進む牛車と、その傍らを歩く牛飼童うしかいわらわ車副くるまぞえ

 馬に乗って周囲を睥睨する男は、武士もののふだろうか。

 人足に荷車を引かせる商人、自力で荷車を引く庶民の姿も見られる。


「……人が多い」


 風に紛れ、意味を掴むことが出来ないざわめきは、祭りの喧噪のようだった。

 少年の故郷も、交通の要衝だけあって人の数は多い。

 しかし、ここは規格外だ。桁外れと言って良い活気に、セツは気圧される。


「あれは――」


 視線を動かせば、幾条もの煙が空に上っているのに気がついた。

 食事時でもないのにと、怪訝に思う内心を察してか、道世が答えをくれた。


「あれは、蒸気機関の排煙です」

「……ああ、なるほど」


 何でも“坊”――街の大区画ごとに、蒸気機関が設置され、動力を区画内の共用施設や家屋に供給しているらしい。

 セツは生返事気味にうなずいて、鈍色の空に向けていた視線を下ろす。

 目に飛び込んでくるのは、活気ある人々とその頭上で咲き誇る花の姿。


「…………秋なのに」


 セツは呆然とつぶやく。

 朱雀大路の両脇には、が立ち並んでいた。

 その花びらが、風を受けて舞い躍る様は、話に聞く桃源郷のようだ。

 白に紅。他にも様々な彩りが、艶やかなかさねとなってみやこを飾り立てている。


「これが、“灰艶ノ京”」


 帝の御威光を戴き、蒸気の力に支えられ、万の華に彩られし栄華の都。

 活気に満ちあふれた日本ひのもとの中枢である。


 ――朽ち果てた街並みを、灰と火の粉が風に舞う。


「?」


 今、何か幻視ただろうか。

 泡沫のように、ほんの一瞬だけ現れて、消え去った何か。

 掴むことが出来なかったソレが、不安にも似た微かな違和感を残す。


「それを、忘れないようにしてください」


 そっと、囁くような道世の声が聞こえた。

 ハッと我に返れば、陰陽師は迷いのない足取りで先に進んでいる。

 セツは、慌てて彼の後を追い掛けた。





 これからの動きを考えるにしても、まずは一息ついてから。

 そう告げた道世の家を目的地として、セツは初めての京を歩む。


「おおぅ……」


 行き交う人々の様子を窺い。

 築地ついじとその向こうにある建物を見上げ。

 羅城門の威容を振り返り。東西に見える五重塔ごじゅうのとうに目を輝かせる。


 せわしなく頭を動かすその様は、まさに“お上りさん”であるが、さすがに道世を見失うほど間抜けではない。

 迷いの無い足取りで進む道世を追って、朱雀大路から八条大路に入る。

 さらに八条大路と西洞院大路が交差する辻に差し掛かったところで、お上りさんは、ポカンと口を開けた。


 ――家が走って来た。


「……? ……!?」


 意味が分からない。

 何が分からないって、それを平然と見ている京人みやこびとたちだ。

 おかげで怪異の類と誤認することは無かったが、ならばこれは何なのかとセツは目を白黒させる。


「あ、あの。何ですかアレ?」

「あれは、汽車といいます」


 蒸気仕掛けで動く乗り物なのだと、道世は告げた。


 平安京たいらのみやこは広い。

 北端の一条大路から南端の九条大路までは、一里と十町5kmを超える。

 対する人々の移動手段は徒歩かちが基本だ。

 このため、洛中での暮らしにおいて、移動に割かれる時間と労力は相応に大きい。

 その軽減を目的として、公共交通機関として設置されているのだという。


「……そういえば、前に話は聞いたような」


 みやこには、誰でも乗れる蒸気仕掛けの車がある。

 そんな話を商人から聞いた気がすると、セツは道世の説明に低く唸った。

 とはいえ。


「こんなに大きいとは思いませんでした」

「はは。まあ、そうでしょうね」


 幅一丈3m、長さ八丈25m弱、屋根までの高さは一丈半4.5mといったところか。

 大きな車というより“自走する家屋”の印象が強いのは、妙に立派な屋根のせいだろう。


「あれ、煙突がない?」


 蒸気船や“太郎坊”のように煙を吐き出す様子が見られない。

 蒸気機関につきものと思っていただけに、セツは首を傾げる。


「ああ。あれは、無火蒸気ですから」

「むかじょうき?」

「セツ殿は、蒸気機関の動作原理は知っていますか?」


 初めて聞く単語に目を瞬かせる少年に、陰陽師は人差し指を立てて目を向ける。

 彼の問いに、セツは視線を上向かせながら答える。


「確か、水を沸かすことで蒸気を生じ、その圧力を利用する?」

「ええ。そのとおりです」


 そこまで分かっていれば大丈夫と、道世はうなずいた。


「つまり、蒸気機関を動かすためには、蒸気があれば良いわけです。火を焚いて水を熱するのは、蒸気を生み出すため」

「ええと、別の方法で蒸気を得られるのなら、煙突……というか、水を熱する必要がない?」

「正解」


 我が意を得たりと、道世はうなずいた。


 平安京たいらのみやこには、化野あだしの蓮台野れんだいの鳥辺野とりべのに築かれた“炎摩塔えんまとう”から、莫大量の蒸気が、日夜絶えることなく供給されている。

 また、日中は各坊においても蒸気が生成されており、これらを利用すれば汽車への蒸気供給に困ることはない。

 このため、蒸気船や“太郎坊”などと違って、汽車には煙突や火室の類がないのだという。


「代わりに高圧蒸気を封入している蒸気筒じょうきとうを搭載し、一条と九条の停車場で蒸気供給を受けているワケです」

「なるほど」


 驚きと混乱が収まれば、後に残るのは好奇心だ。

 興味津々といった様子で、セツは辻の前で停車した汽車を眺める。

 小屋のような客車部分の下部には、鉄の車輪が並んでいる。

 それらは、関節のある棒でつながっており、これが車輪を回して進むようだ。


「道の中央に敷かれている石畳は、汽車のためのものなんですね」

「ええ。石畳に溝のようなものが二本入っているのが見えますか?」


 道世の言葉にうなずく。

 ちょうど車輪の通り道となる場所だ。わだちの類だろうかとセツが口にすると、道世が惜しいと首を横に振った。


「あそこには、軌条と呼ばれる棒状の鋼が敷かれています」

「……軌条」

「車輪から伝わってくる汽車の重量を分散したり、走行を安定させる効果があるとか」

「……へぇ」


 何だかよく分からないが、すごいのだろう。

 道世の話では、汽車は、一条大路から西洞院大路を下って九条大路に東入りし、今度は東洞院大路を上って一条大路に至るらしい。

 その経路を形成する軌条は、このみやこを往復する以上の長さを持つわけだ。


(確かにすごい。太刀何振り分だ? いや、それは今どうでもいいか)


 鉄の確保は、どうしているのだろう。

 そんな益体のない考えを放り投げ、セツは汽車に乗り込む人々を見て目を輝かせた。


「それで、あれに乗るんですか?」

「残念ながら。私の家は、すぐそこなので」


 無情な一言であった。


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